足摺岬西部 第3受信所





全体配置図




第3受信所





左:基礎Aを北から、右:基礎Aを北西の土塁上から



左:基礎Aを南から、右:基礎Aを南西から



左:基礎Aを北東から、右:基礎Aの北の土塁を東から



左:基礎Aの北東隅付近、右:基礎A内に転がっていた金具



左:基礎A内の金具、薬缶等、右:基礎A付近にあった碍子






左:基礎Aの北の土塁上から北東を、右:同左から東を、奥にBがある



左:Bを西から、右:Bの東側、通路?のようになっている



左:コンクリート水槽C、右:Cの南西にある窪地



左:土塁上から窪地Dを見下ろす、右:窪地Dを南西から





足摺中学校の北東にある尾根の鞍部に、第3受信所がある。3ヶ所ある受信所の中では基礎が最も明確に残っており、また周辺が破壊された様子も無く、当時の雰囲気を良く伝えているのではないだろうか。
基礎Aは、外枠の恐らく内側(外だったか内だったか記憶が定かでない)が約430×430cm、内部の方形基礎の寸法は約120×90cmで、第1受信所のそれとほぼ同じである。第1受信所と同じく、警戒機乙要地用の測定用空中線土台の木枠の寸法が外形で4545mm×4545mmなので、恐らくはこの木枠をこの基礎の上に載せていたのではないかと推測される。中央の基礎は、アンテナの柱を支える為に別途据えたものであろうか。基礎の南西と北西の2面には土塁が回っている。また基礎Aの内部には、金具が幾つか転がっているが、写真にある金具は形や大きさから空中線土台の木枠の隅を固めていたものではないかと推測するものの、警戒機の取扱説明図には明確な図は載っていないので何とも言えない(寸法を測って置けば良かった)。また碍子も落ちていたが警戒機の物か不明であり、薬缶や鍋、アルミ製懐中電灯、瓶など瓦礫も散乱しているが、これまた戦後のものか当時のものかは判らない。
基礎Aの東には、Bがある。通路がぐるっと回っているような感じだが、何なのか不明。Aの南側からこのBにかけては、土留めに低い石垣が造られている。そしてAの南東上の平坦地にはコンクリート製水槽Cがある。水槽としたのは中に水が溜まっていたからであり、用途は別かもしれない。またAの北にある土塁の北西下には窪地Dがあるものの、用途は不明。

元技師のMさんが地元の郷土史を調査されているNさんに宛てた手紙内の地図では、ここには受信所は無く「肉眼監視所」ではないかとのメモをされている。ただ、コンクリート基礎Aの形状から、ここに受信機があったのはほぼ間違い無いのではないかと思われ(といって確証できるものは全然無いのだが…)、第2受信所の記事にも書いた通りMさんの記憶違いでここが第2受信所で、第2受信所は後に追加された第3受信所もしくは送信所の可能性の方が高いのではないかと思われる。それであれば位置関係においてはMさんの証言とも矛盾は無く、遺構の辻褄も合いやすい。





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