賢女鼻防備衛所



2015.3.8 探索



右:米軍の航空写真(M741-A-47、国土地理院)


引渡目録の付図に加筆




賢女ノ鼻に防備衛所がある。
標高69mの三角点のある山の北東麓に畑跡の平地があるが、この東端から軍道が兵舎のある平坦地まで続いている。ただし藪に覆われており、鉈鎌は無しでも無理すれば行けたが(探索当時)、有った方が良いというか、道を付けておいて欲しい。

発電所と水槽とが、新旧2セットあり、比較すると面白い。新しい発電所の南西斜面に、崩落した地下壕跡がある。恐らくは空襲を避けるために造られたものだと思われるが、詳細は不明である。烹炊所の東にコンクリート製の池がある。中に庭石のようなものがあり、貯水池と言うよりも娯楽用の池なのではと思われる。

引渡目録には7cm野戦高射砲が6門とあるが、近くに配備されていたらしき場所が見当たらない。西にある、臨時野砲陣地に比定している山かもしれないが、よくわからない。



日付 下関防備隊・呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和13年10月18日 防備衛所(乙)訓令、官房機密第5676号
昭和16年11月 下関防備隊を発足。六連、白瀬、賢女鼻防備衛所を佐伯から移籍。
防備衛所:白瀬(27名)、賢女鼻(18名)
昭和17年9月 白瀬:92式機雷6個群連、賢女鼻:92式機雷3個群連
蓋井島特設見張所、配備を撤去。営造物は下関防備隊が保管
昭和19年5月 白瀬:35名、賢女鼻:26名
昭和19年6月 白瀬:67名、賢女鼻:48名
昭和19年7月 白瀬:62名、測距儀未装備
賢女鼻:44名、探照灯未装備    
昭和19年8月 白瀬:45名、賢女鼻:37名
昭和19年9月 白瀬:51名、賢女鼻:42名
昭和19年10月 白瀬:67名、賢女鼻:53名
昭和19年11月 白瀬:59名、賢女鼻:44名
昭和19年12月 白瀬:63名、賢女鼻:40名
昭和20年8月31日 引渡:
7cm野戦高角砲6
97式水中聴音機5、92式機雷聴音管制器2、92式機雷発火管制器1
97式特5号送信機1、92式特受信機1、92式電波鑑査機2
25KW発電機2







左:山の中にあった標柱、右:水槽上(一槽式)


左:水槽下(三槽式)、右:上下の水槽を横から


左:旧水槽、右:同左、メンテナンス用の階段


左:烹炊所、手前のは流し台、右:同左南西側


左:烹炊所、かまど、右:洗面台


左:便所(大)、右:便所(小)


左:浴室跡、右:風呂の焚口


左:兵舎横のコンクリート構造物、ゴミ箱?、右:烹炊所の北東にある池(庭園風)


左:兵舎基礎と排水槽、右:兵舎基礎


左:旧発電機室の冷却用水槽、右:同左南東下の平坦地




左:発電機室近くの崩落した大型の地下壕、右:同左上の陥没部


左:発電機室の西の建物跡、右奥に冷却用水槽、右:冷却用水槽


左:冷却用水槽、右:発電機室の基礎


左:防備衛所横の兵舎下の石垣、右:防備衛所、手前が兵舎跡


左:防備衛所北西端、右:防備衛所南西端


左:防備衛所西面の北側、右:南側




左:黒塗り倉庫、右:中央通路部


左:南東側の部屋、右:北西側の部屋だったような


左:北東側の部屋、右:同左逆向き


左:北東隅、右:同左横のテラスっぽい部分


左:テラスっぽい部分の石垣、右:テラスっぽい部分を南上から


左:東正面中央部、右:同左北側


左:東正面南側、右:中央部


左:防備衛所横の兵舎北端にある排水槽、右:北側の石垣


左:南側の石垣、右:広い畑跡、右奥に軍道がある




 軍道の藪が濃くなり、進めず迂回した辺りに見慣れた2基の生活用水用の水槽がある。西上が一槽式、東下が三槽式で、その並びで更に東下に旧水槽がある。旧水槽は烹炊所や兵舎と同じ平面にあり、水圧を出すために石垣で2m程底上げされている。
 旧水槽の東側に、烹炊所と浴室、便所等の生活施設がある。比較的良く残っており、流し台、洗面所、かまど、風呂の焚口、トイレ大小等の構造物を確認できる。またこの生活棟の東隣に池があるが、中に石が配置されて庭園風になっている。余暇の為の物なのだろうか。
 生活棟の南には、兵舎の基礎が残っている。埋め込み式の排水槽や、ゴミ箱のような構造物もある。更にその南には旧発電機室跡とその冷却用水槽、更にその1段南下にも平坦地と水槽などがある。
 北は一段下がっており、そこに新しい発電機室がある。見慣れた冷却用水槽は明確だが、発電機室や付属施設は藪に埋もれてよく確認できない。発電機室のある平坦地の西斜面には、大型の陥没地下壕がある。大きな地下室があったのか、その上方斜面に別途陥没跡がある。

 兵舎や生活棟、発電機室などのある平坦地の東上のピーク部に、防備衛所と兵舎がある。道は南から登っている。防備衛所の西にあった兵舎は基礎すら確認できない。その西下は立派な石垣が組まれている。
 防備衛所は白瀬の物とは構造が異なっている。ただ北東隅には、白瀬と同じようなテラス状の施設が設けられている。建物の内部には、防備衛所とは別の建物の瓦礫が入れ込まれている。もしかすると、横にあった兵舎の瓦礫かもしれない。しかし、なぜ建物内に瓦礫を運び入れているのか、理由はわからない。







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