足摺岬 超短波警戒機陣地





足摺岬 レーダー施設 全体配置図



2010.6.28 新規作成
2010.7.3 東部警戒機陣地の記事を追加
2010.7.8 西部警戒機陣地の兵舎の記事を微修正と写真の追加
2011.11.30 資料追加と追記


足摺岬には、戦争中に陸軍の警戒機陣地2ヵ所と、海軍の特設見張所とが置かれていた。
陸軍の方は、元々は西部の方を設置し、その後に東部を建設中、終戦で中断。その為に東部に兵舎等は置かれておらず、西部から東部へ軍道を渡して通っていたそうである(図中の赤い細線)。




足摺岬 一覧:

西部 警戒機陣地
東部 警戒機陣地

記録等


海軍の特設見張所はこちら







足摺岬 西部


左:西部陣地の施設の全体配置図、右:米軍の航空写真(M274-76、国土地理院)




西部施設全体図(施設名は仮定のもの)


 西部陣地は、足摺中学校の北方から足摺テルメ付近に、送信所と3ヵ所の受信所(内1ヵ所は?)、兵舎、発電所等によって構成されている。戦後の開発で破壊されてしまっている部分があるものの比較的良く残っており、当時の超短波警戒機要地用の様子を知ることの出来る、貴重な遺構である。
 ただ付近は猪の住み家になっており、山に入る際には注意を要する。また兵舎には比較的長い地下壕が残っているが、崩落の危険性があるので入らないように。それから私有地なので立ち入りの際には可能な限り一声掛けると共に、遺構内の遺物を盗難しないように。

追記(2011.11.30)
資料[8]によると、足摺岬に警戒機甲が配備されていたとある。もしそうだとすると、4ヶ所ある施設の内の1ヵ所が甲の施設、1ヵ所が乙の送信所、2ヵ所が乙の受信所となる。地形からして上記図面中の送信所としている部分が甲の施設、受信所2としている部分が送信所になるかと思われるが、現状では送信所としている遺構は破損が酷く明確なことは判らない。






足摺岬西部 遺構一覧:

送信所
第1受信所
第2受信所
第3受信所
機銃陣地
兵舎、発電所

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足摺岬 東部


左:東部陣地の施設の全体配置図(施設の名称は仮定のもの)、右:米軍の航空写真(M274-76、国土地理院)




東部施設全体図


 東部陣地は、金剛福寺の北方から北に伸びている尾根上の、海軍の特設見張所がある部分よりも更に北の標高282mの三角点のあるピーク周辺に、送信所らしきものと2ヵ所の受信所?が置かれている。西部の後から建設されており、西部の遺構とは形も完成度も大きく違っている。西部の後から戦後に開発されることも無く、良く残っており、こちらも当時の超短波警戒機要地用の様子を知ることの出来る貴重な遺構である。
また三角点付近には、民間の防空監視哨跡も併設されている。また兵士による自活用の畑もあったらしい(地元の古老Yさんの話による)






足摺岬東部 遺構一覧:

送信所
第1受信所
第2受信所

民間防空監視哨




施設の配置に関して:


Nさんの手紙内の絵による送受信所の位置関係と、実際の遺構の位置


元技師のMさんが地元の郷土史を調査されているNさんに宛てた手紙では、三角点のある頂上と思われるピーク付近に送信機の人形型アンテナが建ち、そこから南へ下る尾根上に2ヵ所の受信所が並んでいる絵が描かれている。

この絵をそのまま素直に地図上にプロットしてみたのが上の図で、畑の上の受信所跡は恐らくほぼ確実であるため、これが1番目の受信所である場合と2番目の受信所である場合の2通りの配置が推定できる。
しかし三角点のピーク周辺は丹念に探索してみたものの他に遺構らしいものもなく、

(1)実は南の未探索地域にも受信所跡があり、仮定第1受信所が実は送信所で、仮定第2受信所が1番目の受信所、南の受信所跡が2番目の受信所(ほぼ目撃証言通りの並び)
(2)目撃証言から多少位置関係はずれているものの、矢張り仮定通りの配置

の2通りが考えられる。
ともかく、3番目の受信所の探索も含め、もう一度は行かなければならないだろう。


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記録等:


日付 記事等
昭和19年6月頃 西部軍情報隊、足摺岬の精度が良く約170kmの警戒距離があったとある。 [2]
昭和19年8月 西部軍航空情報隊配備図、足摺岬「乙31」 [2]
昭和20年1月10日 陸軍対空電探現況要図、足摺岬 乙1基警戒中 [3]
昭和20年 日時不明 陸軍対空電探現況要図、足摺岬 乙1基警戒中、乙1基建設中 [3]
昭和20年6月10日 機11大(第11高射機関砲大隊?、炸4117):
ケキ3個中隊、ソキ2個中隊、98式1個中隊、別に独立2個小隊を編成

98式各1個小隊は室戸岬、足摺岬(以上55軍に配属)、
潮岬、田辺(以上144師団に配属)、共に警戒機の直接援護
[7]より関係する部分を抜粋)
昭和20年8月頃 本土電波警戒機配置要図、足摺岬 乙要地用 [1]
昭和20年8月頃 日本のレーダー配置図 九州と西部地方、足摺岬:タチ6(稼動中)×2、(海軍)11号×2、13号×2 [5]
昭和20年8月15日頃 高射砲第3師団運用要図 足摺岬:HMAbS(第11高射機関砲大隊) 2門 [6]
昭和20年8月15日頃 警戒機乙要地用2基(周波数72MC、76MC)、警戒機甲受信機1基(原資料では甲が乙になっている)、第1中隊本部 [8]








参考文献
[1] 「戦史叢書 本土防空作戦」 朝雲新聞社
[2] 「高射戦史」 下志津修親会
[3] 「陸軍対空電探現況要図」 防衛省戦史資料室(全般 053)
[4] 「第31航空情報隊等臨時編成」 防衛省戦史資料室(動員 162)
[5] Electronics / Evaliation of Photographic Intelligence in Japanese Homeland / The United States Strategic Bombing Survey
[6] 「砲兵沿革史 第4部高射砲兵」 偕行社
[7] 「本土防空隊の概況 昭和20年」 防衛省戦史資料室(本土 全般 061)
[8] 「Deployment Diagram of The 35th Information Corps / INGL No.1 to G-2 Periodic Report No.54 I Corps」 国会図書館 憲政資料室(USB10 R24 1132-1133)

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