光工廠の防空高角砲台と防空機銃砲台





航空写真からの推測による配置(推測)





光工廠の敷地周辺に、防空高角砲台と防空機銃砲台が配置されていた。
光防空高角砲台と光第三機銃砲台(光砲台北)は辛うじて残っていると思われるのだが、新日鉄の工場の敷地内にあるので立ち入りは難しそうだ。





防空高角砲台とその付近の機銃砲台:



高角砲台とその周辺(米軍の空中写真、USB15-R14-513、国会図書館)


左:2基の高角砲座と関連施設、右:3基の機銃座、その北にも施設(どちらもUSB15-R14-533、国会図書館)


左:最北部、聴音機と探照灯か(USB15-R14-521、国会図書館)、右:同左を別の写真で(USB15-R14-533、国会図書館)


航空写真から、北部の山の中付近に高角砲台とその周辺施設、また2ヵ所の機銃砲台があったことが推測できる。
高角砲座は2ヵ所のみで、3ヶ所目の位置には建物らしきものがある。また建物の北東には円形窪地が写っているが用途は不明。測距儀か何かか?。そしてこの3つの砲座の中心位置に指揮所らしき建物と、そこから3方向に伸びる連絡壕が見える。西側の壕は少し降りて建物のある場所に至っている。東側も写ってはいないが対称構造の可能性が高い。真ん中の連絡壕はそのまま北に延びており、両脇に下った壕が再び合流している。
その北には3ヶ所の機銃座があり、その中央には連絡壕で繋がっている。更にその北にも建物や、その更に北にも施設らしいものが写っている。もしかしたらこれが探照灯建屋かもしれない。
少し北に飛んで、聴音機の擂鉢地形らしいものが写っている。近くに探照灯もあるはずなのだが、写真からは確認できない。
高角砲台から少し西には、現在は削られた小山の上に3ヵ所の機銃座が写ってる。

この砲台を探索された方の記事を読むと、3基の砲座(全壊1、半壊1、完存1)、指揮所、北東の円形窪地とその地下室、交通壕や兵舎跡や水槽、北には探照灯建屋(直流発電機を置き、屋上に探照灯か)について書かれており、ほぼそのまま残っていることが伺える。



日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和17年1月27日 官房艦機第1152号
昭和17年8月 89式12.7cm連装高角砲3基 工事未着工
95式射撃盤1、94式4.5m測距儀2 未
96式150cm1型陸用探照灯及管制器2型2 未
仮称ヱ式空中聴音装置2 未
12cm高角双眼望遠鏡5 未
昭和17年9月 工事施工内報
昭和17年11月 防空砲台工事中
昭和17年12月 竣工予定S18.3.31
昭和18年1月 防空砲台工事中 徳山支隊
昭和18年2月 防空砲台工事中
昭和18年3月 防空砲台工事中
昭和18年4月 防空砲台工事中
昭和18年5月 兵器取付中
昭和18年6月 8月下旬完成予定
昭和18年7月 土木建築工事中、砲のみ据付終了
昭和18年8月 艦本機密第1号ノ11726号(18.8.30)、
 防空砲台に高射装置装備の件照会により2式陸用高射装置を装備
官房機密第206号(18.8.2)、新設工事要領変更の件訓令接受
施本機密第1566号(18.8.24)、新設工事要領変更の件通牒接受
昭和18年9月 防空砲台工事中
昭和18年10月 防空砲台工事中
昭和18年11月 防空砲台工事中
昭和19年7月 12.7cm高角砲2基 官房艦機密第12091号に依り工事中、全量射撃可

機密呉鎮守府命令第235号、昭和19年7月1日(呉鎮)
 呉海軍工廠長は左に依り防空砲台照射聴測装置整理移設を実施すべし
 白木山砲台→光砲台
 96式150cm探照灯1型陸上用1、同管制器2型1、仮称ヱ式空中聴測装置1
昭和19年8月 12.7cm連装高角砲2基 官房艦機密第12091号に依り工事中、全量射撃可
昭和19年9月 12.7cm連装高角砲2基 官房艦機密第12091号に依り工事中、全量射撃可
昭和19年10月 12.7cm連装高角砲2基 官房艦機密第12091号に依り工事中、全量射撃可
士官2、准士官1、下士官兵102(19.10.20)
昭和19年11月 150cm探照灯1基
昭和19年12月 150cm探照灯2基
昭和20年1月 150cm探照灯2基
昭和20年5月 12.7cm連装高角砲 2基、13mm機銃 1丁
96式150cm探照灯2
昭和20年8月31日 引渡:
12.7cm連装高角砲 2基、2式高射装置 1基
94式4.5m高角測距儀 1基、97式2m高角測距儀 1基
96式150cm探照灯(100V)2基、仮称ヱ式空中聴測装置 2基

用地、1300m2
兵舎他、木造7棟、676m2
指揮所他、レンガ造2棟、72m2
弾庫他、鉄筋コンクリート造2棟、60m2

光砲台第一照聴所:
 用地、100m2
 指揮所他、レンガ造2棟、48m2
 兵舎他、木造2棟、39m2

光砲台第二照聴所:
 用地、100m2
 指揮所他、レンガ造2棟、59m2

用地:13800m2、建物800m2





海岸線沿いの応急防空砲台と機銃砲台、その他:



