岩熊山 機銃陣地?
2016.3.27 探索
米軍の航空写真(R515-2-122、国土地理院)
機銃陣地1:
左:機銃座aを西から、右:同左を南西から
左:機銃座aを北から、右:同左から伸びる連絡路?の溝
左:機銃座bを北から、右:同左の東縁
左:機銃座c(藪で判り難いが)、右:同左の縁
左:機銃座dを北西から、右:同左の南東縁
左:機銃座dとeの間にある古墳?、右:古墳を別アングルから
左:機銃座eの南西縁、右:同左内部
左:地下壕fを北西から、右:同左崩落部から北西を
左:地下壕f内部、右:同左の左手にある別室
左:平坦地gの東端を、右:同左を東から
岩熊山山頂の南東300mにあるピーク(謎施設2)の南西に伸びる尾根筋に、機銃陣地らしい施設跡がある。
尾根の南東側の縁にa〜eの5ヶ所の機銃座が並んでいる。いずれも内径は約3mで、それぞれに出入口が開けられている。
配置は機銃座aだけが北東に外れており、また他の銃座には無い連絡路のようなクランクに折れた溝が付いている。機銃座b〜eの4ヶ所は、教科書通りの扇形に並んでいる。機銃座dとeの間には大きな石が幾つか並べられており、Y勘さんは古墳ではないかと推測されていた。
機銃座の北西下の斜面に、素掘りの地下壕fがある。一部崩落してしまっているが、南東側に地下室が少し残っている。北東側に別室があるが、いずれも小さく、この地下壕の目的は不明である。
更に北西下には平坦地gがある。gの北東から南東にかけて切り岸のようになっており、また西へ道が出ている。
機銃陣地?2:
左:機銃座hの出入口?を北東から、右:同左銃座内部
左:機銃座hを南西から、右:同左南西縁
左:機銃座hの脇に落ちていた正方形ナット、右:機銃座kを北東から
左:機銃座kの内部、右:同左の縁
左:機銃座mの内部、右:同左の縁
左:機銃座?i、右:岩熊山山頂と南東のピークの間の鞍部にある円形窪地
岩熊山山頂の南東300mにあるピーク(謎施設2)の南に伸びる尾根上に、機銃陣地らしき施設跡が残っている。
機銃座は北側に2ヶ所、南側に1ヵ所+1ヵ所?という配置になっており、いずれも内径約3mの円形窪地で、不明瞭なi以外のh、k、mには、東側に向かって出っ張りが付いている。いずれも出入口と言うよりは、弾薬置き場のような感じで、機銃陣地1の機銃座とは感じが違う。
機銃座kの縁には、この遺構と関係しているかどうか不明だが、1辺5cm程の大きさの正方形のナットが落ちていた。
機銃座hの南西下は緩やかな平地になっており、窪地iがある。機銃座と言うには形状が明確でなく、畑を作る際に均されてしまったか、単なる窪地なのかはわからない。ただ、mとkがペアになっていることから、hにもペアとなる銃座があっても良いようにおもうと、どうもこの窪地が銃座跡に見えて仕方ない。
機銃座hの東下には長細い平坦地jがある。終戦直後の航空写真にも写っていることから、当時もこの地形があったことは確かだが、これが兵舎用として開かれたものなのか、元から畑だったのかは不明。
比較的良く残っているh、k、mの3ヶ所の機銃座だけを見ると機銃陣地のように思えるのだが、機銃陣地1のように綺麗に配置されておらず、もしかすると別の何かかもしれないので、「?」を付けておく。
また、2つのピークの間の鞍部に、内径2〜3mくらいの円形窪地がある。
航空写真には明確に写っておらず、また配置場所から見て、何なのか良くわからない。
開口部が無いことから炭焼き窯ではないように思うのだが、畑の為の肥溜めとか水を貯める瓶でも埋められていたのだろうか。
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