志賀島、宮浦、彦山、浜玉 砲台






この4ヶ所は、大体の場所は判明しているものの、明確な位置と備砲が何かについては不明である。
備砲については、資料[1]-[3]を総合するに以下のようになると思われる:

志賀島 15K2 14K2(海軍)
宮浦 15K2
彦山 12SK
浜玉 12SK1





志賀島 砲台


左:小学校裏手、右:海神社裏手


米軍の航空写真(国土地理院、左右共にR541-22)


資料をスケッチしたもの、左:第56軍[1]、右:第57師団[2]


 56軍の地図と57師団の地図で配置が異なっている。傾向として56軍の地図は最終的な位置でない物が多いので、最終的に57師団のような配置になったのではと思われる。
 航空写真を見ると、志賀島小学校の西裏手に4ヶ所の穴と、海神社の南西斜面に掘りかけのような跡が写っている。他は確認できなかった。
 志賀小学校の西裏手の穴については、資料[4]に 「志賀国民学校の山の横には大きな防空壕を兵士が掘っていて、その上には粗末なカマボコ兵舎がつくられ兵士が寝泊りしていた」 という証言が小学校出身者の証言としてあるらしい。小学校のものだとは書かれておらず、また、大きなと特記されていることから、中央側の2本が洞窟砲台で両脇の2本が弾薬庫かもしれない。






宮浦 砲台




資料をスケッチしたもの、左:第56軍[1]、右:第57師団[2]

 配置図を見ると、福岡湾の口の西側にある唐泊漁港の北西付近に描かれているが、詳細な場所は不明。






彦山 砲台


右:資料をスケッチしたもの、第56軍[1]

 配置図を見ると、糸島半島の北西側にある彦山の南西側に描かれているが、詳細な場所は不明。







浜玉 砲台


右:資料をスケッチしたもの、第56軍[1]

 配置図を見ると、唐津の東側の松浦潟の北東付近の山の中に描かれているが、詳細な場所は不明。





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[1] 第56軍配備要図 (防衛省戦史資料室、本土-配備図-49)
[2] 第57師団関係資料 (防衛省戦史資料室、本土-西部-51)
[3] 戦史叢書 本土防衛準備九州 朝雲新聞社
[4] 福岡の戦争遺跡を歩く(海鳥社)







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