足摺岬西部 送信所?





全体配置図








送信所?





左:土塁Aを北東上から、右:土塁Aを北下から



左:土塁Aの南西の竪堀状の窪地、右:同左を土塁Aの上から



左:土塁Aを南西から、右:スカイラインから降りてきた辺り、土塁は右奥



左:土塁?Bを北西から、右:平坦地Cを西から



左:土塁?Bを北から、左下に道が出ている、右:平坦地D





足摺岬スカイラインの脇から尾根沿いに南西へ下る道のようなものがある。そしてこの周辺が送信所跡らしい。現在はスカイライン建設の際の残土で埋められ、また後に下へと続く道がつけられてしまった為に、遺構は殆ど残っていない。しかし、辛うじて北西側に土塁Aと、南東側に土塁らしきものBが残っている。
地元の古老であるYさんの話によると、この付近に何らかの施設があったらしい。足摺岬の警戒機陣地で技師をされていたMさんが地元の郷土史を調査されているNさんに宛てた手紙によると、この付近に送信所があったらしいので一応ここが西部地区の送信所ということで仮定しておく。

北西側の土塁Aは比較的しっかりしており、土砂で埋められる前にはこの付近に方形土塁があった可能性があり、土砂を取り除けばコンクリート製の基礎などが見つかるかもしれない。ただ方形であったにしては中途半端な部分しか残っていないのも気がかりである。土塁Aの南西側には竪堀状の窪地がある。出入口跡なのか陥没した地下壕なのかは不明。土塁Bは土塁かどうかも多少怪しく、戦後に道がつけられた際に出来たものかもしれない。平坦地Cは地形が明確であり、当時のものかもしれない。平坦地Dは不明である。






地下壕


左:地下壕前の道を南西から、右:地下壕Eの入り口



左:地下壕E内部、右:同左内部、曲がって直ぐ行き止まり



左:地下壕Eを内側から、右:地下壕F



左:地下壕F、埋もれている、右:地下壕前の道を北から





送信所の西下には、地下壕が2ヵ所ある。
Yさんの話によると、終戦後、この壕の内部に警戒機の機器類が埋められており、復員したYさんはラジオ修理の材料を取りに何度か来ていたが、ある日ごっそりと持っていかれてしまったそうだ。室戸(陸軍、行当岬)での聞き取りでも、同様に終戦後に機器類を地下壕に埋めてしまったという話がある。陸軍で共通性があるのであれば面白い。
地下壕Eは5m程の深さで、多少のゴミ以外何も残っていない。地下壕Fは埋まってしまっており、掘りかけだったのか埋もれてしまったのかは不明である。
また地下壕の前を通っている道は、昔の遍路道であったらしい。





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