小原台 防空高角砲台




全体図




米軍の航空写真M46-A-7-2-121(国土地理院)、高角砲台



左:米軍の航空写真M46-A-7-2-122(国土地理院)、候補地A、右:M46-A-7-2-121(国土地理院)、候補地B



左:米軍の航空写真M46-A-7-2-121(国土地理院)候補地E、右:M46-A-7-2-120(国土地理院)、候補地DとF



左:米軍の航空写真M46-A-7-2-142(国土地理院)、候補地C、右:M46-A-7-2-121(国土地理院)、同左



高角砲台と東西の聴測所の候補地A、B



左:南側の候補地C、右:東側の候補地D、E、F


米軍の航空写真から、防衛大学校の敷地の北東隅付近に3基の砲座が確認できる。ついでに砲座の西と南東には小原台堡塁と花立堡塁も写っている。引渡目録によるとS3射撃用電探が1基あるはずなのだが、特徴ある大型の擂り鉢状窪地が見当たらない。
また、この防空砲台も建設時期や器材からして2ヶ所の聴測所を具えている筈なのだが、はっきりとした聴測所の位置は不明である。航空写真とにらめっこして、幾つかの聴測所の候補地、AからFまで出してみたがどこも決め手に欠けており、残っている場所に入って探索をしてみなければ何とも言えない。
一応候補地について説明しておくと、
(A)小原台堡塁の西側、4棟の兵舎らしきものの東側に6基の円形窪地があるが、その南側に用途不明の構造物があり、ここではないかと思われる。
(B)花立堡塁の南西部、恐らくは観測所と砲座の辺りに円形構造物が写っており、この辺りではないかと思われる。
(C)はるか南、浦賀水道の東側の小高い丘の上に兵舎らしきものとそれに続く立派な道が続いている。そして兵舎らしきものの南側に何か構造物らしきものが。
(D)現在の戦没船員の碑のある場所、大浦堡塁に円形窪地らしい影が写っている。
(E)観音崎灯台のすぐ西上の頂上(標高74m)付近にも円形窪地とそれに続く道が写っている。
(F)花立堡塁の東側、三軒家砲台の南西側の尾根筋に、何か構造物と通路らしきものがある。
である。
形からすると、南西方向を防御するならAとB、南東方向を防御するならCとD、もしくはEがバランスが良いのだが、C、D、Eは砲座からの距離が1.5kmと若干離れすぎという気もする。
まあともかくよく判らない。

現状は、砲座は全滅、A、B、Dも恐らく全滅、Cは周りが大分破壊されているものの辛うじて何か残っていそうな感じ、Eは衛星写真だと何らかの施設があるのだが地図に記載されていない謎の施設(宗教施設?)なので現状不明、Fは中央を分断されているものの多少は残っていそうな感じ、である。




日付 横須賀海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和16年11月 昭和16年 官房機密565号
12.7cm連装高角砲3基、96式150cm探照灯2
サ式4.5m高角測距儀1
未装備、兵員未配備
昭和17年1月 3月末予定
聴測所、2月中予定
昭和17年2月 ヱ式聴音機2基、96式連動装置、2/22完了
12.7cm連装高角砲2基、装備中
高射装置未着、3月末予定
第1、第2聴測所完成
3月末予定
昭和17年3月 工事中、探照灯3/31装備
12.7cm連装高角砲、愛宕に移装の内報あり
昭和17年4月 管制器4/10装備
聴測装置4/30装備
工事中
昭和17年5月 高射器未装、12.7cm連装高角砲未装、工事中
昭和17年6月 S17.4.9、探照灯・聴音機のみ配備
官房機密第5409号、横鎮機密4号358、工事中(機銃)
東京警備隊のものを流用(機銃)
昭和17年7月 12.7cm連装高角砲2基完備
昭和17年8月 8/14、13mm四連装機銃1基、第二海堡に移設(機銃)
昭和17年12月 高射器未装
昭和18年8月 施設一覧:12.7cm連装高角砲2基
昭和19年10月 射撃用電探、作動試験中
昭和19年11月 12.7cm連装高角砲2基
仮称4号1型電探1、仮称4号3型電探1
昭和20年8月 引渡:
12.7cm連装高角砲2基、弾530発、S3射撃用電探1
95式陸用高射器1、ステレオ式4.5m高角測距儀1
150cm追尾式探照灯2基、25mm連装機銃2基



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