足摺 特設見張所 兵舎・発電所・貯水池




全体図



兵舎:




左:兵舎の敷地Oの南側の林道、右:林道から兵舎敷地Oを望む


左:兵舎敷地Oの南東端、右:南西側の土塁


左:兵舎敷地Oの中央から南東側を望む、右:建物基礎a


左:南西側の土塁、右:便所bの南側の構造物


左:便所bを北側から、右:便所bの大便器側アップ


左:便所b、大便器と東壁、右:便所bを東から


左:便所b付近の瓦礫、右:土塁c


左:出入口?d、右:dの北東側の石垣





左:dから敷地全体を、右:壕e


左:壕eの内部、右:壕f


左:壕f付近から南東方向、右:壕f付近の何かの基礎


左:壕f付近の瓦礫、右:壕g近くの廃車


左:壕g、右:窪地h


左:兵舎敷地Oの北東斜面から上の畑Uの石垣を見上げる、右:水槽iを南から


左:水槽iを東上から、右:水槽内部


左:水槽iの北面、右:水槽j


左:水槽j、右:畑U





畑Uの一段西下の平坦地周辺Oに、兵舎関連の遺構が幾つか残っている。
平坦地Oは東側が切岸で西側は土塁である。林道側の出入口から入ってすぐの土塁の脇に、建物基礎aがある。寸法は測っていないが5m×2mくらいだったように思う。用途は不明。
敷地の北西側に便所bがある。汲み取り式の大便器が3基と、その東側に壁の一部、また南側に何らかの構造物がある。
便所の北側には北側の出入口dと、その南西側に土塁cがある。恐らく林道は戦後のものなので、発電所の敷地へはここを通っていたと思われるのだが、それにしては段差が激しい。
敷地の東側の切岸には3ヵ所の壕がある。一番北の壕eは2m程奥で南に折れ曲がっており、壕fの内部は確認できなかったが、eとfとは内部で繋がっているのではないかと思われる。壕gは幅は広いものの直ぐに行き止まっている。元々こうだったのか崩落しているのかは不明である。また壕の近くには幾つかの基礎や瓦礫が散乱している他、古いスカイラインの廃車が捨ててある。
兵舎の平坦地Oと畑Uの間は斜面になっているが、水槽などがある。
南東端付近には、窪地hがある。用途は不明。壕fとgの間辺りには、コンクリート製の水槽iがある。特設見張所でよく見かける生活用水用の三連式水槽で、壁面を一部壊して屋根を葺き、小屋として利用していたようだ。また水槽iの北東側には水槽jがあるが、畑Uを作った際に埋められて石垣の一部となっている。また写真には無いが、水槽iの北側には兵舎から電探施設へと向かう軍道の一部が残っている。
兵舎の平坦地Oの北東上には別の林道に沿って畑Uがあるが、水槽の一部を埋めているところをみると、戦後に造られたものかと思われる。もしかしたらこの畑の下にも何かあったのかもしれない。


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発電所:




左:小屋o、右:小屋oと発電機基礎n


左:空気圧縮ポンプ用の基礎?と水槽m(マフラー?)、右:水槽m


左:水槽mの近くの空気圧縮ポンプ用の基礎?、右:発電機冷却用水槽k


左:水槽kの北角、右:水槽kの東角、内側にハンドルが付いている





左:発電機基礎n、右:同左、アンカーボルトは2列ある


左:発電機基礎nから小屋o、右:発電機基礎nから南を


左:発電機基礎nから南を、右:敷地の南側にあるコンクリート基礎


左:南東側の土塁、右:小屋oの南西にある池?p


左:土砂捨て場T、右:奥右手に発電所跡がある





兵舎の敷地Oの南を回りこむ林道は土砂捨て場Tへと行き当たるが、そのカーブの北側に発電所跡がある。
発電所の建屋があったと思われる部分の北西半分に小屋oが建てられている為にその内部の様子は判らないが、引渡目録を見ると発電機は2基あるので、この小屋の下にも発電機の基礎があるものと思われる。
発電機基礎nには、約21cm間隔で9本並んでおり、更にそれが約75cmの間を置いて2列に並んでいる。
基礎nの東側には、1辺約65cmの水槽mと、1辺約35cmほどで4隅にアンカーボルトのあるコンクリート製基礎がある。恐らく発電所の付属設備で、島根県で調査されている方から見せていただいた島根県の日御碕の特設見張所の発電所の写真でも同様なものが写っていた(注:日御碕特設見張所は未探索なのでこのHPには無い)。米軍が南方の日本軍基地を占領後にまとめた日本軍施設の資料の中の発電所のものに、発電機近くに「punp stand」もしくは「motor base」と書かれた場所があり、推測するにこのコンクリート製基礎は、発電機を始動する際に使用した圧縮空気を圧縮するポンプの基礎かと思われる。また同じ資料では発電所外の小さな水槽らしきものに「muffler」と書かれており、水槽mはこのことかと思われる。ただマフラーとあっても、ここに発電機の排気ガスを送り込んだとは想像もつかず、こちらの方は疑問符が残ったままである。
発電所の東には発電機の冷却用水槽kがある。北西面の長さは約4.5m、北東面は測れなかったが写真から約3mくらいかと思われる。発電機の容量が探照灯を持つ一般の発電所よりも小さいためか、水槽の大きさも小さいようである。東面の内側には中に降りるハンドルが付いている。
小屋oの南西には池もしくは窪地pがあるが、こちらは戦後のものかと思われる。


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貯水池・ポンプ室:




左:貯水池Qの西下から石垣を、右:貯水池Qの南西側を東上から


左:貯水池Qの西側の石垣、右:Qの南西下のポンプ台の石垣と何かの基礎


左:何かの基礎を南から、右:ポンプ台の基礎部分


左:ポンプ台付近から西を、右:同左から北西奥の平坦地Rを


左:平坦地Rの東端の北側斜面にある海軍の標柱、右:ポンプ台の西側の瓦礫


左:南西へと下る山道、右:同左の奥と平坦地Rの南下にある平坦地


左:貯水池Qの南を通る林道、右:貯水池Qの東側


左:土砂の埋立地Tから貯水池Qに崩れ落ちている土砂、右:平坦地S





VOR跡地の北西側から西に下る谷地を進むと、貯水池関連の遺構が残っている。
貯水池Qは東西約20m、南北約7mで南西側に石垣が組まれており、まるでダムのようである。現在は内部は土砂で埋まり、埋立地Tから大量の土砂が更に落ち込んできている。貯水池Qの南西下にはポンプ台と思われる基礎がある。またポンプ台の西下付近にはコンクリート製の瓦礫が幾つか転がっている。
貯水池Qの更に西側には平坦地Rが続いている。ただどのくらいまで広がっているのかは藪になっていて良くわからなかった。またRとQの間の北の斜面には海軍の標柱が建っている。この標柱の境界方向を見ると平坦地Rは敷地外の可能性がある。
貯水池Qの東上には平坦地Sと、更にその上にも1ヵ所の平坦地がある。何があったのかは不明である。

聞き取りによると、70m×20mの大きな水槽があったとあるのだが、大きさを間違えて覚えていたのか、それとも元々は南北に長かったのが土砂の埋め立てで南側の一部しか残らなかったのかは不明である。


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資料:
(1)「電波探信儀及電波探知機装備工事心得(案)」 A03032172600






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