前島の防空砲台




2014.6.24 一部修正



前島 防空砲台(2006.5.14)


米軍の航空写真(左:M122-46、右:M120-53、国土地理院)



米軍の航空写真(左:M741-A-88、右:M741-A-89、国土地理院)




右:航空写真を基に修整




左:林道の終点から西側を見る…一面の藪(F)、右:矢竹の密林(B付近、これでも一応切り開き済)



左:指揮所Bの中央部、右:同左の下側、窓枠と雨戸が残る



左:指揮所Bの外壁、右:指揮所Bの南側の水槽



左:指揮所Bの東上の水槽、右:同左の中



左:東側の砲座A(本当に砲座があるんですよ、ここに)、右:同左の凹部のコンクリート



左:東側の砲座Aの地下退避壕、中央の壁が壊されている、右:退避壕と階段



左:階段、右:退避壕中央側のレンガ壁と謎の穴



左:謎の穴の内部、右:退避壕への入り口



航空写真を基に修整



左:西側の砲座C、右:砲座の中央部の窪み



左:砲座側壁と退避壕へと下りる階段、右:だいたいこんな感じ



左:砲座Cの東側の凹部、右:砲座Cの東側



左:謎のC字型土塁(D付近)、右:同左のアップ、高さは30cmくらい



左:中央には穴とそれから延びる溝が、右:C字型土塁北東側の方形穴



左:円形窪地E、右:中央には円形の基部が



左:Eの中央部、右:Eの外周部



左:山の麓にあるヘリポート、右:港から砲台のある山を望む



航空写真を基に修整


前島防空砲台は戦前に造られた初期の防空砲台の一つである。ただ場所が呉から離れすぎていた為、竣工から1年ちょっと経過していないにも関わらず昭和17年の再編成で廃止されてしまう。しかも白木山や鹿ノ川のように見張所に格下げされる事も無かった。


砲台までアクセス可能か調べて見ると、山口県の観光協会か何かの離島紹介ページで、「山頂の展望台からの眺めは最高」云々と記されており、また周防大島の久賀港からは日に3便の渡し船が出ている事も判ったので(2014年現在もまだ一応あるようだ)、気楽に島へと渡った。
しかし、島の衰亡と同じく展望台も使われる事も無くなったようで、コンクリート舗装の林道が行き着く広場から上は、一面に矢竹(直径5mm前後の細い竹)が群生して行く手を阻んでいた。
普通ならそのまま諦めて帰るところだが、帰りの船便まで4時間も時間があった為に気合を入れて道を造って進む事にした。

鉈を振るいつづけること2時間以上、漸く東側の砲座Aまでの軍道を開鑿することが出来たが、行き当たった砲座もその周りも藪に覆われており、一気にやる気を無くしてしまう。一見した所、亀ヶ首の砲座と同じだったので2、3枚写真を撮って帰ろうと思ったが、ふと気になって砲座の底にある階段を下りてみると、砲座の地下に部屋があったのである。

地下式の退避壕のようで、壁は破壊されてドアは持ち去られていた。砲座の中心側はレンガ壁になっており、下側には謎の穴がある。穴の中は一旦下に下がってから砲座中央方向へトンネルが延びており、砲座を駆動する電線か何かを通していたのか、メンテナンスの為の通路か何かだったのかもしれない。

砲座の西斜面(B付近)には、大型のコンクリート製水槽と、亀ヶ首にあるのと同じ型の指揮所と思われる建物の残骸が残っている。他にも所々に掘削平坦地や円形窪地があるのだが、矢竹が酷くて確認が出来ない。


広場の西端から西側の斜面は、比較的なだらかな上に藪も無く、残り時間30分程になってここを直登してみたところ、西側の砲座Cを発見した。
東側の砲座Aよりも藪が薄く、初めからここへ取り付いて置けばよかったと後悔するが仕方が無い(軍道を切り開いていた時、一度間違えてこちら方向へ進んでいた)。砲座の東側は平坦地が続くが、Gの周辺は矢竹の藪になってしまう。

砲座Cの西側も平坦地が続いている。しばらく西に行くと、C字型(というか視力検査のあれ)をした、高さ30cmくらいの土塁がある。中央には円形窪地があり、そこから溝が南東側に延びている。恐らくは探照灯を設置する予定だったのではないかと思われるが、基礎などの明確な特徴は残っていない。

西端には砲座と直径がほぼ同じ円形窪地Eがある。周囲は土塁、中央には円形基部がある。聴音機を設置する予定だったのではと思われるが、形状が他のようなすり鉢状地形でなく、基礎も広く大きい。基部上のアンカーボルトの有無くらい調べておけば良かったのだが、当時は探索を始めて間もない頃で、その辺の知識は存在しなかった。



米軍の航空写真を見ると、砲座は3基写っている。砲座AとCの間に3基目の砲座Gがあるものと思われる。また砲座Cの北側の尾根沿いと、平坦地Fの南側の尾根沿いにも、何らかの施設らしきものがある。

未調査部も多いのでもう一度行きたいが、早く行かないと定期便が廃止されてしまいそうな島の廃れ具合である。


日付 呉海軍警備隊戦時日誌による記事
昭和15年9月11日 官房機密第6287号
昭和16年6月 竣工
昭和16年11月 防空砲台、第三砲台群(下士官8、兵17)
准仕官以上3、下士官兵86、無線電信
12.7cm高角砲4門、サ式4m測距儀1、150cm1型陸上用管制器付1
ディーゼル交流発電機2、電動直流発電機2、一部未完成
准士官以上3、下士官18、兵68
昭和16年12月 防空砲台
昭和17年1月 防空砲台
昭和17年4月 89式40口径12.7cm連装高角砲2基
サ式4m高角測距儀1
96式150cm1型陸用探照灯及管制器1、仮称ヱ式空中聴音装置1
ニイ型(新潟の誤植か?)単動ムキフンユ4サイクルディーゼル機械60mVA交流発電機2、38式小銃6
配員 下士8(臨14)、兵16(臨31)
昭和17年8月 7倍双眼鏡2、12cm高角双眼望遠鏡2
TM式無線電話、白木山経由有線電話敷設中
砲座3基の所2基装備
昭和17年9月 防空砲台第3砲台群
昭和17年10月 兵器撤去訓令 S17.10.29
昭和17年11月 官房艦機密第13407号による装備兵器を速やかに撤去すべし(17.11.11)
機密呉鎮守府命令第32号により兵器撤去完了 S17.11.22
昭和20年8月 引渡目録:
用地:37797m2、建物:406m2



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