日御崎 電波探信所 発電所・兵舎


 山頂から南に延びる尾根を下っていくとピークがあるが、この周辺に発電所(G)と兵舎(I、K)がある。



発電所:



左:分岐の北東にある窪地、右:13号電探へと向かう道


左:水槽Eを北から、右:水槽Eを北東から


左:水槽Eの内部、南(左)面下に取水口のパイプがある、右:北西隅には点検用の梯子が


左:水槽Fを北から、右:水槽Fを東から



左:水槽Fを西から、南面内側に点検用の梯子が、右:水槽Fの南面、冷却水用の溝あり


左:東から発電所Gの敷地南側を、右:東から発電所Gの敷地北側を


左:発電所Gの西中央部から北を、右:同左から東を


左:同上から南を、正面手前に用途不明のアンカーボルト群、右:西中央部付近にあるコンクリート構造物


左:発電所Gを北西から、右:発電所Gの中央部にある発電機のアンカーボルト群


左:発電所Gの南にある小山H、崩れた壕がある、右:Hの頂部にある社跡



左:小山Hから発電所Gを見下ろす、西側、右:同左東側


左:小山Hから兵舎の平坦部Iを見下ろす、右:発電所Gの南東隅にある貯水槽


 13号電探への分岐から少し南に下ると、水槽Eがある。寸法は約420cm×325cm、壁厚が35cmである。内面南側底には取水口と思われるパイプが、また北西隅には点検用の梯子が残っている。また水槽の縁には屋根を固定するための鉄丸棒が出ている。生活用水のものかと思われるが、他の呉警備隊管内で見られる3槽式の物と異なっているため定かではない。
 水槽Eの一段南下には、水槽Fがある。寸法は約450cm×355cm、壁厚が25cmである。内面北側には注水口と思われる穴が、また南側には点検用の梯子がある。また水槽の縁には屋根を固定するための鉄丸棒が出ている。さらには外面南側にはコンクリート製の溝があり、それは発電所Gの敷地内へと繋がっている。恐らくは発電機冷却用の水槽であり、この溝は発電機の排水を再び水槽へと導くためのものかと思われる。
 発電所Gの基礎は南北約8.8m、東西約7.2mで、中央に発電機基礎が、またその西隣には用途不明の基礎、そしてその周辺には冷却水用の溝や用途不明のコンクリート構造物がある。発電機のアンカーボルトは、西側の4本が約21cm間隔、他は約31cm間隔の計9本のアンカーボルトが幅77cmで2列に並んでいる。
 敷地の北と南は控え室や倉庫らしく、出入口と思われる辺りには敷石が設けられている。また建屋の4隅には天水用と思われるコンクリート水槽がある。外寸70cm四方、内寸50cm四方で、東側の2つは横に転がっている。
 発電所の南には小山Hがある。北面には崩れた地下壕があり、その上には小さな社跡がある。またこの小山には、この特設見張所の所長をされていた方の息子さんが小さな碑を建てている。






兵舎:



左:発電所の平坦地から下るスロープ、右:兵舎のある平坦地をスロープから


左:兵舎平坦地の南東端、瓦礫が散乱する、右:建屋Iの南東隅のかまど跡


左:かまど跡を西から、右:かまど脇から小山Hを見上げる


左:建屋Iの北側、右:建屋Iの南側



左:建屋Iの中央部、浴槽跡か?、右:建屋Iの北端のトイレ、手前が小便用、奥が大便用


左:建屋Iの西にある壕、右:壕の内部、奥行きは余りない


左:兵舎Kを東から、右:兵舎Kを南から



左:兵舎Kの西端、右:兵舎Kを北から


左:兵舎Kの西端から下る本来の道、右:同左と新しい登山道との合流点


左:崩れた地下壕J、右:壕の近くの海軍標柱



 兵舎のある平坦地には、東に烹炊所、浴室、トイレを兼ねた建屋Iと、西に兵舎Kとがある。
 建屋Iの寸法は、南北約10.3m、東西約5.6mで、南東隅にはかまど跡と思われるレンガとコンクリートの混合構造物が残っている。また中央部には浴槽跡らしい瓦礫が、そして北側にはトレイの基礎がある。また建物の四隅には天水用のコンクリート水槽があったものと思われるが、本来の位置にあるのは北東隅のみであり、南東のものは崖下に落とされ、また南西隅は半分壊されている。天水用水槽の寸法は発電所のものと同じである。
 建屋Iの北西斜面には地下壕がある。奥行きは5m程であり、北面と東面とに棚が作られている。

 兵舎Kの寸法は、南北約8.3m、東西約19mで、基礎を見るに廊下らしきスペースを挟んで南北2ヵ所に分けられていたようである。廊下らしきものの西端には敷石が置かれており、こちらが玄関だったのではないかと思われる。また建物の周りには6箇所に天水用水槽があったようだが、南北中央の2ヵ所のみしか本来の位置に無い。東側の2個は横倒しに、北西隅は遥か崖下に、南西隅は行方不明である。

 また北西斜面には崩れた地下壕跡Jがあり、その西には海軍の標柱がある。
この平坦地の北端中央部から登山道が下っているが、本来の道は兵舎Kの西側から出ている道かと思われる。