吉浦・両城・新宮 防空高角砲台・防空機銃砲台





吉浦 応急防空高角砲台(消滅)


米軍の航空写真(M310-70、国土地理院)


北東部の7cm野戦高射砲陣地(M310-70、国土地理院)


左:南西部の12.7cm連装高角砲台予定地(M310-70、国土地理院)




フェンス越しに見る海自貯油所


航空写真を見ると、現在の海上自衛隊の吉浦貯油所内の尾根上に、工事中の12.7cm連装高角砲の砲座と、6基の砲座と4門の野戦高射砲が写っている。12.7cm連装高角砲の砲座は、まず中心に円筒を埋め込む事から始まるのが判ってよい。
恐らく現在は立ち入り禁止である。また砲座のあった尾根上は現在貯油所の施設が造られており、遺構は残っていないものと思われる。

日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和19年11月 呉鎮命令第425号に依り工事中(訓令あり次第砲装備)
昭和20年1月 新配備 88式7.5cm野戦高射砲6門 応急高角砲台
応急砲台(7cm)完備
昭和20年2月 応急砲台(7cm)完備
昭和20年8月31日 引渡:
12.7cm連装高角砲3基(工事中)
7.5cm野戦高射砲4門
90式航速測定器 1組
94式4.5m高角測距儀付属品補用品共 1組
97式2m高角測距儀付属品補用品共 1組
96式管制器 1組 (仮設)

用地:9200m2、建物:130m2(野高)
用地:17435m2





新宮 防空砲台(消滅)


米軍の航空写真(M282-121、国土地理院)


米軍の航空写真(左右共:M282-121、国土地理院)


左:米軍の航空写真(M282-121、国土地理院)、右:昭和20年4月の偵察写真


米軍の航空写真(日本大空襲 / 月刊沖縄社 より)







左:日新製鋼若葉クラブ、右:同左



左:防空砲台のあった山は団地に、右:防空壕


日新製鋼の若葉クラブの建物のある高台とその東側の団地の辺りが新宮の防空機銃砲台跡である。遺構は消滅してしまい跡形も無い。若葉クラブの入り口付近に防空壕があるが砲台関連のものかは不明である。


航空写真を総合して見てみると、東側の尾根筋の最北部に8cm高角砲の砲座がある。戦後の航空写真(M282-121)では耕地化されて円形窪地は5ヶ所しか確認できないが、広さからしてあと2ヶ所(6門+測距儀)はあると思われる。

そしてその尾根筋の南側に、3ヶ所の円形窪地のあいた平面が2つ並び、更にその平面と道路の折れ曲がり部の間の尾根には狭いながらも1ヶ所の円形窪地がある(日本大空襲の航空写真を参照)。またこの他に道路を挟んで西側の丘陵上に3ヶ所の円形窪地跡と思われる地形もあり、またその北西にも、広さとしては3ヶ所分の平坦地がある。 小型の円形窪地の数は、3+3+1+3+3=約13ヶ所はあったのではないかと思われる。新宮での機銃の数は、最後の記録である昭和19年10月のもので40mm単1、25mm連3、25mm単6(工事中)なので、記録とほぼ一致する。

引渡目録によると、噴進砲が3基ある。この噴進砲は25mm三連装機銃の架台を利用したものなので、高角砲座もしくは機銃座に配置可能であるため、どこに配置されていたかは不明である。





新宮防空高角砲台
日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和19年9月 8cm高角砲6門 螺山・鹿ノ川から移設工事中
昭和19年10月 8cm高角砲6門(螺山、鹿ノ川の砲6門配置) 呉鎮命令402号により工事中
昭和19年11月 新配備 15.5cm三連装1基 未配装備 呉鎮命令第436号による応急砲台、
配員 准士1、下士5、兵45
8cm高角砲6門 呉鎮命令第402号に依り螺山鹿ノ川の砲6門装備工事中

機密呉鎮守府命令第436号応急用防空砲台構築の件(別紙第一)
対空砲台整備予定地:城山又は新宮 15.5cm三連装砲1(呉鎮)
昭和19年12月 新宮、烏帽子、高烏、螺山 計12門 完備
新宮、烏帽子、高烏 計12門 完備
昭和20年1月 現状 8cm高角砲6門

機密呉鎮守府命令第10号 昭和19年機密呉鎮守府命令第436号中左の通改正す
「城山又は新宮」の項を削る(15.5cm砲台)(呉鎮)
昭和20年2月 8cm高角砲6門 完備
昭和20年8月31日 引渡:
噴進砲3門
96式管制器 1組 (仮設)
建築物 兵舎1、其ノ他付属施設2 

用地:12600m2、建物:300m2(新宮砲台、呉市)
用地:4400m2、建物:400m2(新宮、呉市新宮町)



新宮防空機銃砲台
日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和17年5月 官房機密第5409号(17.5.3)
機密呉鎮守府命令第135号機銃防空砲台仮設の件、40mm単装機銃1(呉鎮)
昭和17年6月 機密呉鎮命令第135号(17.6.3)
昭和17年8月 仮設兵舎1(広工廠にて仮設)、40mm機関砲1基 工事完成
昭和17年9月 機銃防空砲台
昭和18年1月 機銃砲台
昭和19年3月 官房艦機密第157号(19.1.14)
「支那方面及内地防空砲台新設並に整備の件」訓令により25mm連装機銃3基 完成

新宮機銃砲台完備(兵員未配備)
昭和19年6月 40mm単装機銃1門 既設
25mm連3基、官房艦機密第157号により新設完備(第二新宮)
昭和19年7月 40mm単1門 既設
25mm連3基 既設(第二新宮)
昭和19年8月 40mm単1門 既設
25mm機銃6門 官房艦機密第4992号該当予定地、工事中
25mm連3基 既設(第二新宮)
昭和19年9月 40mm単1門 既設
25mm単6門 工事中(官房艦機密第4992号)
25mm連3基 既設(第二新宮)
昭和19年10月 既設 40mm単1門、25mm連3基
工事中 25mm単6門(官房艦機密第4992号)
昭和19年11月 40mm単1門、25mm連3基 既設、25mm単6門 官房艦機密第4992号に依り工事中





両城 防空機銃砲台(2006.5.12)





米軍の航空写真(M308-88、国土地理院)



左:金毘羅児童公園、右:正岡子規碑の基部(銃座?)



左:正岡子規碑の基部(銃座?)、右:子規碑の北側



公園の西下を走る呉線

両城中学校の南、現在は金毘羅児童公園に両城防空機銃砲台が造られていた。航空写真を見ると3基の銃座と1基の指揮所が写っている。現在の正岡子規の句碑の台座は、その形状から機銃座を利用しているものと思われる(周囲の土塁の土を銃座のあった内側に入れ込んである)。他2基の銃座は完全に消滅している。



日付 呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和19年6月 新設完備せる機銃砲台に9名配員
25mm連装機銃3基、官房艦機密第157号により新設完備
昭和19年7月 25mm連3基 既設
昭和19年9月 25mm連3基 既設
昭和19年10月 25mm連3基 既設
昭和19年11月 25mm連3基 既設



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