防空機銃砲台





舞鶴警備隊の防空機銃砲台に関する共通の記事
日付 舞鶴海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和19年月 官房艦機密4992号による砲・機銃増備工事中
25mm単6、13mm単6、装備完了








東山(旧送信所山) 機銃砲台




米軍の航空写真(左:M624-524、右:M879-173、国土地理院)





場所が違うかもしれない。旧送信所ってどこ?

もしもここだとすると、削り取られて消滅しているようである。



日付 舞鶴海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和16年12月31日 配員:1、6、13(准、下士官、兵)
昭和17年11月 防空機銃砲台
昭和18年11月 東山に名称変更
昭和19年4月 13mm単4
昭和19年10月 配員:2、4、12(准、下士官、兵)
昭和20年5月 40mm機関砲、13mm機銃





工廠 機銃砲台




米軍の航空写真(左:M624-524、右:M879-173、国土地理院)





ここも場所が怪しい。旧送信所山というのがここの可能性もある。遺構が残っているか、また立ち入れるかどうかは不明。



日付 舞鶴海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和17年6月 配置図に記載
昭和17年11月 防空機銃砲台
昭和19年1月 1番銃座(?)工事、18.12.27〜19.1.15
昭和19年4月 25mm連1、13mm連2
昭和19年10月 配員:3、7、17(准、下士官、兵)
昭和20年5月 25mm機銃





倉谷 機銃砲台




右:米軍の航空写真(左右:R-525-5-61、国土地理院)





ここも場所が怪しい。恐らくこの辺かと思われるが、もしそうだとしても削られており確認のしようがない。



日付 舞鶴海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和19年1月 1番銃座(?)工事、一部完成
昭和19年2月 2番銃座(?)完成
昭和19年4月 13mm連1、13mm単2
昭和19年5月 完成
昭和19年10月 配員:1、3、15(准、下士官、兵)
昭和20年5月 40mm機関砲、13mm機銃





喜多 機銃砲台




米軍の航空写真(左:R524-2-3、右:R524-2-4、国土地理院)





恐らくこの辺かと思われるが、確認しようにも山ごと消滅してしまっているのでどうしようもない。



日付 舞鶴海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和19年1月 1番銃座(?)工事、未完成
昭和19年2月 一部完成
昭和19年4月 13mm単2
昭和19年5月 完成
昭和19年10月 配員:1、3、9(准、下士官、兵)
昭和20年月 13mm機銃





朝来 機銃砲台




右:米軍の航空写真(M624-524、国土地理院)


場所が?ばかりで申し訳ないが、とにかく航空写真の解像度が悪くてハッキリと銃座が確認できない。火薬工場の場所などからして恐らくここかと思われるが、現地に入ってみないと詳細はわからない。

「舞鶴の山城」によると岡安支城がここにあり、縄張図には城域内にある銃座が1ヵ所だけ描かれている。尾根が続いている事から、残りの銃座も残っているものと思われる。



日付 舞鶴海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和19年1月 工事中
昭和19年3月 1〜3番銃座 一部完成
昭和19年4月 25mm連1、13mm連1、13mm単5
昭和19年5月 完成
昭和19年10月 配員:2、12、38(准、下士官、兵)
昭和20年5月 25mm機銃、13mm機銃





磯崎 機銃砲台




右:米軍の航空写真(M1074-1、国土地理院)


宮津エネルギー研究所(丹後魚っ知館)の南西側の小山の上にそれらしきものが写っているので、ここらへんかと思われる。写真を見るとこの研究所の敷地には元々何かの軍事施設があったようだが、何があったかは調べていない。



日付 舞鶴海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和19年3月 工事中
昭和19年4月 13mm連2、13mm単2
昭和19年5月 完成
昭和19年10月 配員:1、3、15(准、下士官、兵)
昭和20年5月 13mm機銃





白浜 機銃砲台




米軍の航空写真(左:M624-523、右:M624-522、国土地理院)





海上保安学校の南西側の小山にそれらしきものが写っているので、この辺りかと思われる。きわどい場所なので山に入れるかどうか不明である。



日付 舞鶴海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和19年3月 工事中
昭和19年4月 13mm単4
工事中
昭和19年8月 完成
昭和19年10月 配員:0、3、9(准、下士官、兵)
昭和20年5月 13mm機銃





北吸 機銃砲台







「舞鶴の山城」によると、海上自衛隊舞鶴地方総監部の裏山の標高117mの山頂を余部愛宕山城としているが、この縄張図内に機銃座が4ヶ所描かれている(本文中には3ヶ所とあるが)。
北吸の機銃陣地はこれのことかもしれない。



日付 舞鶴海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和19年3月 工事中
昭和19年4月 13mm単2
工事中
昭和19年8月 完成
昭和19年10月 配員:0、3、9(准、下士官、兵)
昭和20年5月 13mm機銃
昭和20年6月 館砲技教材の25mm連の1基を増備





大波 機銃砲台




右:米軍の航空写真(M624-524、国土地理院)



引揚記念館の北側の尾根上にそれらしきものが写っているのでこの辺かと思われる。
遊歩道が出来ているので、削られているかもしれない。



日付 舞鶴海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和19年3月 工事中
昭和19年4月 13mm単4
昭和19年5月 完成
昭和19年10月 配員:1、4、12(准、下士官、兵)
昭和20年5月 13mm機銃





松ヶ崎 機銃砲台




右:米軍の航空写真(M624-524、国土地理院)



右:米軍の航空写真(M879-172、国土地理院)


舞鶴教育隊の北側のピークから北西の尾根筋、もしくは教育隊の東側のピーク付近かと思われるが、どちらが正解かは入ってみないとわからない。

「舞鶴の山城」によると教育隊の東側の標高119mピーク付近は高屋城であり、縄張図を見ると山頂付近に1ヵ所円形窪地らしいものが描かれている他は郭のみであり、可能性は低いかもしれない。



日付 舞鶴海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和19年3月 工事中
昭和19年4月 13mm連1、13mm単1
工事中
昭和19年8月 工事中
昭和19年10月 配員:0、4、18(准、下士官、兵)





雁又 機銃砲台




右:米軍の航空写真(M624-524、国土地理院)


海上自衛隊の舞鶴飛行場の辺りかと思われるが、山ごと消失してしまっているので確認できない。



日付 舞鶴海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和19年6月 工廠雁又に25mm連1と13mm単1を構築
昭和19年7月 中山砲台の25mm機銃を移装
昭和19年8月 完成(?)
昭和20年5月 25mm機銃







その他の 機銃砲台



防備隊山
日付 舞鶴海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和17年7月 配置図に記載
昭和17年11月 防空機銃砲台




通信隊屋上
日付 舞鶴海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和17年11月 防空機銃砲台




兵分技
日付 舞鶴海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和20年5月 13mm機銃




舞国
日付 舞鶴海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和20年5月 13mm機銃




工廠3船渠後方高地
日付 舞鶴海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和20年6月 館砲技教材の25mm連の3基を装備




西舞鶴築港(西舞鶴埠頭?)
日付 舞鶴海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和20年6月 軍需部の25mm三連の3基を分散装備
配員:1、4、28(准、下士官、兵)




海兵団練兵場
日付 舞鶴海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和20年6月 軍需部の25mm三連の2基を分散装備





青井城跡 不明機銃砲台






「舞鶴の山城」によると、槇山の南約2km、青井集落の南西にある標高224mの山頂に青井城があるのだが、この縄張図に3ヶ所の銃座らしいものが描かれている。
記録には全く無く、何なのかは不明。








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