安居島 特設見張所



2009.2.11訪問



全体図




左:国土地理院の航空写真(CSI7411-C68A-2)、右:米軍の航空写真(M318-2-58、国土地理院)




最近松山市に併合されてしまった北条港から船で35分にある安居島に、海軍の特設見張所があった。夏季以外は島からの往復のみという船のダイヤの都合上訪れるのは難しかったのだが、1日2往復出る水曜日が祝日と重なったのを幸いに行くことが出来た。

米軍の艦載機によって銃撃を受け、島民にも被害が出たという話をどこかで読んだのだが、ソースが何だったかを忘れてしまった。




・聴測所




左:安居島灯台A、聴音機の窪地を埋め立ている、右:同左



左:灯台脇にある指揮所B、右:同左



左:指揮所の北側、右:北西端の受水槽



左:指揮所の南面、右:南側の入り口



左:指揮所内部、改装済み、右:同左



左:北西隅の部屋、風呂場、右:指揮所の東側のトイレ付近の段差



左:灯台の東側から灯台を望む、右:探照灯の円形窪地Cを東側から



左:円形窪地Cの内部、右:探照灯のコンクリート基礎



左:円形窪地Cを西側から、右:円形窪地Dを北西側から



左:円形窪地Dの内部、北半分、右:同左、南半分



左:円形窪地Dを西側から、右:平坦部E、すっかり藪






灯台の付近が、特設見張所の中心部分である。
灯台の建っている円形の敷地Aは、恐らく聴音機の置かれていた円形窪地を埋めたものかと思われる。外縁までの直径は約15mと、寸法から他のものとそれ程変わりない。周りは藪になっており、正確な地形は判らない。
灯台の南東下には指揮所Bがある。外壁は緑色に塗装されているが対空用の保護色なのだろうか。内部を改装して2、30年前まで人が住んでいたようで、えらく生活味に溢れている。窓や扉は打ち付けられているので中には入れない。また建物の東側には一般的にはトイレの槽があるのだが、埋められているのか穴は残っていなかった。
西側には探照灯の円形窪地Cがある。内径は約5m程で周りが土塁になっており、中心にはコンクリート製の基礎が残っている。埋もれていて東側の3分の1しか掘れなかったが、2本のアンカーボルトを確認した。またそのすぐ東側には、恐らくは管制器のものと思われる円形窪地Dがある。中心部を少し掘ってみたが、こちらは基礎らしきものを見つけることは出来なかった。また灯台へ行く道の北側には平坦地Eがあるが、藪に覆われていて正確な地形はわからない。
円形窪地Cの北西側に尾根が続いているのだが、藪に覆われていて地形は確認できなかった。ただ地形からして兵舎への通路は尾根沿いにあるものと思われる。


それから、円形窪地Cの南側に2基の墓標が建てられていた。最近のもので享年も90歳を越えられていた。指揮所を改装して住んでいた方か、もしくは戦争中にこの見張所に詰めておられた方のものかもしれない。




