柱島 特設見張所(聴測照射所)
2021.12.19 探索
2023.2.5 小便器の記述を大便槽に修正



 住所は岩国市ではあるが、倉橋島の南東約10qに浮かぶ柱島に、海軍の特設見張所が設置されていた。特設見張所跡のある金蔵山には、東下の集落から軍道をほぼそのまま利用した遊歩道があり、また山頂付近も比較的良く整備されている。

施設一覧


左:米軍の航空写真(M122-58、国土地理院)

 山頂には、発電所と水場以外の施設が固まって置かれている。戦後畑となっていた兵舎と聴音機窪地は手が加わって遺構があまり明確でないが、山頂付近の遺構は比較的よく残っている。





 探照灯
 指揮所
 水槽
 聴音機
 兵舎
 発電所


探照灯



                   右:平坦地Aを北から



左:平坦地Aの中央にある探照灯基礎の一部、右:南西に伸びる溝


左:平坦地Aの南東に転がるコンクリート破片、右:直流発電所の窪地Bを南から



左:直流発電所の窪地Bを北東から、右:同左


左:発電機の基礎、右:発電所の建物の基礎

 金蔵山山頂に探照灯が置かれていた。山頂の平坦地Aの中心に、探照灯基礎が埋まっている。最近まで灌木で覆われていたようで、地表付近に太い根が走っており、一部しか掘り出せなかったが、円形のコンクリート構造の一部と、2本のアンカーボルトを確認できた。探照灯基礎から南西方向に、ケーブルを埋めていたと思われる溝が伸びている。また平坦地Aの南東側には、何かわからないが幾つかのコンクリート破片が転がっている。

 平坦地Aの北東下には、探照灯の直流発電所のあった窪地Bがある。約5m×7mに掘りこまれており、発電機の基礎と発電所の建物の基礎、そして天水桶らいし水槽が残っている。発電機基礎は約125p×75pで、アンカーボルトは4か所とも抜き取られているが、その間隔は約70p×65pくらいである。
 探照灯用の直流発電所がこれだけ明確に残っているのは珍しい、というか、これまでほとんど見つけられていなかったので、非常に助かった。

指揮所



右:指揮所の平面図。灰色線は推定される壁の位置



左:指揮所を北東から、右:北西から


左:内部、北側、右:内部、南側



左:南西隅にある塔、右:塔の内部、床


左:塔の内部、窓、右:塔の内部、天井


左:塔の屋上、管制器の基礎?、右:指揮所の床にある何かのコンクリート基礎

 山頂の南東下に、指揮所がある。煉瓦製でモルタルが塗られている。屋根が無いが、周囲にコンクリートの破片が見当たらない為、屋根は木製だったのではないかと思われる。南北約13m、東西約6mで、南西隅に塔が造られている。塔の屋上には探照灯の管制器の基礎らしいものがあり、6本のアンカーボルトが残っている。基礎の周囲にも数本のアンカーボルトが立っており、恐らくは手すりか何かがあったと思われる。


左:内部にあるコンクリート基礎その2、右:北西隅にある水槽


左:南西にある土塁というか切岸、右:東下斜面にあったビール瓶

 塔の部分以外は一つの空間になっているが、モルタルの残り具合から、中央と、北東側に壁が設けられていたようである(図面の灰色線部分)。
 南側の部屋には2基のコンクリート基礎がある。アンカーボルトが出ていたが、寸法は測っていない。北西隅には天水桶と思われる水槽がある。元はもう少し高さがあったようだが、煉瓦が崩されて地面と同じ高さになっている。
 西と東には切岸が設けられている。東下の斜面に当時のものと思われるビール瓶が転がっていた。

水槽



                   右:北西上の一槽式水槽Dを北から



左:一槽式水槽Dを西から、右:三層式水槽Eを北から


左:三層式水槽E、右:南西面下にパイプが残る

 指揮所の南東下に、おなじみの水槽が2基並んでいる。北西上側には一槽式水槽Dが、南東下側には三層式水槽Eがある。水槽Dの寸法は測り忘れたが、水槽Eの寸法は約5.4m×4.2mである。

聴音機



                 右:米軍の航空写真(M122-58、国土地理院)



左:聴音機壕Fの北縁を西から、右:Fの中央部、窪地は残っていない


左:聴音機壕Fを北西から、右:Fの北縁を東から




左:Fから平坦地G方向を望む、右:平坦地G、一面の藪


左:平坦地Gの西端の石垣、右:Fの南東下の石垣

 指揮所と兵舎との間に聴音機壕Fがある。北縁が辛うじて残っているが、他は跡形も無い。ブログ「山へgomen … 山口県の山歩き記録」[5]によると、地元の方の話として、戦前はこの付近は元々畑だったそうであり、また1975年頃の航空写真を見ると、ここから兵舎にかけての尾根と、その南斜面は畑になっている。恐らくは戦後用地が返還された後にもう一度畑を整備した際、聴音機壕の殆どが埋められてしまったものと思われる。

 聴音機壕の西側には平坦地Gがある。米軍の航空写真を見ると聴音壕から繋がっており、移動式の聴音機の格納庫が置かれていたのではないかと思われる。一面草藪で地面がどうなっているかは確認できない。西端には石垣が残っている。
兵舎



            右:1975年頃の航空写真(CCG7411-C68-3、国土地理院)



左:平坦地Hの北西隅にある建物跡を北上からから、右:建物跡の北西隅


左:壁の一部、右:何かの基礎?




