吉見 砲台
2013.11.2 探索
左:、右:
山陰本線の吉見駅のある吉見町の中心から、北北東へ約2.5km。野添集落と宗房集落の中間付近の尾根に、洞窟砲台が2基築かれていた。その内の1基は比較的良い状態で残っている。山口県では現存する唯一の完成した洞窟砲台であり、貴重な遺構である。
下関要塞守備隊戦史資料[1]によると、昭和20年2月下旬に15cmカノンを洞窟式砲台へと変更されることになり、角島にあったクルップ式15cm砲2門を杖坂山へ移すべく工事が進められたものの、地形不良で作業継続が困難となり、この場所へ変更となった。6月上旬から工事が開始されたが、終戦時には洞窟開削とコンクリ作業が終了。右砲庫は備砲完了、左砲庫は付近まで火砲を運搬したまで。観測所については、位置を決定し測量を概ね完了するのみであったとある。
また下関重砲兵連隊史によると、指揮官は末繁中尉で、備砲が完了したものの弾薬撤入直前に終戦となり、閉鎖機を海中に投棄したとある。
2基の砲座の内、北側のものは埋もれつつあるも、内部は比較的良い状態を保っている。南側のものは崩落して埋まっているが、もしかしたらこれは関係なく、もっと南にちゃんとしたものがあるかもしれない。
射線は200度くらいで、吉見から彦島にかけての海岸線を防御するためのものだったようだ。
場所は畑の奥にあり、軽トラがあったら一声かけておいた方が良い。
日付
記事[1]
昭和20年2月下旬
第1期作戦準備 第1次15cmカノン陣地の築城(キ号演習)
長門二見(杖坂山、第5中隊102名、ラ式15cmカノン)で洞窟砲台工事開始
昭和20年 時期不明
地質不良により作業困難。吉見へと変更。6月頃工事開始。
[1] 下関要塞守備隊戦史資料(防衛省戦史資料室、本土-西部-145)
左:砲座Aの南西側の平坦面、右:砲座Aを南から
左:砲座A、右:同左アップ
左:砲座Aの内部、右:奥
左:砲座Aの開口部に向かって、右:東面に付くフック
左:天井のフック、右:側面のフック
左:奥の出入口、右:同左上の換気口
左:隙間から内部を、右:砲座Aの南側の平面
左:砲座Bを南から、右:崩落して埋まった砲座B
左:少し下がって、右:砲座Bの南西側の平坦面
左:崩落した地下壕Cを東から、右:同左を正面から
左:崩落した地下壕D、右:同左を西上から
砲座Aは、幅約5m、縦約7mであり、奥に出入口と、その上に換気口らしき穴がある。砲架基礎の掘り込みの有無については、崩落した土砂に埋まり、わからない。フックが直上から側面まで3ヶ所に設けられている。
砲座Bは、砲座Aの南隣にあるが、崩落して埋まっている。ただ、埋まっているのを確認しているわけではないので、もっと南にしっかりした洞窟砲台が別に残っている可能性もある。
尾根を挟んで北東斜面に、2ヶ所の崩落した地下壕CとDがある。それぞれが砲座AとBの裏口だったのではないかと思われる。
弾薬庫用の地下壕も必要だった筈で、そうなるともう少し南側も再調査すべきかもしれない。
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