堂山(蓋井島?) 電波探信所



2011.12.12 探索
2012.3.20 探索







左:西部、22号(32号)電探、右:東部、13号電探?



 角島の南約10km、神田岬の東にある堂山の周辺に、海軍の電探跡がある。

 堂山の北にある和久にあった陸軍の超短波警戒機陣地を探している最中に、偶然、東側の遺構を見つけた。最初は山の南下にある別荘地の水槽か何かかと思ったのだが、コンクリートの質が悪く、また中途半端な状態であることから、戦時中の遺構ではないかと予想。
 後日、更に西側の尾根を探索したところ、明らかに海軍の22号電探もしくは32号電探と思われる掘り込み地形とコンクリート基礎を発見した。それを基に考えると、東側の遺構も海軍のものと推測することができ、寸法と下関防備隊の引渡目録のリストから、13号電探の地下室のようである。

 また別の日に、和久で陸軍の警戒機陣地の話を聞いて回っている内に、当時、神玉小学校(国民学校)に通っていたというお爺さんから、

 ・小学校と堂山に兵隊が居た
 ・勤労奉仕で、堂山に道路に敷く砂利を運んだ

 という話を聞いたが、恐らくこの施設の事だろうと思われる。


 ただ公的な記録には、この施設について書かれたものがない。海軍で、この付近を受け持っている下関防備隊の引渡目録を見ると、終戦時に防備隊本部の装備庫に32号電探が1基、梱包されたままの状態で有った事が書かれており、西側の施設のコンクリート基礎がアンカーボルトを入れる前の状態であることから、この32号がここに装備される予定だったのではないかと推測できる。同じ引渡し目録には他に13号電探が記載されている。
 また、昭和20年6月時点での対水上見張電探の一覧には、下関防備隊所属の見張所として蓋井島が挙げられている。これまた推測だが、6月以降に場所が堂山に変更されたか、もしくは堂山が新たに追加されるかしたのかもしれない。

 堂山周辺については上図の赤矢印のある範囲については探索したが、他には見つからなかった。ただ13号電探の配置状況から、他にも1,2ヶ所、探索範囲外に13号電探の施設が存在している可能性がある。



日付 記事
昭和20年6月1日現在 特設見張所(辛)現状より

蓋井島(下関防備隊):
22(32)号1基 d 1基
(d:恐らく電波探知機)
対潜:○
訓令518号
見張所辛として新設す
昭和20年8月 引渡:(下関防備隊 隊内装備庫)
3号2型電波探信儀1(良、軍需部より着荷のまま)

イ27型受信機11(不良、付属空中線共)、整流器6(内良5)
3式1号電波探信儀3型7(不良)、空中線3(不完備)


資料:(番号はアジア歴史資料センターのリファレンス番号)
・下関防備隊 兵器軍需品施設引渡目録(C08011466100)
・「電探関係配備一覧表」 E兵器540 防衛省戦史資料室/蔵








東部、13号電探?




左:北東上から、右:東上から


左:東面の壁の上縁、右:北面の壁の上縁


左:東面の壁、右:同左を南から


左:東面の壁の上縁アップ、天井部のはめ込みの凹部、右:南面の壁


左:南面の壁、右:西面の壁を南から





左:南西の出入口を南から、右:同左から南に伸びる溝部


左:北西上から、右:西面の壁の上縁


左:内部の西面、右:内部の北面


左:内部床、右:内部東面


左:内部南面、右:同左、出入口




 堂山の頂上から尾根を西に下ると、南下の別荘用の上水タンク(プラスティック製)が置かれているが、その南西下にコンクリート製の水槽のような施設がある。
 内寸が東西約5m、南北約4.5mで、南西に出入口がある。

 北面は上縁がアーチ状になっているが、それに対する南側は崩されたためかアーチにはなっていない。東西の壁の上縁は、アーチの端を受け止めるような構造になっている。
 所々、鉄筋盗りで崩された跡はあるものの、瓦礫の量から推測するに造られたのは壁だけで、屋根は造られていなかったようである。








西部、22号(32号)電探





左:コンクリート基礎、右:同左を西上から


左:西側に出入口、右:北面


左:東側は崩落して、基礎が半分埋まっている、右:同左


左:コンクリート基礎アップ、右:同左





左:南西の出入口から西を、右:同左を更に西へ、クランクになっている


左:出入口から内部を、右:クランク部から内部を


左:西から、右:出口西側の平坦地


左:西側平坦地の大き目の玉石、右:東上から内部を






 堂山の一つ西のピークの、南西斜面に22号もしくは32号電探の施設跡がある。

 1辺約7m弱の正方形の掘り込みの中央に円形のコンクリート基礎があり、南西に出入口がある。通路は西に延びており、途中でクランクしている。西下には平坦地があり、コンクリート構造に使用する目的なのか、大き目の玉石が散乱している。
 コンクリート基礎の寸法は、外側が直径約185cmm、厚みが約30cmで、直径約160cmの円周上に約80cm間隔で6ヵ所の穴が開いている。寸法から、蒲生田と須崎にある電探基礎と同じものと思われる。





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