白瀬防備衛所



2015.3.7 探索



右:米軍の航空写真(M741-A-48、国土地理院)

右図:引渡目録の付図に加筆


大山の南に連なる230m三角点から、南西に尾根道を降りた場所に白瀬防備衛所がある。
兵舎とトイレは基礎しか残っていないが、防備衛所は一部破壊されながらも、比較的良く残っている。
防備衛所は独特で、南西隅にテラスのような区画があることと、天井の上に探照灯用の建屋があることが珍しい。探照灯用建屋は特設見張所や防空砲台で見かけるものと同じであり、また同じく鉄筋盗りで天井等が崩されている。
防備衛所から更に尾根沿いに南西下に下りた所に、コンクリート製の水槽があるが、用途は不明である。

牧場のあった緩やかな鞍部から、南へ降りた辺りに兵舎があったらしいが、時間と体力が無く探索できなかった。




日付 下関防備隊・呉海軍警備隊戦時日誌及び引渡目録による記事
昭和13年10月18日 防備衛所(乙)訓令、官房機密第5676号
昭和16年11月 下関防備隊を発足。六連、白瀬、賢女鼻防備衛所を佐伯から移籍。
防備衛所:白瀬(27名)、賢女鼻(18名)
昭和17年9月 白瀬:92式機雷6個群連、賢女鼻:92式機雷3個群連
蓋井島特設見張所、配備を撤去。営造物は下関防備隊が保管
昭和19年5月 白瀬:35名、賢女鼻:26名
昭和19年6月 白瀬:67名、賢女鼻:48名
昭和19年7月 白瀬:62名、測距儀未装備
賢女鼻:44名、探照灯未装備    
昭和19年8月 白瀬:45名、賢女鼻:37名
昭和19年9月 白瀬:51名、賢女鼻:42名
昭和19年10月 白瀬:67名、賢女鼻:53名
昭和19年11月 白瀬:59名、賢女鼻:44名
昭和19年12月 白瀬:63名、賢女鼻:40名
昭和20年8月31日 引渡:
須式110cm探照灯1
97式水中聴音機8、92式機雷聴音管制器3、92式機雷発火管制器1
97式特5号送信機1、92式特受信機1、92式電波鑑査機2
25KW発電機2





左:北上から敷地を、右:防備衛所の北面、手前の基礎は兵舎跡


左:北東隅にあるトイレ、右:北西隅の切岸


左:防備衛所の北面、東側、右:同左西側


左:北面中央出入口、右:縞々の部屋


左:窓の無い部屋、倉庫?、右:北東側の部屋



左:南東の部屋、発電機の冷却水用の溝、右:同左


左:南中央部、天井が崩されている、右:南西の部屋


左:南西のテラスっぽい所、右:同左の北側


左:テラスっぽい所から北東を、右:テラスっぽい所の東面


左:テラスっぽい所から天井上の探照灯建屋、右:探照灯建屋



左:探照灯建屋、右:同左


左:探照灯建屋内部、瓦礫、右:天井は破壊されて無い


左:探照灯建屋内部の下への穴、右:窓枠のような造り


左:南面、観測窓、右:同左中央部付近の観測窓


左:北西隅石垣、上がテラスっぽい所、右:防備衛所の南下にあるコンクリート製水槽



 尾根には防備衛所と兵舎、トイレがあったが、建物が残っているのは防備衛所だけである。しかも防備衛所も、鉄筋盗りの破壊が入り、天井が破壊されている場所があちこちにある。
 防備衛所の建物は、一応平屋建てで、天井の上に探照灯建屋が載っている。南西側に天井の無いテラスっぽい構造があるが、元々は天井があったものが綺麗に崩されてしまっている可能性もある。ただ、使われているレンガや造りは他の部分とは異なっており、特殊な空間であったことには間違いないようである。またテラスのある南西部の下には、高石垣が組まれている。
 天井上の構造物は、その構造が対空用の特設見張所や聴音照射所にある探照灯建屋と似ていること、装備品の中に須式110cm探照灯があることから、探照灯建屋と推測する。天井部は崩されてしまい、探照灯基礎の有無は確認できない。内部は崩された天井の瓦礫で埋まっている。一応下に穴が開いている。
 防備衛所から更に尾根を下ると、登山道の折り返し点付近に小さなコンクリート製水槽がある。周辺に平坦地があるわけでもなく、用途不明である。







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