津和地島 聴音探照所(特設見張所)


2008.3.29探索
2009.3.1再探索


左:米軍の航空写真(M120-61、国土地理院)


米軍の航空写真(左:M120-61、右:M822-1-2、国土地理院)

愛媛県の津和地島に聴音探照所が造られており、集落の西側にある標高168mの山頂周辺に施設跡が残っている。戦後に蜜柑畑として整備された後に再び放棄されており、現在はすっかり荒れて道も無くなっている。東側の斜面にあった蜜柑畑から寄せたが、殆どの行程を藪こぎさせられる羽目になった。どうせ行くなら中島か安居島にすべきである。
また地図には無いものの、山の中腹付近を農道がほぼ一周回っている。ただし登り口は島の北側と西側で、集落がある場所から直接農道に上がる道は無い。



頂上東部:



左:平坦地Aの東側、右:水槽C


左:平坦地Aの東側、右:建物基礎B


左:建物基礎B、右:同左、瓦礫


左:平坦地Aの中央部、右:平坦地Aの西側


左:縦堀D、北側、右:縦堀D、南側(斜面上から撮影)


左:三槽式水槽E、右:二槽式水槽E


左:二槽式水槽E、右:E-F間の尾根から南側を望む


左:半円形土塁F、右:同左中央部の瓦礫


左:Fの北西下の平坦地、右:Fを南西下から望む



東側のピークと168mピークの間は平坦地Aになっている。東側に埋め込み式の水槽Cがあるが、これは戦後に蜜柑畑として整備された際に追加されたものかと思われる。平坦地Aの南西部には建物の基礎らしき瓦礫Bがある。指揮所としては小さいので、トイレや浴室等の残骸かもしれない。
平坦地Aの西端の北西側に縦堀が2つあるが(D)、恐らくは地下壕が陥没してできた形状かと思われる。中に何があったかは不明。
またその南側の斜面には三槽式と、倉庫に改造された水槽がある。兵舎の生活用水の水槽かと思われる。
168mピークには狭い平坦地Fとその北側に半円形土塁がある。平坦地の中央にはコンクリートの瓦礫が散乱しており、恐らくはここに探照灯の基礎があったのではないかと思われるが、ハッキリとは判らない。また平坦地の北下には2ヶ所の狭い平坦地があった。




頂上西部:



左:尾根Gから北西側を望む、右:尾根G付近の水槽、恐らく戦後のもの


左:尾根Gから南西を望む、右:平坦地H


左:円形窪地Iの外周の石垣、右:同左


左:円形窪地Iの擂り鉢地形の斜面部、右:同左


左:円形窪地Iの中央部にある基礎、右:同左を引き気味のアングルで


左:外周の石垣、南西側、右:平坦地J



168mピークの南西側の尾根Gには何もない。航空写真(M120-61)を見ると、Gの辺りに指揮所らしい建物が写っている。しかし現在の地形ではとても指揮所が建っていたような広さの平地は無く、戦後に蜜柑畑になった際に壊されたか埋められてしまったのかもしれない。またGには水槽が2基あるものの、大きさや構造から戦後のものと思われる。
Gから南西に登った場所に平坦地Hがある。南側に土塁を回しており手がかかっているものの、用途は不明。
南西側のピークには半径10m程の擂り鉢形状をした円形窪地Iがある。中央には8本のアンカーボルトが植えられたコンクリート基礎がある。アンカーボルトの対角長は70cmで、擂り鉢形状からも聴音機の基礎かと思われる。また呉の秋月防空砲台の聴音機の円形窪地と同様に周囲に石垣を回している。
南西端には比較的広い平坦地Jがあが、熊笹が茂っていたのと疲労がピークに達していたのとで建物の基礎の有無は確認していないが、広さからすると指揮所はここかもしれない。




発電所、貯水池:

左:二槽式水槽A、右:同左を南側から


左:水槽を東側から、右:同左


左:水槽中央部、右:水槽の北端


左:発電所があったらしき場所を西側から、右手に貯水タンクC、右:貯水タンクC


左:貯水池Bの堰を北下から、右:堰があるが藪で写真だとわからない


左:揚水所を利用した小屋、右:小屋の北面


左:小屋の西面の北側、右:同左南側


左:小屋を南西から、右:右側が貯水池になる


左:貯水池南側、右:貯水池中央部


左:貯水池北側、右:中央部付近から小屋を


左:堰の付近から北側を望む、眼下に貯水タンクC、右:貯水タンクCのある谷を北側から



北西側の谷筋に、貯水池と発電所らしき場所がある。この谷筋で新玉ねぎの刈り取り作業をしていた年配の方に伺ったものの、ここが貯水池と発電所であることを確認できなかった(島の南東側にあるとかおっしゃってた)ので確定は出来ないものの、遺構からここではないかと思われる。

