小仁方 聴音探照所(特設見張所)


小仁方 聴音探照所(特設見張所)(2007.2.3)



川尻駅の西側、旧道と新道に挟まれた山の尾根上にある。
米軍の航空写真を見ると、3ヶ所の円形施設と、その周辺に平坦地や兵舎らしきものが写っているのだが、現在はっきりと遺構が確認できたのは円形窪地が1ヶ所だけである。戦争末期の造成なので、工事がいい加減で残りにくかったのだろうか。また山は荒れていて、道は殆ど藪と羊歯に埋もれている。





左:主要部周辺、右:米軍の航空写真(R512-1-11、国土地理院)




左:C周辺、右:CからBを望む



左:円形窪地A、右:同左の南縁



左:円形窪地Aの南西縁、右:Aの内部から土塁を見る



左:Aの北東隅の凹み、右:同左を内部から



左:Aを南から、右:Aの南下の尾根



左:南東端付近の遺構らしきもの、右:同左の上面



左:半円に切欠いている、畑の造作ではない、右:同左を南側から



左:南側の出口、右:北側の入口






北西から山に入ったが、初めの内は耕作されなくなった段々畑が続く。一つ目のピークDまで、またDと最高所Cとの間には平坦地らしきものがあるが、それ程広くないので兵舎等の施設を作るのは難しそうである。
Cは羊歯が多く、平坦地なのか何らかの窪地になっているのかは不明である。Cの北東側には幅1m程の段が回り込んでいる。Cに何らかの施設が造られていたとは思われるが、何があったのかは見当がつかない。
CからBにかけてなだらかな斜面が続いている。航空写真ではこの辺りに兵舎らしきものが3つ写っているのだが、なだらかでも斜面では建物を建てるには適さない。戦後畑にした時に地面そのものを加工してしまったか、大雨で崩れて今のようになってしまったか、もしくは写真が間違っているかくらいしか思い当たらない。BからAにかけての尾根は平らに近くなるが、幅は狭い。
Aに内径が約5mの円形窪地がある。窪地内部の北東側には凹部が設けられている。大きさからして探照灯を設置したものかと思われるが確証はない。Aの南下にも尾根があるが、少し斜面になっている上に幅が狭い。
更に段々畑跡の急斜面を下って尾根の分岐を南東方向へ進んでいくと、もう一ヶ所ほど何かの遺構があったと思われる場所に出る(冒頭の地図の南東端の黒丸、標高60m付近)。半円状に切欠いて平坦地を造っていたり、岩と岩の間に石垣が組んであったりするのだが、羊歯が生い茂っているために一見してこれと判るような状態ではなく、何ともいえない。ただ、引渡目録を見ると聴音機は仮設とあるので、この程度の造りでも十分だったのかもしれない。
更に南東に下りて墓場と畑に出ると、ここからは道がついており、空家の横を通って呉線を越えて国道185号線に出る。比高は高いが、南から登った方が多少は登りやすいかもしれないが、鉈・鎌は必携の難所である。

畑になっていた形跡があるので私有地かと思われる。可能なら所有者に一言断ってから入るべきだろうが、北側には民家が無く、南側の民家は空家だった。こういう場合はどうするべきだろうか。


日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和19年11月 150cm探照灯1 新設 官房艦機密第5347号に依り工事中
機密呉鎮守府命令第443号
 秋月、吉松山、音戸、情島、新開、飛渡ノ瀬、三高、毘沙門、小仁方に探照灯台設置を令す(呉鎮)
昭和19年12月 探照灯台 工事中
昭和20年1月 探照灯台 工事中
昭和20年2月 新配備 探照灯台
探照灯台 工事中
白木山・亀ヶ首のヱ式空中聴測装置各1を三高、小仁方に移設を令す(呉鎮、S20.2.2)
昭和20年8月31日 引渡:
96式150cm探照灯及び同管制器、付属品補用品共、電動直流発電機 1基
仮称ヱ式空中聴測装置、付属品補用品共 1基 仮設

用地:13000m2、建物:160m2



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