彦島、安岡、鼻ヅラ(垢田)、武久、一宮 砲台


2014.1.5 垢田、安岡、彦島
2014.2.16 武久、彦島
2014.2.22 彦島
2014.12.14 武久、彦島
2015.2.11 一宮
2015.2.21 垢田、武久、彦島





 まともな資料は、下関要塞守備隊戦史資料[1]だけで、それに書かれている事をまとめると、以下のようになる:

(1)当初は以下の予定だった
 彦島 7cmカノン1門(蓋井島)
 安岡 7cmカノン1門(観音崎)
 一宮 7cmカノン1門(蓋井島?)
 黒井村 7cmカノン2門(観音崎?)
 (鳥越山と権現山の間にも、火砲のマークだけが記述されているが、何なのかは不明)

(2)最終的には以下の配置に
 彦島 7cmカノン1門(蓋井島)
 安岡 7cmカノン1門(観音崎)
 鼻ヅラ(垢田) 7cmカノン2門(観音崎)
 武久 7cmカノン1門(蓋井島)

 同じ資料によると、いずれも洞窟掘開が完了し、コンクリ打ちまで終了していたとあるが、遺構が全滅しているようで、7cmカノン砲の洞窟砲台がどのようなものか、確認する術が無い。





[1] 下関要塞守備隊戦史資料


左:資料をスケッチしたもの、初期配置、右:後の変更分


7cmカノン、工事は6月上〜7月上に開始

第2中隊
 安岡砲台(後山)(観音崎 7K1 600) 洞窟掘開コンクリ完了 運搬のみ、備砲未了
 鼻ヅラ砲台(垢田)(観音崎 7K2 600) 洞窟掘開コンクリ完了 備砲完了

第3中隊
 武久砲台(蓋井島 7K1 400) 洞窟掘開コンクリ完了 備砲完了
 彦島砲台(蓋井島 7K1 400) 洞窟掘開コンクリ完了 備砲完了





第56軍配備要図[2]

左:資料をスケッチしたもの、南部、右:北部


[1] 下関要塞守備隊戦史資料(防衛省戦史資料室、本土-西部-145)
[2] 第56軍配備要図 (防衛省戦史資料室、本土-配備図-49)






彦島 砲台


左:北西下の遊園地から北を望む、右:橋の下付近から北を望む


左:駐車場の北東端付近にある唯一の開口部、右:同左


左:開口部の内部、地下通路の一部は残っている、右:老の山砲台の南端附近にある観測所跡




左:昭和40年頃の地図、右:聞き取りからの予想図


老の山周辺に7cmカノンが1門配置されていたらしいのだが、場所不明。あちこちそれらしい場所に入ってみたのだが、これといった痕跡は無い。他は破壊が激しく、そちらに巻き込まれている可能性もある。
老の山砲台も公園化で2度も破壊されてしまい、辛うじて左翼側の観測所と、一部地下通路が残っているだけである。


2015.8.3 追加

 病院で一緒になった彦島在住のお爺さんから、上記地下通路の話を伺った。
それによると:

 ・T字の左に行くと砲座があった
 ・右に行くと少し下って安岡方向に出口が開いていた
 ・この安岡方向の出口の辺りはコンクリートだった

そうである。

 この地下通路から辿る、安岡方向の出口が彦島の洞窟砲台だったのではないかと思われる。出口は塞がれてしまったのか山肌以外何も残っていないが、地下通路に入られれば、この話が正しいかを確かめることができるだろう。








安岡 砲台


左:崩落した南西側の地下壕を上から、右:同左、別アングル


左:崩落した北東側の地下壕を上から、右:同左、正面から


左:北の尾根の標高100m附近にある謎のコンクリート製水槽、右:同左附近の石列


左:砲台比定地から南西を(正面は病院)、右:開けた場所から海岸線方向を


右:昭和40年頃の地図

病院の北東裏の尾根の東斜面に、2本の崩落した地下壕入口があるので、一応ここを比定地としておく。南西斜面は病院建築の際に大きく削られてしまっており、本当にここに砲台があったか確認できない。昭和40年頃の地図を見ると、南に標高40m程の山があり、ここだった可能性もあるが、同じく削られてしまい確認の術が無い。
また北の竜王山へと向かう登山道から少し西に行った辺りに、用途不明のコンクリート製水槽がある。この辺は耕作地でもなく、こんな辺りに農業用水の水槽を作る事はない。造りなどからして、砲台関連の施設かもしれない。
また、この水槽と同じ標高付近に石列がある。余りに不自然で、人工的なもののように思うのだが、用途は不明。









鼻ヅラ(垢田) 砲台


左:谷を西から、右:崩落した地下壕入口


左:崩落地下壕の上から南を、正面に地下壕がある、南斜面の地下壕右:


左:地下壕入口、右:地下壕内部、5m程奥で左に曲がっている


左:谷を東から、右:谷の東下平坦地、その東は国道バイパスに


左:尾根の北側は前面削られている、右:別の開けた場所から、射撃方向を望む


左:別の崩落地下壕、右:照空陣地のあった辺りは削られて跡形も無い


右:昭和40年頃の地図

最近開通した国道バイパスから直ぐ西に入った辺りに、谷の北斜面に崩落した地下壕入口が、その反対の南斜面には地下壕が残っている。この地下壕は5m程で左に曲がっているが、怖くて中に入っていないので、その先がどうなっているか不明。尾根の北斜面は全面的に削られており、本当に砲台跡かどうかは不明だが、一応ここを比定地としておく。
ただ、この附近は戦争末期に防御陣地が築かれており、その関連施設の可能性もある。









武久 砲台


左:彦島から武久砲台のある付近を、右:同左


左:西の岬の山から西側を、右:同左付近から彦島方向を


右:昭和40年頃の地図

付近一帯開発が進み、比定地すら決められない。









一宮 砲台


左:125m高地の中腹から西を、右:同左から北西を


左:熊野町の方の崩落跡、右:同左続き


右:昭和40年頃の地図


右:昭和40年頃の地図

こちらも比定地すら決められない。

火ノ見山の南西側の尾根周辺の可能性も捨てきれない。








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