延岡 防空砲台








左:米軍の航空写真(R51-2-22、国土地理院)



左:米軍の航空写真(USB15-R16-0611、国会図書館)



延岡市に2隊が派遣されていたようである。高尾隊は今山神社に、増田隊は安賀多(縣)国民学校(現、延岡中学校)に配置されていた。



「写真が語る日本空襲」(工藤洋三・奥住喜重、現代資料出版)のP.141に延岡市の航空写真が出ているが、これを見ると、今山神社の北西裏の山に4基の砲座が、また五ヶ瀬川の北岸、延岡駅からだと南東に500m程の所に正六角形に並んだ6基の砲座が綺麗に写っている。延岡中学校の南東には、前2つほど明瞭ではないものの、6基の砲座が南東方向を向いている。
引渡目録の記述から、今山神社裏手のものと、延岡中学校の南東側のものとが、海軍の防空砲台ではないかと思われる。


今山神社の裏手も、延岡中学校の南東も、開発で何も残っていないようである。



海軍は他に4ヶ所の機銃砲台(出北、別府、山下、山月)があったようであるが、詳細場所は不明。


日付 佐世保海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和20年?月 引渡(高尾隊、今山神社):
12cm4(400)、25mm単4(6080)、高射装置1、測距儀1、望遠鏡1、発電機1
92式重4(10200)、92式7.7mm6(19000)、99式小銃69

引渡(増田隊、安賀多国民学校):
7cm野高6(1200)、25mm単2(5240)、高射装置1、測距儀1、発電機1

弾薬は全て安賀多国民学校

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