左:トイレ跡(大便槽)、右:同左


左:トイレ跡(大便槽)、右:壁の一部


左:平坦地Hの北にある平坦地、右:軍道から平坦地Hへの入り口

 


左:平坦地H、右:軍道の降り口にある海軍標柱


左:九十九折の軍道、右:九十九折の軍道

 尾根の東に、兵舎があったと思われる平坦地Hがある。1975年頃の航空写真を見ると、平坦地Hとその南斜面は畑になっており、平坦地Hの西端には建物がある。その写真にある建物と同じ位置に、煉瓦製の建物の跡が残っている。

 付属しているトイレ(小便器大便槽)の形状などから、戦後に造られた農作業用の小屋というわけではなく、海軍の兵舎施設でよく見かける風呂やトイレ等を併設した建物だったと思われる。戦後、その建物跡を利用して、農作業用の小屋を建てていたのではないだろうか。建物跡一面にセメント瓦が散乱しているが、他の海軍や陸軍の遺構では見かけないことから、これは戦後の物のようである。

 この建物跡の東に、本来は兵舎本体が建っていたと思われるが、1975年の時点で基礎も撤去され、畑に戻されている。現在は藪になっており、探索できなかった。

 軍道(遊歩道)の降り始めの場所に、海軍標柱がある。軍道は北東下へと九十九折れに続いているが、道幅は軽トラが走るには足らないので戦中のトラックだと登れなかったのではないかと思われる。牛や馬が利用されていたのかもしれない。
発電所



            右:1975年頃の航空写真(CCG7411-C68-3、国土地理院)



左:砂防ダム、右:砂防ダム堰堤から北東下を


左:谷の北西上の平坦地、右:その南東下の平坦地




左:谷の底を流れる水、右:砂防ダム近くの古い小屋

  ブログ「山へgomen … 山口県の山歩き記録」[5]によると、発電所は山の北東麓にあったものの、砂防ダムの建設の際に取り壊されたそうである。同ブログには、金蔵山山頂から発電所のある谷へと下って行く記録が書かれているが、その中に1ヶ所水場が出てくる。構造から見て海軍施設のものではなく戦後に造られた水場だと思われるが、私が探索した冬場でも比較的豊富に流れていた谷川の水量から見ても、この谷筋のどこかに海軍施設の水場もあったのではないかと推測される。

 1975年頃の航空写真を見ると、現在の砂防ダムの西側に二連式の水槽らいしものが写っている。これが水槽だとすると、発電所跡でよく見かける発電機の冷却水用の水槽かと思われる。航空写真だと水槽の西隣に3軒の小屋が連なっているようなものが写っている。山に入ってみると谷の西岸に長細い平坦地があり、またその東下にも狭いながらも平坦地がある。この辺に写真の小屋や水槽があったのではないかと思われるが、痕跡は殆ど見つけることができなかった。

 また集落を歩いていると、まるで海軍施設の建物を再利用したような板張りの古い小屋や、煉瓦を再利用した柱等が見られる。これらが特設見張所関連の遺物かどうかはわからない。

日付 呉海軍警備隊戦時日誌[1]等による記事
昭和17年8月 特設見張所(丁)工事施工内報済
仮称ヱ式空中聴測装置1、150cm探照灯(管)1
12cm望遠鏡3、7倍稜鏡4、電源装置1、通信装置1
予定内報施本機密第13033号(17.2.4)
電気及工学兵器装備の訓令官房機密第8038号(17.6.27)
施設工事施工内報呉建機密第21号ノ608(17.8.27)
訓令資料提出呉鎮機密第60号ノ1326(17.7.8)
施工内報に依る竣工予定(17.3.31)
工事中
昭和17年9月 特設見張所(照聴所)、丁乙、工事中
昭和17年11月-12月 照聴所工事中
昭和18年1月-5月 照聴所工事中
昭和18年1月 照聴所(丁)(第3砲台群)工事中
昭和18年5月 呉警機密第5号ノ13、配員の件上申(18.5.24)
昭和18年6月 工事完成(18.6.1)
呉警備隊機密第5号ノ22(18.6.1)に依り配員す
96式150cm探照灯(管制器付)1
仮称ヱ式空中聴測装置1
12cm高角双眼望遠鏡1、7倍双眼望遠鏡4
ディーゼル65馬力発電機1、探照灯用直流発電機1
機密呉警備隊命令第41号(18.6.25)、警戒隊派遣、准士官1、下士官兵5
昭和18年8月 柱島特設見張所竣工
昭和18年9月 施本機密工第1559号(18.8.14)板城村その他特設見張所(丁)施設工事要領変更の件通牒
昭和19年3月 官房機密第10508号の訓令により工事中の照聴所完成
昭和19年6月-9月 既設照聴所
昭和19年10月 既設照聴所、150cm探照灯1、空中聴測装置1
昭和19年11月
 ‐昭和20年2月
150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備
昭和20年8月31日 引渡:
96式150cm探照灯及び同管制器、付属品補用品共、電動直流発電機 1基
仮称ヱ式空中聴測装置、付属品補用品共 1基
ディーゼル交流発電機陸上用40KVA220V三相60KVA配付 2基
建築物 兵舎1、其ノ他付属施設4 [3]

用地:?495m2(文字がカスレて読めない)、建物:459m2[4]