・発電施設




左:油脂庫Fを南東上から、右:同左を北東側から



左:油脂庫脇から発電所Gを、右:G付近の瓦礫



左:発電機の排水溝、右:何かのアンカーボルト



左:発電所Gの西側の基礎、右:発電所Gの西側の長い地下槽



左:発電所Gの北西側の地下槽、右:発電所から水槽H



左:水槽H、右:水槽Hを南東側から



左:水槽Hの東壁、右:南側のパイプのフランジ



左:北側のパイプのフランジ、右:北側の上部にあるU字管



左:水槽Hの北側、右:水槽Hの南側



左:水槽Hの北側平坦面I、右:発電所の北側の斜面



左:海岸へと降りる道、右:海岸






北側の谷筋に、発電施設がある。
東側には油脂庫Fがある。こちらも外壁は緑色に塗装されている。
油脂庫の西側Gにはコンクリート基礎と瓦礫が散乱しているが発電所ではないかと思われる。よくよく見ていると、発電機の冷却水を流す排水溝らしきものを見つけた。
またその西側には発電機の冷却水用の水槽Hがある。南北が約7.5mで2槽に分かれている。珍しく冷却水を通す配管部が残っている。南側の2本のフランジの寸法は、パイプ内径が30mm、ボルトの芯と芯の間が70mm、フランジの外径は90mm、北側の1本のフランジの寸法は、パイプ内径が50mm、ボルト芯間が100mm、フランジ外径が120mmである。銅が入っているのか、薄っすらと緑色の錆が出ていた。また北側には逆さにU字管が突き出てる。こういう金物が残されているというのは離島ならではのものなのだろう。
発電所へ降りる道を更に北へ進んでゆくと、北側の浜へと出る。桟橋こそ見当たらなかったが、場所からして資材などはここから引き上げたのではないかと思われる。

他に貯水池と揚水所がある筈なのだが見つけられなかった。発電機用水槽の西奥にでもあったのだろうか。




・兵舎周辺




左:水槽Jを南から、右:水槽Jの北側のもの



左:水槽Jの南側のもの、右:水槽を東側から



左:水槽の東側K、藪だが一応平坦地、右:水槽から兵舎のあった平坦地L



左:平坦地Lを南下から、右:動作



左:道脇には瓦礫で土止めがしてある、右:兵舎と灯台の付近を南西側から



左:灯台と指揮所を船上から、右:安居島の東側を






兵舎跡Lには現在家が建ち、人が住んでいる。幸いにここに住まわれている方に偶然にお会いすることが出来、簡単な話と付近の調査の許可を頂いたが、水槽J付近の調査を行うのなら事前にここの方に許可を得ておいた方が怪しまれなくて済むと思われる。

尾根には2基の水槽Jがある。恐らくは兵舎の生活用水のものと思われる。水槽の東側には平坦地Kがあるが、現在は藪に覆われて中には入れない。恐らくは探照灯のある部分へはここから登っていったと思われる。
尾根の南下には東西に長い平坦地Lがある。恐らく兵舎があったと思われるものの、家を建てた際に整備されて、面影らしきものは残っていない。またこの家へと続く道の脇の土止めは、恐らくこの兵舎跡から出たであろうレンガやコンクリートの瓦礫が使われている。





日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和16年11月 聴測照射所、第二砲台群、工事中
昭和16年12月 聴測照射所 工事中
官房機密第11482号
昭和17年1月 聴測照射所 工事中
昭和17年2月 聴測照射所 工事中
昭和17年3月 特設見張所 既設(?)
昭和17年4月 96式150cm探照灯1型陸用及管制器2型陸用1 仮据
仮称ヱ式空中聴音装置1 未
ディーゼル発電機2 内1未装備
配員 下士(臨3)、兵(臨22)
昭和17年8月 特設見張所(丁)既設
仮称ヱ式空中聴測装置1、150cm探照灯(管)1
12cm望遠鏡1、7倍稜鏡4
ディーゼル発電機2、TM式軽便無線電信機1
昭和17年9月 特設見張所(照聴所)、丁丙
昭和18年1月 照聴所(丁)(第1砲台群)
昭和19年6月 既設照聴所
昭和19年7月 既設照聴所
昭和19年8月 既設照聴所
昭和19年9月 既設照聴所
昭和19年10月 既設照聴所、150cm探照灯1、空中聴測装置1
昭和19年11月 150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備
昭和20年1月 150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備
昭和20年2月 150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備
昭和20年8月31日 引渡:
96式150cm探照灯及び同管制器、付属品補用品共、電動直流発電機 1基
仮称ヱ式空中聴測装置、付属品補用品共 1基
ディーゼル交流発電機陸上用40KVA220V三相60KVA配付 2基
建築物 兵舎1、其ノ他付属施設3

用地:20787m2、建物:532m2



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