音戸の防空砲台





音戸 防空砲台(2006.4.28)


右:米軍の航空写真(R462-5、国土地理院)


三子島の東側に、音戸防空高角砲台がある。霊園と慰霊碑の建設の為に多少破壊されているものの、4基の砲座はしっかりと残っている。
航空写真を見ると、兵舎等はあまり写っていない。末期の築城なのでわざわざ作らずに他の建物を利用したのか、それとも写真に写っていないだけなのかは判らない。




砲台西部






左:砲座1の南側の石垣、右:砲座1と砲座1の付属窪地



左:砲座1、右:砲座1の北側の連絡通路



左:砲座2、右:砲座2の付属窪地



左:円形窪地、右:円形窪地



左:砲座3の北西側の石垣、右:砲座3の西の連絡通路



左:砲座3、右:砲座3の付属窪地



左:砲座4とその付属窪地、右:砲座4



左:東端の連絡通路、右:同左



戦時日誌によると、10年式12cm高角砲4基とある。その記述と合うように、4基の砲座跡が平坦部に残っている。平坦部の殆どは竹薮になっており、写真撮影こそ難しいものの藪化していないので移動はしやすい。
南端と北端の砲座の斜面側には石垣が築かれ補強されている。また其々の砲座には小さな円形窪地がペアで配置されている。ただこれが何の役目を担っていたのかは不明。それ以外にも独立した円形窪地が3ヶ所ある。
平坦面から斜面へ幾つかの連絡通路が作られている。通路の先を辿っていけば何らかの遺構に行き当たったのかもしれない。
平坦地の東端は霊園の造成の為に削られている。




砲台東部






左:ピーク北斜面の石垣、右:頂上平坦地



左:平坦地北西下の掘削平面、右:尾根上の井戸



左:北西端の円形窪地、右:北の平坦面の土塁?



左:東側ピークを望む、右:砲座部南下の平坦地



慰霊碑の裏手にも何かしらの遺構があったものの、全般的に見て畑のようである。唯一砲台らしい遺構は北西端にある円形窪地だけ。石垣の造りも、砲座の石垣には石の隙間にコンクリートが詰められていたが、こちらの石垣にはそういった補強はされていない。頂上平坦地にもこれといった遺構は残っていない。





右:米軍の航空写真(R462-5、国土地理院)


航空写真を見ると、音戸砲台の南側に1個半の円形窪地が写っている。偽装砲台かもしれないし、音戸砲台付属の探照灯の台座かもしれない。地図を見ると鉄塔が建っているので、既に破壊されてしまっている可能性もある。




日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和17年3月 渡子島村、将来砲台建設要望
昭和19年8月 12cm高角砲4門 官房艦機密第4992号に依り工事中
昭和19年9月 12cm高角砲4門 官房艦機密第4992号に依り工事中
昭和19年10月 12cm高角砲4門 官房艦機密第4992号に依り工事中、全量射撃可 10/25試射済
配員 准士4、下士34、兵113
昭和19年11月 12cm高角砲4門 官房艦機密第4992号に依り工事中
機密呉鎮守府命令第443号 秋月、吉松山、音戸、情島、新開、飛渡ノ瀬、三高、毘沙門、小仁方に探照灯台設置を令す(呉鎮)
昭和19年12月 12cm高角砲4門 一部付属装置の外完備
150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備
昭和20年1月 12cm高角砲4門 完備
150cm探照灯1、空中聴測装置無し 完備
昭和20年2月 12cm高角砲4門 完備
150cm探照灯1、空中聴測装置無し 完備
昭和20年8月31日 引渡:
12cm高角砲4門
2式陸用高射装置 1組
ステレオ式2m高角測距儀付属品補用品共 1組
96式150cm探照灯及び同管制器、付属品補用品共、電動直流発電機 1基
仮称ヱ式空中聴測装置、付属品補用品共 1基 仮設
12cm高角双眼望遠鏡 1個、8cm双眼望遠鏡 1個

用地:56500m2、建物:211m2
用地:9203m2(?)



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