佐田岬 砲台



2009.11.10 新規作成
2009.11.16 早々に修正




注意:「?」は怪しい(日本城郭史の記述なので…)




佐田岬周辺に築かれた砲台の遺構が幾つか残っている。
今回、旅行に行った際に確認の取れたものだけまとめてみた。






左:灯台から新砲台、右:灯台から高島方向を望む



左:新砲台の砲座その1、右:その2



左:灯台の北西にある大島、右:新砲台の北側



左:新砲座の上部にある忠魂碑脇から高島方向を、右:新砲台の裏手



左:探照灯の格納庫、右:同左



左:格納庫内部、右:扉の下部



左:格納庫の西側下部、右:上部



左:格納庫の東側にある何かの格納庫、右:同左



左:山頂付近を周回する探照灯用の通路、右:同左



左:探照灯用通路北側、西から、右:南側を西から



左:探照灯のあるピーク西下にある円形窪地、右:同左






左:灯台から探照灯のピークを望む、右:第1砲台のあった付近の平坦地



左:発電所を東上から、右:発電所の東の広場



左:発電所、右:広場の井戸と流し



左:広場の南東上にあるコンクリート製水槽?、右:船着場



左:観測所入り口、右:同左



左:観測所内部、右:その奥



左:測距儀の基礎と観測窓、右:同左の西の副観測室?



左:観測室の北側東部、右:同左西部



左:階段、右:観測所の入り口の西にあるかまど



左:観測所入り口付近の石積、右:観測所の北東下にある地下壕跡?



左:倉庫?、右:同左



注意:「?」は怪しい(日本城郭史の記述なので…)



佐田岬灯台の北側の岸壁と、大島の東側の岸壁に2ヵ所づつトンネル式の砲座が築かれている。12cm榴弾砲のもので、灯台北側のものは展望台から確認できるもの、大島のものは一般に立ち入れないので確認は難しいと思われる。砲座への入り口は塞がれている為に中に入ることはできない。崖の上からロープで降りて中に入った人の記事がWebに書かれているが、危険なので真似はしない方が良いだろう。


灯台の北東にある標高約50mのピークにも展望台があるが、この少し下を周回するコンクリートの通路がある。これは探照灯用のもので、北面に探照灯の格納庫が掘られている。かなり大きなもので当時は扉がつけられていたが、現在は蝶番ごと持っていかれている。探照灯の格納庫の東隣にも2基の小型格納庫があるが、用途は不明である。器具か炭素棒の格納庫ではないかと思われる。
またこの探照灯の通路西端の少し下には、内径約3mほどの円形窪地がある。太平洋戦争時の高射機銃の銃座ではないかと思われるが、記録にはなにもない。


探照灯のピークの東下の鞍部付近に第1砲台があるらしいのだが、これといったものは見つけられなかった。
更にピークを一つ挟んで東側のキャンプ場が砲台施設跡で、西面には地下式発電所跡がある。現在はキャンプ場の倉庫になっている。このキャンプ場周辺には井戸や貯水槽、船着場などの施設跡が点在している。


キャンプ場の東上の標高80m付近に第2砲台があるらしいのだが、遊歩道を歩いている際には気がつかなかった。

またこの一つ東側の78mピークには観測所跡がある。戦後しばらくの間人が住んでいたようで、内部に観測施設とは関係ない木枠や、入り口脇にかまどが作られている。
地下式で、内部は東側に測距儀の置かれていた半円形の部屋と、その西には四分の一円の副観測所らしきものがある。それぞれ南側に鉄枠の観測用のスリットが開けられている。


観光駐車場へと至る車道の脇に、当時の倉庫らしき建物が残っている。これも最近まで人が住んでいたようで、入り口脇にはポストがかけられていた。


また長浜の集落周辺に第3、第4砲台やその観測所などがあるらしいが、こちらは残っているかどうかは不明である。
時間があったらもう一度調査に行きたいところである。




追記(2009.11.16):

アップして早々に修正というのも情けない話だが、こちらのページに詳細が。
日本築城史での第2砲台が第1砲台、また第3と第4砲台とその観測所が更に北東の正野谷付近ということになっているが、恐らくこちらのサイトの記述の方が正しいのかと思われる。何しろ日本築城史はいい加減な部分が結構含まれており、散々辛酸を舐めさせられてきたこともあるからだ。




上記のMKNJさんのサイトにある、第2砲台(日本築城史での第3、第4砲台)の位置。





日本築城史と新聞記事による記事
第1砲台 大正13年(1924年)9月起工、昭和元年(1926年)11月竣工
スカ式12cm速射カノン砲4門(対馬要塞大平高砲台から移設)
第2砲台 昭和元年11月起工、昭和2年10月竣工
15cm速射カノン砲4門
第3砲台 昭和5年(1930年)竣工、30cm長榴弾砲4門
第4砲台 昭和5年(1930年)竣工、30cm長榴弾砲4門
新砲台 昭和20年7月頃、12cm榴弾砲4門(新聞記事、昭和53年8月17日より)



ここから以下のページへいけます。