徳山周辺の防空機銃砲台












大迫田・畑山 防空機銃砲台(消滅)


米軍の航空写真(昭和20年5月の空襲中、USB15-R14-0637、国会図書館)


畑山?

右:米軍の航空写真(昭和20年5月の爆撃中のもの、USB15-R14-0637、国会図書館)


航空写真を見ると、徳山燃料廠の大迫田地下油槽群の敷地内に、大迫田防空機銃砲台らしきものが写っている。ここが本当にそうかは不明。
昭和20年3月に配置変更となり、名称が畑山となる。場所はこちらも不明だが、上図の辺りかと推測する。


日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和12年9月4日 官機第3562号
昭和14年4月 竣工
昭和16年11月 機銃防空砲台
昭和16年12月 機銃防空砲台
昭和17年1月 機銃防空砲台
昭和17年3月 特設見張所 将来要望
昭和17年8月 留式7.7mm 2丁
昭和17年9月 機銃防空砲台
昭和18年1月 機銃砲台 徳山支隊
昭和19年6月 新設完備せる機銃砲台に19名配員
留式7.7mm2基 既設
13mm単装機銃6門 官房艦機第157号により新設完備
配員19
昭和19年7月 13mm単6門 既設
昭和19年8月 13mm単6門 既設
昭和19年9月 官房艦機4992号機銃砲台 配員 下士官1、兵73
25mm連3基 既設
25mm連3基 工事中(官房艦機密第4992号)
25mm連6門 既設(13mm単の間違いか?)
昭和19年10月 25mm連3基 工事中(官房艦機密第4992号)、13mm単6門 既設
士官、准士官、下士官兵23(19.10.20)
昭和19年11月 13mm単6門 既設
昭和19年12月 13mm単6門 既設
昭和20年1月 13mm単6門 既設
昭和20年3月 25mm連3基 場所変更によって畑山に変更
昭和20年5月 畑山 25mm連3基 既設
昭和年月 引渡(畑山):  25mm連装機銃 3基

用地、19783mm2
兵舎他、木造3棟、161m2

徳山市茶畑山







大迫田地下油槽群周辺の防空機銃砲台(消滅)


田平

右:米軍の航空写真(昭和20年5月の爆撃中のもの、USB15-R14-0637、国会図書館)


遠石

右:米軍の航空写真(昭和20年5月の爆撃中のもの、USB15-R14-0637、国会図書館)


五郷??



田平と遠石は、引渡時の地名などから、上記の場所でほぼ間違いないと思われる。
五郷だが、場所は相変わらず不明。周南市周辺で遺構を探索されている方のブログによると、不明ながらも徳山駅近くの晴海埠頭にあった五卿碑の付近ではないのか、と推測されている。引渡目録に出てくる浜崎西開作はこの付近であり、この推測の通りではないかと思われる。「五卿」と「五郷」と間違えたのではないかと書かれているが、誤字が比較的多い戦時日誌なら考えられる話ではある。






大迫田地下油槽群周辺の防空機銃砲台

日付 遠石 田平 五郷
昭和19年3月 官房艦機密第157号(19.1.14)
「支那方面及内地防空砲台新設並に整備の件」
訓令により機銃砲台工事中、
土工事完了
昭和19年6月 新設完備せる機銃砲台に16名配員
25mm連装機銃2基
 官房艦機第157号により新設完備
昭和19年7月 25mm連2基 既設 新設完備せる機銃砲台に18名配員
25mm連装機銃3基
 官房艦機密第157号に依り新設完備
昭和19年8月 25mm連3基 既設 25mm連3基 既設
昭和19年9月 25mm連3基 既設 25mm連3基 既設
配員 少尉1、下士官兵24
官房艦機4992号機銃砲台
配員 准士官1、下士官兵73
25mm連3基 工事中
(官房艦機密第4992号)
昭和19年10月 25mm連4基 既設
士官1、准士官、下士官兵28
25mm連3基 工事中
(官房艦機密第4992号)
士官、准士官1、下士官兵24
昭和19年11月 25mm連3基 工事中
昭和19年12月 25mm連3基 既設
昭和20年5月 25mm連4基 既設 25mm連3基 既設 25mm連3基 既設
昭和20年
 8月31日
引渡:
25mm連装機銃 4基

用地、7755mm2
兵舎他、木造4棟、182m2
徳山市上ノ山
引渡:
25mm連装機銃 3基

用地、5069mm2
兵舎他、木造1棟、13m2
徳山市東山田平

用地:14099m2、建物:140m2
引渡:
25mm連装機銃 4基

用地、547mm2
兵舎他、木造2棟、49m2
徳山市浜崎西開作








徳山燃料廠周辺の防空機銃砲台(消滅)


廠内??

