足摺 特設見張所 北部電探施設群(電探南・機銃座)




全体図







左:畑跡、右:弾庫Mを南下から


左:弾庫Mの東にある出入口、右:弾庫Mの南側の土塁


左:弾庫Mの西端、右:西端から南側の土塁を


左:弾庫Mの出入口の西にある土塁、右:弾庫Mの内部


左:銃座Jを西側から、右:銃座Jを南東側から


左:銃座Jの弾薬庫、右:同左の内部


左:銃座Kの南下の石垣、右:見張所?Kを南西から


左:見張所?Kを東から、右:同左のトンネル





左:銃座Iを南から、右:同左の北に抜ける出入口


左:銃座Iを北から、右:銃座Iの弾薬庫


左:電探施設Gの東側のコンクリート構造物を北から、右:同左を西から


左:電探施設Gを東から、右:同左の地下室の東側入り口


左:電探施設Gの地下室内部を東から、右:地下室内部を西から


左:電探施設Gを西側から、右:同左の西端


左:地下室の西側入り口、右:見張所?Lを東から


左:Gの北西上にある平坦地、右:同左付近の玉砂利


左:指揮所?Dへと続く軍道、右:軍道付近に転がっていたメーターケース


左:同左と弾庫Mの間の斜面に転がる海軍の標柱その1、右:海軍の標柱その2


左:銃座Hを北西から、右:同左を西から


左:銃座Hの土塁の東縁、右:銃座Hを東から




226m標準点から南東にかけて伸びる尾根上に、電探施設や銃座がある。
南側の斜面には戦後の畑跡の石垣が続くか、その上に弾庫と思われる施設Mがある。東西約15m、南北約5mで南側に土塁があり、その南面は石垣である。東に出入口があり、内側に土塁が北から出ている。引渡目録に弾庫が出てくること、また付近に銃座があること、そして周りをわざわざ土塁で囲っている事から、弾庫ではないかと推測する。
弾庫Mの東上には銃座Jがある。北側に内側の幅が約90cm、奥行き約1mのコンクリート製弾薬庫が1ヵ所ある。円形窪地は内径約3mで、その南下には補強の石垣がある。引渡目録から、ここを含めて3ヶ所の銃座はいずれも25mm連装機銃のものと思われる。
更にその北東には見張所?Kがある。円形窪地の内径は約2mで、北に向かってトンネルが掘られているものの崩落して埋まっている。トンネルは方向からして北面にある見張所?Lと繋がっていたか、もしくは繋げる予定だったのかもしれない。用途は不明で一応見張所としているが、機銃要員の退避トンネルや機銃の指揮所の可能性もある。
尾根の東端には銃座Iがある。円形窪地は内径約4mで、北西側にコンクリート製弾薬庫1基があり、また北に向かって出入口が作られている。
銃座Jの北には、電探施設と思われる施設Gがある、真ん中の地下室を挟んで溝が東西に掘られており、溝の東端にはコの字型のコンクリート製の構造物がある。このコの字型構造物の内側は一辺70cmの正方形である。地下室は寸法を測っていないが、写真からすると幅1.5m、長さ3mくらではないかと思われる。内部にはスイッチ類を取り付けたと思われるアンカーボルトが所々にある。この地下室の天井部分には穴は無かった。資料1によると13号電探の電探室の寸法は3m×2mからで、やや小さめだがここが13号電探の電探室である可能性がある。コの字型構造物は電探のポールの基部になるのだろうか。
北の斜面には見張所?Lがある。殆ど埋まってしまっているので内部にトンネルがあったのかは不明である。ただの水槽跡の可能性もある。
Gの北西には平坦地がある。平坦地からは西下に軍道が降りていっており、指揮所?Dへと繋がっている。この軍道は途中で分岐して尾根の西下を北側の電探Vへと続いている。また軍道と弾庫Mの間の斜面に、海軍の標柱が3本ほど抜かれて転がされている。わざわざ抜かなくてもいいのにと思うのだが仕方ない。またこの付近にメーターケースが転がっていた。
平坦地の西上には銃座Hがある。円形窪地の内径は5m弱で、北西に壊されたコンクリート製弾薬庫がある。


戻る



資料:
(1)「電波探信儀及電波探知機装備工事心得(案)」 A03032172600






戻る