砲座周辺(西部)




2009.1.17 探索

米軍の航空写真(M18-4-56、国土地理院)









左:砲座Aの北西側の通路、右:通路から砲座Aの出入口を


左:砲座A内部(北側)、右:同左(南側)


左:砲座Aの南側の砲側弾薬庫、右:北側の砲側弾薬庫


左:砲側弾薬庫、右:同左アップ


左:砲座Aを上から、右:同左


左:砲座Aの東縁のコンクリ基礎、右:砲座Aから東下のFを見下ろす




左:砲座Aから砲座Bを、右:通路脇にある凹み(北側)


左:砲座B出入口の角、右:砲座B出入口前から通路の南側を


左:砲座B内部(北側)、右:同左(南側)


左:砲座Bの東側の開放部、右:同左から北下のFを見下ろす


左:砲座Bの北側の砲側弾薬庫、右:同左の続きで砲座A方向を


左:砲座B内部、右:同左


左:砲座Bの砲側弾薬庫、右:砲座B中心から入り口を




左:砲座Cの土塁東縁、右:砲座C内部


左:砲座Cの内部、右:南側の砲側弾薬庫


左:砲座C中心から出入口を、右:出入口脇の石垣


左:通路から砲座Cを、右:同左


左:通路の石垣、右:通路にある凹み(南側)


左:砲座Dの砲側弾薬庫(北東)、右:同左(南)


左:砲座Dの西半分は破壊され、鉄塔が建っている、右:南側の砲側弾薬庫


左:指揮所E、今は何も無い、右:同左、イノシシに掘り起こされている




左:待避所Fの西壁面、右:同左北西角部


左:待避所Fを北から、右:同左の南西隅


左:待避所Fの西壁面を南から、右:待避所Fを北から


左:待避所Gの西面の石垣、右:北東角部


左:砲座Dの南下の石垣、右:待避所G内部、薮


左:待避所Gの南側にある水槽?、右:同左の縁




左:弾薬庫I、右:同左東側の石垣


左:弾薬庫Iの東側の石垣、右:弾薬庫I内部


左:遊歩道から弾薬庫Jを、右:弾薬庫Jの北面の石垣


左:弾薬庫J、右:同左の東端


左:弾薬庫Jの南下の石垣、右:同左




左:平坦地Kを北西上から、右:平坦地Kを南西上から


左:平坦地L、右:同左から神戸市街を


左:平坦地Hの南西面の石垣、右:平坦地Hの南東を越える遊歩道


左:平坦地H、右:同左東側


左:平坦地Hの東下の石垣、右:北下の石垣


左:平坦地Hの西下の石垣、右:平坦地Hの東付近







砲座とその周辺:

標高371mのピークに4基の砲座が東に向かって扇型に並んでいる。ただ一番南側の砲座の半分は鉄塔建設の際に崩されてしまっている。砲座はそれぞれ内径約7mで3個づつの砲側弾薬庫を備えている。いずれも中心部に基礎らしいものが無いことから、有脚の高射砲が備えられていたと思われる。
北東下と南東下にそれぞれFとGがある。用途が明確ではないが、それぞれ砲座AB、砲座CDと近く、特にBとCは東側に縁が無く、そのままFとGとへ降りて行ける傾斜があることから、砲員待避所ではないかと推測する。後述の弾薬庫と同じく、一方は山の斜面だが反対側は開けており、空襲を受けた際に防御できないという欠点があるものの、他に用途が思いつかない。北側のFはコンクリート、南側のGは石垣で壁面処理されている。何故別にしたのかは不明である。Gの平坦地の南には、庭にある池のようなコンクリート貯水槽がある。
砲座の西側には平坦地Eがある。航空写真を見ると指揮所があったようなのだが、現在は荒地になり、指揮所らしい痕跡は見当たらない。



更にその周辺(弾薬庫等):

砲座のあるピークの西下と南西下とに平坦地IとJとがある。砲座との位置関係などから弾薬庫と推測する。砲員待避所と同様に、防御的に欠陥がある。建物の基礎らしいものも見当たらない。
Jの南西側には、平坦地KとLが続いている。こちらも用途は不明。

砲座のあるピークの北西下には石垣で囲まれた平坦地Hがある。用途は不明であるが、上に建物でも建っていたのか。






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