右:米軍の航空写真(昭和20年5月の爆撃中のもの、USB15-R14-0641、国会図書館)


中央突堤?

右:米軍の航空写真(昭和20年5月の爆撃中のもの、USB15-R14-0641、国会図書館)


廠西?、支隊本部?

米軍の航空写真(左:R515-2-118、国土地理院、右:昭和20年5月の爆撃中のもの、USB15-R14-0637、国会図書館)




航空写真なのだが、空襲中のものは燃料廠そのものが空襲中(燃料廠東部)および空襲後(燃料廠西部)なので確認できない。また戦後のものは空襲による破壊によって確認できない。それらしきものも写ってはいるのだが、断定する材料が無いのでどうしようもない。


日付 第三燃料廠
(廠内)
第三燃料廠構内
(中央突堤)
廠西 衛兵隊本部 支隊本部
昭和16年2月14日 兵備一機密第1818号
昭和17年1月 竣工
昭和17年5月 機密呉鎮守府命令第135号
機銃防空砲台仮設の件、
40mm連装機銃1(呉鎮)
昭和17年6月3日 機密呉鎮命令第135号
昭和17年8月 13mm4連装機銃 1基
7倍双眼鏡1
13mm機銃砲台跡に工事中、
40mm連装機銃1
17.6.11現地調査終了
住居は付近の倉庫を利用
昭和17年9月 徳山として機銃砲台一覧に
昭和17年12月 40mm連装機銃 1基
12/1完成
昭和18年1月 機銃砲台 徳山支隊 機銃砲台 徳山支隊
昭和18年12月 呉鎮機密第79号ノ2(18.12.31)
防空用機銃貸与の件訓令接受
(毘式40mm二連装機銃付属品
補用品共3基及通常弾薬包4200発
曳跟弾1800発本隊に貸与)
昭和19年6月 13mm四連装機銃 1基 既設 40mm連装機銃 1基 既設 40mm連装機銃3基 
呉鎮命令第34号により
新設完備
昭和19年7月 13mm四連1基 既設 40mm連1基 既設 40mm連3基 既設
昭和19年8月 13mm四連1基 既設 40mm連1基 既設 40mm連3基 既設
昭和19年9月 13mm四連1基 既設 40mm連1基 既設 40mm連3基 既設 25mm連 2基 既設
昭和19年10月 13mm四連1基 既設
士官1、准士官、下士官兵9
40mm連1基 既設
士官1、准士官、下士官兵9
40mm連3基 既設
士官1、准士官、下士官兵28
3年式機銃2門 25mm連2基 既設
士官、准士官、下士官兵14
昭和19年11月 3年式機銃 2丁
昭和19年12月 3年式機銃 4丁
昭和20年1月 7.7mm機銃4
昭和20年5月 13mm四連1基 既設 40mm連1基 既設 40mm連3基 既設 7.7mm機銃4、小銃134、
連隊砲1 既設
25mm連 2基 既設
昭和20年8月31日 引渡:
25mm連装機銃 3基
引渡:
40mm連装機銃 1基
引渡:
40mm連装機銃 3基






大浦 防空機銃砲台


米軍の航空写真(中:M120-38前後?、右:山口県の空襲より)


航空写真を見ると、大浦油槽所(現在の出光大浦油槽所)の南西側斜面を走る道路の途中にそれらしきものが写っている。
探索された方のブログによると、遺構が幾らか残っているそうである。


日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和19年8月 25mm連2基 既設
昭和19年9月 25mm連装機銃3基 既設
配員 少尉1、下士官兵16
昭和19年10月 25mm連3基 既設
士官1、准士官、下士官兵19
昭和20年4月 25mm連3基 既設
昭和20年5月 25mm連2基 既設
(敵機襲来1基破損)






小野 防空機銃砲台(不明)


場所不明。
徳山周辺には小野という地名は徳山市街の北にある徳山小野くらいだが、なぜここに機銃砲台を置かなければならないのかわからないので、別の場所なのかもしれない。


日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和19年7月 25mm連装機銃 6基 新設工事中





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