諫早 防空砲台





諫早 防空砲台


左:米軍の航空写真(R153-6、国土地理院)


米軍の航空写真(R153-4、国土地理院)




引渡目録での配置図



かなり明確に約4基の砲座が並んだ場所が2ヵ所ある。


1つ目が諫早市の南西部、諫早市立みはる台小学校の北西の尾根上である。4基の砲座と、その南東に小判型の平坦地がある。

もう1ヵ所も諫早市の南西部、農業大学校の北側の丘陵に3基+不明瞭だけど1基の砲座と、その南東に砲座よりも少し大き目の円形窪地が写っている。砲座の中心部には小さな円形窪地が3基並んでおり、典型的な高角砲台の指揮所である。


横浜旧軍無線博物館の海軍電波探信儀関連機材のページの「海軍4号3型電波探信儀」の項(ページ中ほど)に、諫早砲台に配備されていたL2電探の写真が載っている(大元は海軍電測学校卒業の会『栄光の海軍電測士官』)。これを見ると、電探の後ろはなだらかな斜面であり、恐らくは射撃用電探と同じく緩やかなすり鉢状窪地の底部に置かれているのではと推測できる。
しかし、2つ目の農業大学校の北の方は、大き目のすり鉢状地形は無く、砲座の南東にある円形窪地は大きくても直径10m程で、写真とは地形が異なる。1つ目のみはる台小学校の方は、円形ではないものの、小判型の広い平坦地があり、写真の地形に近い。また、この中心に黒い影が写っており、電探の基部か何かかもしれない。

以上の事から、みはる台小学校の方を諫早防空砲台の比定地としておきたい。



また、他に探照灯が3基も配備されているのだが、場所がわからない。
米軍海兵隊第5師団の資料の地図によると、諫早駅の北東のトンネル辺りと、上山公園付近に探照灯マークがあり、合わせて3基と書かれている。ただ、場所が案外いい加減であることもあり、航空写真内を探しても、それらしい場所が見当たらない。(以前、上山公園と諫早駅北に云々と書いていたが、最近オンラインで公開された明瞭な航空写真を見たところ、候補にはふさわしくないので外す)。
もしかしたら農業大学校北の方は砲座ではなく、探照灯を3基並べて使っていたのかもしれない、と大胆な推測をしてみるものの、可能性は低い。
恐らくは東諫早照射所と合わせての機器数ではないかと思われる。

他に25mm機関砲4門、13mm機銃2門があったようだが、機関砲用としては円形窪地が大きすぎる。




日付 佐世保海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和19年11月 官房艦機密4992号、12cm、11/10設置完了
昭和20年4月 工事中
配置図:12cm4
昭和20年5月 工事中
昭和20年?月 引渡:

東諫早と込み?:
12cm4、25mm4、13mm2
高射装置1、測距儀5、電探1、探照灯3、管制器3、双眼鏡1、発電機1

諫早のみ:
兵舎 木造平屋2 360m2、弾庫 隧道2 40m2
電探電源室 土中式1 20m2、変電所 土中式1 16m2
付属家屋 木造平屋2 36m2



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