郷原 防空高角砲台





郷原 防空高角砲台(2006.5.22)





米軍の航空写真(R462-55、国土地理院)



黒瀬町の南西、郷原の北側にそびえる標高420mの岩山は、戦国時代には大内方の山城だったが、戦争末期には防空砲台が築かれた。呉海軍警備隊の戦時日誌にはその名は出て来ず、終戦後の引渡目録に出てくることから昭和20年3月以降の工事かと思われるが、完成したかどうかは不明である。地元では岩山頂上に高射砲陣地跡があったことは良く知られている。
登山道はよく整備されており、麓から徒歩30分くらいである。ただ登山口周辺には駐車場や車を停められるスペースは無く、別の場所に置いて歩くか、公共交通機関を利用した方が良い。登山客による駐車トラブルが良くあるようなので注意を。





左:南端の砲座A、右:同左、藪が酷くて判り難いが直径5m程の穴



左:砲座Aから北に延びる連絡通路、右:連絡通路その2



左:連絡通路のクランク部(Dの西側)、右:Dを西側から



左:北端の砲座Bの北側の連絡通路、右:砲座Bの内部



左:砲座Bの内部から東側、明るい辺りが登山道、右:砲座Bの南端、右側が砲座Bの窪み



左:窪地C、矢竹で覆われている辺り、右:D西側付近の石垣?



左:三角点付近、白い標柱の左下辺りが三角点、右:北側に延びる尾根



左:北東側の黒瀬町方向の風景、右:登山口と岩山山頂







岩山の山頂の平坦地には円形窪地が3ヶ所あり、連絡用の塹壕で繋がっている。円形窪地Aは内径が約5mで、探照灯が置かれていたのではないかと思われる。Bは内径約4m、Cは3m程で、測距儀や探照灯の管制器が置かれていたのかもしれない。中間部に作りかけの円形窪地らしいDがあるが用途は不明である。
遺構の縄張りから、岩山の山頂には少なくとも12cm高角砲4門は配備される予定ではなかったのではないかと思われる。野戦高射砲については可能性があるものの、ただ、ここに1門だけ配備してどうするのかという疑問がある。

南から登る登山道は、頂上のすぐ北側に出てすぐ頂上方向に折れてしまい、北東に延びる分かれ道が存在しない。砲座Bの北側の連絡通路から斜面を直接降りれば降りられない傾斜ではなかったが、体調が悪かったのでそこまでの冒険は出来なかった。




高角砲座









米軍の航空写真(R462-54、国土地理院)


Yさんとヴぁもさんの調査によると、呉市立郷原中学校の東側にある民家付近に、呉海兵団郷原分隊の高角砲台があったらしい。現在は埋め立てられて民家になっている。

航空写真を見ると、4基の砲座と指揮所が明確に写っている。また周囲には弾薬庫らしい施設も写っている。





日付 郷原町史及び呉海軍警備隊引渡目録による記事
昭和20年1月 起工
岩山城の搦め手に軍道を敷設して工事を行う予定だったが戦況が急なために高角砲を人力で引き上げる(郷原町史)
昭和20年3月 上空をグラマン(艦載機)300機が通過するが、砲弾が無く応戦できず(郷原町史)
昭和20年4月 本土決戦陣地構築の為、高知へ高角砲を移送(郷原町史)
昭和20年8月31日 引渡:
12cm高角砲4門
7.5cm野戦高射砲1門
2式陸用高射装置 1組
4式陸用高射装置付属品補用品共 1組
97式2m高角測距儀付属品補用品共 1組
97式2m高角測距儀 鏡管のみ 1組(郷原分隊)
96式150cm探照灯及び同管制器、付属品補用品共、電動直流発電機 1基
貨物自動車 2台、消防自動車 1台(郷原分隊?)
建築物 兵舎15、其ノ他付属施設17(郷原分隊?)



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