西部、左から機銃座3基と高射砲座3基(USB15-R14-479、国会図書館)


中央部、左から機銃座3もしくは2基、機銃座6基(USB15-R14-479、国会図書館)


東部、中央に探照灯と管制器?、右に機銃座?1基(USB15-R14-479、国会図書館)


東部の建物の屋上に3基の機銃座(USB15-R14-479、国会図書館)


敷地の外、東にある探照灯?(米軍の航空写真、R515-2-132、国土地理院)


現在は埋立が進み海岸線も当時からは変わってしまったが、航空写真を見ると南の海岸線沿いに幾つかの高射砲座と機銃座とがある。
西端の3基の銃座は他のものよりも大きく、25mm連装機銃があったのではと思われる。その東の円形土塁は海岸線では最も大きなものであり、指揮所の他に測距儀や高射装置の円形土塁もあることから、応急砲台の野戦高射砲のものかと思われる。
その東には、3基、もしくは2基の銃座がある。米軍は3基としているが、中上の円形土塁は他2つよりも小さめで、2基+指揮所の可能性が高い。その東には6基の機銃座がある。装備から13mm単装機銃の可能性が高い。
更にその東には、比較的大きな円形土塁1基と、その東西に小さい円形土塁が1基づつ配置されている。米軍は中央と左側を探照灯と管制器、右側を機銃と判別している。13m四連装が1基配備されていたので、これかもしれない。
そして工場の建屋群の中の、敷地の東端に近い建物の屋上に、3基の円形窪地を確認できる。戦時日誌内の記事に「光工廠砲熕部屋上」と出てくるのでこれのことかと思われるのだが、装備は13mm4丁で数が合わない。
最後に工廠の敷地外、光井中学校のある付近に探照灯らしい施設が写っている。現在は山ごと消失し、確認は出来ない。

戦時日誌と引渡目録に出てくる機銃の数と、残っている銃座らしき円形土塁の数とを比較すると、装備は最大でも1+4+3+3+3+6+3=23、それに比べて航空写真側は3+3+3+2(or3)+6+1+3=21(or22)と微妙な誤差。
探照灯と管制器を止めて、大きいのを13mm四連装、両脇を13mm単、2or3を2とすれば、一応数だけは合う。探照灯の数からも、そう考えた方が良いのかもしれない。





光 応急防空砲台

日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和20年1月 7cm野戦高射砲 3門
昭和20年5月 7cm野戦高射砲 3門



光 防空機銃砲台(第一〜第七)

日付 光工廠
(光工廠第一機銃砲台)
光工廠砲熕部屋上
(光工廠第二機銃砲台)
光砲台
(光工廠第三機銃砲台)
昭和16年2月14日 兵備一機密第1818号
昭和17年1月 竣工
昭和17年8月 13mm4連装機銃 1基
7倍双眼鏡1
昭和17年9月 機銃防空砲台
昭和18年1月 機銃砲台 徳山支隊
昭和19年6月 13mm四連装機銃 1基 既設
配員10(光のどこかは不明)
13mm単 4丁 
官房艦機第157号
新設完備
25mm連装機銃 2基
官房艦機第157号
工事中
昭和19年7月 13mm四連1基 既設、
13mm単4門 既設
25mm連装機銃 2基
新設完備せる機銃砲台に
7名配員
昭和19年8月 13mm四連1基 既設 13mm単4門 既設 25mm連 3基 既設
昭和19年9月 13mm四連1基 既設 25mm連 4基 既設
(13mm単の間違いか)
25mm連 3基 既設
昭和19年10月 13mm四連1基 既設 13mm単4門 既設
士官、准士官1、下士官兵12
25mm連 2基 既設
士官1、准士官、下士官兵14
昭和20年5月 13mm四連1基 既設 13mm単4門 既設 25mm連 3基 既設
昭和20年8月31日 引渡 25mm連 3基

日付 光第四機銃砲台 光第五機銃砲台 光第六機銃砲台 光第七機銃砲台
昭和19年9月 25mm連 3基 既設
配員 兵18
25mm連 3基 工事中
官房艦機第4992号
配員 下士官1、兵39
昭和19年10月 25mm連 3基 既設
士官、准士官1、下士官兵21
25mm連 3基 工事中
士官、准士官1、下士官兵39
13mm単6門 工事中
官艦機密第4992号
士官、准士官、下士官兵
昭和19年11月 25mm連3基 工事中 13mm単6門 既設
19名配員
昭和19年12月 25mm連3基 既設
昭和20年1月 25mm連 2基 既設
昭和20年3月 13mm単5門 (1門撤去)
昭和20年5月 25mm連 3基 既設 25mm連 3基 既設 13mm単 5門 25mm連 2基 既設
昭和20年8月31日 引渡 25mm連装機銃 3基 引渡 25mm連装機銃 3基 引渡 25mm連装機銃 3基




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