魚見山、波津、浅川 砲台



2014.4.19 魚見山探索
2015.3.15 波津探索





 魚見山と波津は山に入ったものの、明確な遺構は発見できず。
 浅川は場所不明。開発が進んでおり、すでに山ごと消えている可能性が高い。

砲種と砲数は、以下でファイナルアンサーで良いかと。
 浅川 15K 2門
 魚見山 12SK 1門
 波津 12SK 1門



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下関要塞守備隊戦史資料[1]

工事進捗状況:
 浅川(旧蓋井島15K 2門) 洞窟掘開70%
 波津(12SK 1門) 洞窟掘開80%
 柏原(=魚見山)(12SK 1門) 洞窟掘開80%







第56軍配備要図[4]

資料をスケッチしたもの






 



第145師団関係資料[5]

資料をスケッチしたもの




[6][7] 第145師団戦史資料及び付録

配属海岸砲は魚見山附近に陣地を占拠し芦屋海岸に現出する敵艦艇の破砕に任ず。

配属海岸砲を以って波津及草崎にも陣地を占領し三里松原北方海面並鐘崎、釣川、河口間北方海上に現出する敵艦艇の破砕に任ぜしむ

配属海岸砲(15K)を以って浅川及び垂見峠附近に陣地を占領し芦屋沿岸及びその北方海上に現出する艦艇の破砕に任ず

軍隊区分
大島守備隊:
 下関重砲兵連隊の1小隊(15K2)大島(732)

右地区隊:
 下関重砲兵連隊の1部(12SK1)魚見山(100)

左地区隊:
 下関重砲兵連隊の1小隊(12SK2)波津(100)、草崎(148)

砲兵隊:
 下関重砲兵連隊集成大隊主力(15K4)浅川、垂見峠





日付 記事
昭和20年5月下旬 海岸陣地帯構築作業(ケ号演習)[1]
第1中隊(蓋井島15K)1個小隊 →第145師団へ
集成中隊(玄海島12SK)→第145師団へ

[1] 下関要塞守備隊戦史資料(防衛省戦史資料室、本土-西部-145)
[4] 第56軍配備要図 (防衛省戦史資料室、本土-配備図-49)
[5] 第145師団関係資料  (防衛省戦史資料室、文庫-柚-132)
[6] 第145師団戦史資料(アジア歴史資料センター、A03032122800)
[7] 第145師団戦史資料付録(アジア歴史資料センター、A03032122600)






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魚見山砲台


左:西方向を、右:魚見山展望台


左:黄色矢印部に崩落した地下壕入口A、右:同左アップ


左:Aの反対側(南西側)の谷地、崩落した砲座という感じまで行かない、右:崩落した地下壕入口B


左:崩落した地下壕入口B、少し引きで、右:崩落した地下壕入口C


左:地下壕入口D、右:同左内部、すぐに行き止まる



 遠賀川の河口に魚見山がある。山全体が公園となっており、遊歩道が整備されているが、ちらほらと遺構跡らしいものがある。
 展望台の東下斜面に崩落した地下壕入口Aがある。尾根を挟んで反対側(南西側)も見てみたものの、トンネル砲台らしい地形は確認できなかった。
 その一つ北の谷地にも崩落した地下壕入口Bがある。ここも反対側(西側)の谷地に降りてみたものの、こちらもそれらしい地形は確認できなかった。
 その北の谷地は、南に小さな崩落地下壕入口Cがあるが、余りに小さすぎて別物かもしれない。その北西面には地下壕Dがある。明確に残っており、危険なために入口が封鎖されている。無理やり内部を撮影してみたが、5m程奥で行き止まりになっていた。

 結局、砲座らしき地形は確認できなかった。射線を考慮するとAが一番可能性として高そうなのだが、洞窟掘開80%とあるので、かなり明確な崩落跡が残っている筈であり、今回探索した範囲内には無かったのかもしれない。






浅川砲台



 位置不明。配置図を見ると、上地図の中心部附近かと思われるのだが、終戦後の航空写真を見ると火薬庫のような施設が写っており、あまり良い立地ではない。
 周辺も開発が進んで山が根こそぎ消失してしまっており、すでに消失している可能性が高い。






波津砲台


左:崩落した砲座じゃないかと思われる辺り…、右:同左正面にある池のようなものを南東下から


左:崩落した砲座じゃないかと思われる辺りをアップで、右:同左から射線方向を



 この辺かと山に入ってみた。崩落した砲座か?と思われる場所はあったが、今ひとつ。
 尾根にはかなり明確な道跡があり、途中までは歩きやすい。ただ分岐から北方向は竹やぶになっており、本当なら123m高地まで行こうと思っていたが諦めざるを得なかった。





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