室戸 特設見張所






右:引渡目録に描かれた略図(上下反転して写植)



左:全体図、右:米軍の航空写真(R519-1-13、国土地理院)


左:室戸岬付近(灯台、最御崎寺、測候所)、右:米軍の航空写真(R519-1-14、国土地理院)




室戸岬の北2kmにある津呂山山頂から南側の尾根上に、海軍の特設見張所の施設跡が点在している。スカイラインや電波施設、観光施設の建設等によって殆ど破壊されているものの、そうした施設の隙間隙間に辛うじて遺構が残っている。
足摺岬と同様に、開戦直後に明治期の望楼跡を利用して見張所とし、その後の装備の拡充の際に別の場所に施設を新たに建設していったようである。また近くに陸軍の電波警戒機(超短波警戒機)の設置地域があるのも同様である。ただこちらは場所がはっきりとしていない。
また資料(特設見張所戊現状)によると、どうも14号電探を配備する計画もあったようであるが計画のまま終わったようだ。更に同資料では2式1号1型(11)が3式1号1型(11K)の欄に書かれており、謎の基礎からしても実は2式1号1型改一でなくて3式1号1型かもしれない。




引渡目録は物によって装備品の数や建物などに食い違いがあり、結局何が正しいのかはわからない。

装備及び建物 数量 備考
2式1号1型改一 1 記事ほぼ一致だが11Kかも、基礎未確認
2式1号1型改三 1 記事ほぼ一致、基礎未確認
2式1号2型改三 1 記事ほぼ一致、基礎未確認
3式1号3型 2 1基の記事もあり、基礎は怪しいのが1基
探知機 1 基礎未確認
25mm単装機銃 3 銃座を2ヶ所のみ確認
13mm単装機銃 2 銃座未確認
15KVA発電機 3 特設見張所現状の記述のみ
6KVA発電機 1 特設見張所現状の記述のみ
電探室 5 6ヵ所もあり。2ヵ所のみ恐らく確認
見張所 2 1ヵ所もあり。未確認
見張台 1 旧望楼だろうか?、未確認
電信室 1 崩落したものを確認
兵舎 2 基礎は2基、壕も崩落したものを2基確認
発電所 1 未確認
モーター室 1 ポンプ室だろうか?、未確認




聞き取りによる話は以下の通りである。
ただしいずれも「この付近に陸軍が居たかどうか」の質問に対しての回答。なんだかなぁ。

津呂の漁港のおじいさん:
寺にあった。寺に行って聞け。

寺の住職:
自分だとわからない。もっと年寄りでないとわからない。

坂本付近のおばあさん:
・寺の敷地にてんぽうだい(展望台?)があった。いっかちょういた(一個小隊?)。
・小学校の裏山にあった。(山頂付近は)萱しか生えていなかった。少し下った所に建物があった。建物の数は多くなかった。

坂本付近で畑を耕していたじいさん:
・自分は行当出身でこの辺の事は良くわからない。
・行当岬のテレビ塔の辺りに陸軍の施設があった。大阪から部隊が来て壕を掘っていた。鉛や銅などを掘りに行っていた。





探索の記録:


北部施設群(津呂山山頂一帯)
北部施設群 南部
北部施設群 北部
北部施設群 北端、その他

南部施設群(山頂から南方向に伸びる尾根上)
南部施設群 北部
南部施設群 中央部
南部施設群 南部

室戸岬付近
測候所付近の遺構
灯台付近の遺構





日付 紀伊防備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和16年12月 任務編成配備 特設見張所
TM式軽便無線電信機(貸与品)1
人員:下士官6 (昭和17年9月まで、下士官4〜7)
昭和17年10月 人員 准仕官以上1、下士官8
昭和17年11月 室戸特設見張所、電波探信儀による哨戒開始
人員:准仕官以上1、下士官13
昭和18年1月 人員:准仕官以上1、下士官12、その他2
(昭和19年4月まで、下士官12〜42、他はほぼ同じ)
昭和19年5月 人員:准仕官以上1、下士官47 電波探信儀(送受機)1
昭和19年6月 人員:准仕官以上1、下士官10、兵39 電波探信儀(送受機)1
昭和19年8月 人員:准仕官以上1、下士官31 電波探信儀(送受機)1、電波探知機1
昭和19年10月 人員:准仕官以上1、下士官34 電波探信儀(送受機)1
昭和19年11月 特設見張所(戊)(以下同じ)
人員:准仕官以上1、下士官37 電波探信儀(送受機)1
昭和20年1月 人員:准仕官以上1、下士官37 電波探信儀:対空2
昭和20年2月 人員:准仕官以上1、下士官37 電波探信儀:対空2、13mm機銃1
昭和20年3月 人員:准仕官以上1、下士官37 電波探信儀:対空2、25mm機銃1、13mm機銃1
3/18 0750 敵艦上機3機来襲急降下爆撃、1120艦載機2機銃爆撃
3/19 1020 グラマン4機来襲
使用弾数、13mm機銃1965
昭和20年4月 人員 准仕官以上2、下士官70
電波探信儀 対空2、25mm単機銃3、13mm単機銃2
昭和20年5月 人員 准仕官以上2、下士官9、兵68
電波探信儀 対空5、電波探知機1、25mm単機銃3、13mm単機銃2
昭和20年6月 人員 准仕官以上4、下士官102
電波探信儀 対空5、電波探知機1、25mm単機銃3、13mm単機銃2
昭和20年6月 特設見張所戊現状(昭和20年6月1日現在)より:

2式1号1型1(11Kの欄に書かれている)、2式1号1型改三1、2式1号2型1、3式1号3型、(仮称1号4型)
6KVA発電機1、15KAV発電機3
定員:准士官以上1、高電測0、普電測37、電信4、その他17、計59
現員:准士官以上2、高電測1、普電測41、電信4、その他25、計73
訓令:17年2106号、18年754号、19年7337号
昭和20年8月31日 引渡目録より:

引渡地図:大阪警備府対空防備施設 C08011199900
2式1号1型改一1、2式1号1型改三1、2式1号2型改三1、3式1号3型1
25mm単装機銃3、13mm単装機銃2

日本無線史より:
2式1号1型2、2式1号2型1、3式1号3型2、短波送信機1、全波受信機1

資料1:紀伊防備隊 2/3 C08011206700
敷地面積24100m2、建物5(250m2)、随道67m

資料2:紀伊防備隊 3/3 C08011206800
面積:約100000m2、随道約120m2
建物:兵舎2、発電機室1、計約300m2
付図(電探室5、電信室1、兵舎1、耐弾兵舎1、発電機室1、見張台1、第一見張所1、第二見張所1)

資料3:阪警管下施設関係 C08011198100
用地:24100m2、建物10棟:280m2、隧道:67m(土地借用)
兵器:11号電探1、113号電探1、123号電探1、13号電探2(破損)、探知機1

資料4(原文英語):大阪警備府付図6 C08011198600
通信室 、地下耐爆、150m2、2棟
レーダー室、39m2、3棟、1棟=9m2 他15m2×2
レーダー室、地下耐爆、24m2、2棟、1棟=9m2 他15m2
レーダー室、木造平屋、12m2、1棟
発電機室、木造平屋、50m2、1棟
モーター室、木造平屋、4m2、1棟
見張所、木造平屋、9m2、1棟



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