演習砲台



 下関要塞には幾つかの演習砲台が存在したものの、明確な記録が残っていないため、何時竣工し、何時廃止されたかは良くわからず、また隠山演習砲台についてはどこにあったかも良くわからない。



名称 備砲 時期
数珠山 28H4、24K4 大正4年頃〜終戦
丸尾山 28H4、24K4 大正4年頃〜終戦
隠山 大正4年頃〜?
関山 軽砲? ?〜大正6年頃?
15cm加農 45式15K1 昭和11年2月竣工〜終戦?




丸尾山 演習砲台

右:米軍の航空写真(R390-5、国土地理院)


 丸尾山演習砲台は、関門大橋西の壇ノ浦PAの南の尾根上にあった。戦後、公務員の宿泊施設建設により跡形も無い。
 航空写真を見ると、28cm榴弾砲砲座らしいものが2-2の4基、その北に砲座っぽいものが写っている。


以下のような資料があるところを見ると、以下の事がわかる。
 ・大正4年10月頃に竣工
 ・途中24cmカノン4門も備砲されていたが、途中で返納された
 ・28cm榴弾砲4門があった


下関要塞演習砲台関係竣功図書の件(アジア歴史資料センター:C01007468800)
 昭和9年2月5日
大正4年10月27日 下関要塞丸尾山演習砲台竣工図書


演習用24糎加農交換に関する件(アジア歴史資料センター:C01006058400)
 昭和2年4月27日
下関重砲兵連隊保管24cm加農4門は大正15年7月27日附陸府普第3161号に依り数珠山に新設せられたるものと交換支給方陸軍兵器本廠長へ通牒せしに付承知せられ度
追って交換下品たる丸尾山演習砲台の分は営造物の修補を要せざる範囲に於いて当分そのまま使用差支無きに付承知せられ度


火砲特別支給の件(アジア歴史資料センター:C01006778100)
 昭和11年6月11日
丸尾演習砲台 24cm加農砲4門 同砲台属品1組
 →下関重砲兵連隊
本兵器は昭和2年5月3日陸普第1778号を以て特別支給のものなるも不要となりたるに付保管部隊により返納方申出したるものとす


終戦時の引渡火器(下関重砲兵連隊史)
 28cm榴弾砲4門(使用不能)







隠山 演習砲台

 詳細不明。下の1つ目の資料を見ると数珠山とは別に存在するようだが、2つ目の資料を見ると、数珠山砲台の北側28cm榴弾砲台が隠山砲台で、南側が数珠山砲台のように書かれている。工事は別々に行われ、後に両方を数珠山砲台と称するようになったのかもしれないが、よくわからない。


下関要塞演習砲台関係竣功図書の件(アジア歴史資料センター:C01007468800)
 昭和9年2月5日
大正4年10月27日 下関要塞数珠山演習砲台竣工図書
大正4年10月27日 下関要塞隠山演習砲台竣工図書


演習砲台新営工事の件(アジア歴史資料センター:C01003808500)
 昭和2年4月26日
別紙第1 下関重砲兵連隊演習砲台増築要領
3.数珠山演習砲台北側隠山旧砲台内西北端附近に遠距離用観測所を新築す







関山 演習砲台

右:米軍の航空写真(R390-15、国土地理院)

 一里山公園の南東500mにある円陵寺の位置に、関山演習砲台があった。備砲は不明だが、関山とは名指しされていないものの軽砲演習砲台と書かれている資料もあることから、車輪式のカノン砲や、15cm以下の臼砲などの演習砲台だったのかもしれない。
 大正6年頃に廃止になったようで、その年の8月28日に、下関市から午砲台(昼を告げる空砲を撃つ為の砲台)として敷地の使用願いが出されている。



関山演習砲台敷地々平均其工事施行の件_C07051053200
 明治34年7月23日

関山演習砲台敷地の一部使用の件_C03010908600
 大正6年8月28日
下関市から午砲所として使用願い

旧関山演習砲台土地建造物管理換の件_C03010911900
 大正6年10月2日







15cm加農 演習砲台


右:米軍の航空写真(R515-2-7、国土地理院)

 昭和11年頃に、金比羅堡塁の北西隣に45式15cmカノン砲1門と付属施設のみで築かれたようだが、詳細は不明である。



演習砲台新営工事に関する件(アジア歴史資料センター:C01004058700)

下関要塞15cm加農演習砲台建設設計要領書
 昭和10年10月11日

1.本砲台は金比羅堡塁右肩角前方第1砲床より距離約104m、標高約56mの附近に設く45式15cm加農改造固定式1門を据付け得る如くす
2.本砲台の首線方向は真方位305度とし直接照準し得る射界は概ね首線の右43度(網代鼻方向)より左73度(名護屋岬方向)に亘る116度の間とす
3.本砲台には89式砲台鏡を使用する観測所、規正基準点及び軍道を設け其の外の建築物は既設のものを利用す。但し、観測所は単簡なる構造とす
4.略
5.本工事の竣工期限は昭和11年2月末日とす









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