島の貯水トンネルの北側の出口にある貯水タンクCの北東側に、二連式水槽Aがある。南北約7m、東西が約4mであり、他の特設見張所で見られる発電機の冷却用水槽と大きさと形が良く似ている。水槽の壁面上部には屋根を固定するものと思われるアンカーボルトが幾つか見受けられる。水槽の東側には小屋が二棟あるものの最近のもののようである。安居島のもので見られた取水用のパイプやフランジといったものは見つけられなかった。


貯水タンクCの南東に伸びる谷の奥に、貯水池Bがある。北西側に堰を築いて貯水池にしていたと思われるが、現在は池の部分は埋まってしまっており、草などが生えている。ただ湧き水は現在も出てきており、貯水タンクCの方向へ流れていた。
堰の東側には小屋が建っている。南北が約4m、東西が約2m、上の部分はトタン板だが基礎の部分がレンガ造りであり、組み方やレンガの状態から戦争中のものと推測できる。恐らくは揚水用のポンプを設置していた建屋の跡ではないだろうか。




その他:

左:港から山を望む、右:南東下の貯水槽から山頂を望む


左:頂上付近の荒れた蜜柑畑の石垣に使用された瓦礫、右:東端の斜面から南側を望む


山頂付近の蜜柑畑跡では、瓦礫を再利用した石垣が到る所にある。この島では石が不足していたのだろうか。



地元の方に伺った話をまとめておく。

集落の近くの畑:
(1)建設の際に、現在の貯水槽(南西に伸びる尾根の鞍部)の近くからレンガを運び上げた
(2)揚水所は西側で、貯水トンネルの出口辺りに堰を作って水を貯め、そこから上にくみ上げていた


貯水タンクCのある谷:
(4)昔はこの奥から山頂に登れていた。今は荒れている
(5)兵舎はてっぺんにあった
(6)兵舎を蜜柑の倉庫に利用している。倉庫にするくらいだから結構大きな筈だ

南東側の農道脇の畑:
(7)(6)の倉庫は水槽の壁を崩して屋根を付けたもの
(8)猪が多いので登らない方が良い

小学校近く:
(9)発電所はアザミ(島の北西側)の方。畑になって跡形も残っていない


記憶違いか、こちらの質問が悪かったのか、矛盾した話もあるものの、だいたい合っていると思われる。




日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和16年11月 聴測照射所、第三砲台群(下士官0、兵8)
准仕官以上1、下士官兵20、無線電信
150cm1型陸上用管制器付1、電動直流発電機1、一部未完成
下士官4、兵15
昭和16年12月 聴測照射所 工事中
官房機密第11482号
昭和17年1月 聴測照射所 工事中
昭和17年2月 聴音照射所 工事中
昭和17年3月 特設見張所 既設(?)
昭和17年4月 12cm高角双眼望遠鏡1、8cm高角双眼望遠鏡1
25kw池貝式ディーゼル発電機1 近日還納予定
移動式1kw揮発油機械1 近日還納予定
配員 下士(臨3)、兵(臨22)分隊士のみ
昭和17年8月 特設見張所(丁)既設
仮称ヱ式空中聴測装置1、150cm探照灯(管)1
8cm望遠鏡1、12cm望遠鏡1、TM式無線電話1、ディーゼル発電機2
昭和17年9月 特設見張所(照聴所)、丁乙
昭和18年1月 照聴所(丁)(第3砲台群)
昭和18年6月 機密呉警備隊命令第41号(18.6.25)、警戒隊派遣、准士官1、下士官兵5
昭和19年6月 既設照聴所
昭和19年7月 既設照聴所
昭和19年8月 既設照聴所
昭和19年9月 既設照聴所
昭和19年10月 既設照聴所、150cm探照灯1、空中聴測装置1
昭和19年11月 150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備
昭和19年12月 150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備
昭和20年1月 150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備
昭和20年2月 150cm探照灯1、空中聴測装置1 完備
昭和20年8月31日 引渡:
96式150cm探照灯及び同管制器、付属品補用品共、電動直流発電機 1基
仮称ヱ式空中聴測装置、付属品補用品共 1基
ディーゼル交流発電機陸上用40KVA220V三相60KVA配付 2基
建築物 兵舎1、其ノ他付属施設3

用地:16595m2、建物:436m2







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