足摺岬西部 機銃陣地等





全体配置図




機銃陣地





左:平坦地Aの西の降り口付近からA中央の土塁?方向を、右:同左から南を



左:平坦地A中央の土塁?、右:平坦地Aの南半分



左:平坦地Aの北半分、右:平坦地Bの北東隅



左:平坦地Cを北に向かって、右:同左を西に向かって



左:平坦地Cの西端にある溝その1、右:溝その2






左:平坦地Dを南東に向かって、右:平坦地Dの東から北東を



左:平坦地Dの東の道に落ちている碍子、右:北東の十字路付近の石垣



左:北東の十字路から西を、ここを進むと地下壕へ、右:十字路から東を、ここを進むと水場へ



左:平坦地Aを南に回りこむ道、右:同左の下付近の段々畑跡E





足摺中学校の北上にあるピーク付近が機銃陣地跡である。
平坦地Aは真ん中に東西に向かって土塁らしきものが走っている。恐らくは戦後の畑のものかと思われる。また平坦地Aからは南から東へと道が回りこんでいる。軍道か?とも思ったが、スカイラインから送信所を伝って降りてくる道の最奥部がこの平坦地Aであり、送信所脇の道が戦後造られたものであること、また道と同心円を描いて段々畑跡が続いている事から、この道は戦後のものである可能性が高いように思われる。平坦地Aの北は平坦地Bであるが、一面藪で地面の状態は良くわからない。
その北下には平坦地Cがある。西端に竪堀状の溝が3本以上あり、恐らくは崩落した地下壕ではないかと思われる。またその北東下には平坦地Dがある。第2受信所との間の道に大きな碍子が落ちているが、これまた時代は不明である。北東にある十字路の周辺には立派な石垣が幾つもあるが、恐らくは戦後の畑跡かと思われる。この十字路を北東に上ると送信所、北西に行くと送信所の西下の地下壕、南東へ下ると水場を経て民宿方向へと続いている。元々は遍路道であったらしい。

地元の古老Yさんの話によると、この山の頂上(平坦地AからB付近)に機銃が据えられていたらしい。終戦後の航空写真を見ると、何か銃座らしきものが写っているような写っていないような、そんな感じがする(スケッチはかなり誇張)。そして戦後は畑になったそうなので銃座跡は残っていないと思われる。

資料[1][2]によると、足摺岬には98式20mm機関砲の1個小隊(2門)が配備されていたようである。





参考文献
[1] 「砲兵沿革史 第4部高射砲兵」 偕行社
[2] 「本土防空隊の概況 昭和20年」 防衛省戦史資料室(本土 全般 061)





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