弁天山周辺の機銃陣地?他
2009.4.1 修正と追加
2010.1.6 不明砲台を修正、追加
松山空港の北東にある弁天山山系の到る所に、窪地や塹壕跡等が残っている。
引渡目録では、弁天山周辺に高角砲や機銃が記載されているものの、実際にそこに配備されていたのか一時的に置かれていたものか不明であり、更に空港の近くということもあり航空識別灯関連の跡かもしれず、判断に苦しむところである。
後は地元の人からの聞き込みしかないのだろうが、残念ながらここでは誰にも会わなかった。
弁天山山頂付近
左:弁天山頂上から南東側の斜面、右:頂上付近
左:Aの西側の方形窪地、右:同左
左:同上、右:同左から機銃座への通路
左:Aの(恐らく)機銃座、右:同左の円形土塁部分
左:機銃座の東側部分、右:機銃座から西側の方形窪地
左:Aの東側の方形窪地、右:同左を南から
左:同上の内壁、右:平坦地B
左:弁天山山頂三角点付近、右:同左から南西側の平坦地
左:三角点西側の平坦地、右:同左にある窪地C
右:米軍の航空写真(M220-157)
弁天山山頂付近はそれなりに広い平面があるのだが、その多くが蜜柑畑になっており、終戦時にどうだったかは判らなくなっている。
最北端のAには1ヶ所の円形窪地と2ヶ所の方形窪地とがある。円形窪地は内径2.5m程で、恐らくは機銃座と思われる。この円形窪地から南西と北東に通路が出ており、それぞれ1辺3m程の方形窪地に繋がっている。恐らくは弾薬庫と機銃員の待機所と思われるが、何の確証もない。
山頂の三角点付近は自然地形を残しており、その周辺には平坦地がある。北側から西側にかけてある平坦地Bは端に切岸等があり、明らかに人工的な平坦面である。その南西端付近には一段下がった平坦地Cがあるが、用途は不明である。
2008.5.25 追加
航空写真を見ると、Aの更に北側の尾根筋に建物らしきものが写っている。また頂上の南東下には軍道らしきものが途中まで続いている。いずれにしても現地で確認しない事にはわからない。
中央部
左:山頂の南西側から中央部を望む、右:中央部東端、土塁なのか盛り上がっている
左:塹壕、右:塹壕の途中に有るU字型のクランク部分
左:塹壕、北側の斜面はそれ程急ではない、右:塹壕の途中のT字部分B
左:塹壕の南側、なだらかな斜面、右:平坦地A
左:平坦地Aの東下の窪地、右:平坦地Aの北東下の切欠平面
中央部にあたる部分の北側には、東西50mに渡って塹壕が掘られている。10mおきくらいにU字型のクランク部が入っているので塹壕だろうと思われるが、用途は不明である。参考にした戦跡の本では陸軍の塹壕としているのだが、この一帯が海軍の縄張りになっている中でここだけ陸軍というのもおかしな話であり、海軍側が築いた塹壕の可能性の方が高いのではないだろうか。しかしそれにしてもこんな場所に篭ってどうする気だったのだろうか。
西側のピークの頂部は平坦地になっており、東下に円形窪地らしきものと方形に削られた狭い平面とがある。何かしらあったのだろうが、今では何だったのか不明である。
2008.5.25 追加
航空写真を見ると、この付近には何も写っていない。木を切らずに壕だけ掘ったのか、それとも戦後造られたものかは不明。
西部
左:平坦地Aの南側の遊歩道、右:平坦地Aの方形窪地
左:方形窪地内部、右:平坦地北側の竪堀
左:竪堀を北下から、右:平坦地Aの東側の小さな方形窪地
左:西下の方形窪地B、右:同左
左:方形窪地Bの内部から東壁を、右:方形窪地Bの内部
左:方形窪地Bの北東斜面の工事中の痕跡?、右:竪堀の北東下の塹壕?
左:北西下のピークの北西斜面の痕跡???、右:蜜柑畑から南側を望む
右:米軍の航空写真(M220-154)
西側のピーク付近に平坦地Aがあり、ここに3m四方の方形窪地がある。航空写真を見るとこの付近に大き目の円形窪地が2ヶ所あるはずなのだが、削られてしまったようで痕跡すら残っていない。また北側の斜面にはかなり長い竪堀が伸びている。潰れた防空壕と通路のセットの可能性も有る。また平坦地Aの東側には1辺が50cm程の小さな方形窪地がある。
遊歩道を西に少し下ると、1辺10m程の方形窪地Bがある。砲座かと思って中央部を探ってみたがコンクリートらしきものは見つからなかった。溜池跡の可能性も捨てきれない。
北西側斜面や、北西側のピーク周辺にも何か無いか探索してみたが、工事中のような痕跡や塹壕??といった微妙なものはあったものの、ハッキリとした遺構は見つからなかった。
不明 防空砲台?
米軍の航空写真USB15-R13のどこか(国会図書館)
松山空港の北、コスモ松山石油の西側、現在は東レファインケミカル松山工場の敷地内に4基の砲座らしきものが写っている航空写真がある。
以前はもっと南の「ダイソー松山工場」と書いていたのだが、
愛媛の戦争遺跡
のブログ内でのぶさんのご指摘から、場所が違っていた事が判明(しかも指摘から1年以上も経って気がつくという失態)。
修正を機会に、地図と写真を重ね合わせて簡単な測量をしてみたところ、円形窪地の内径が約7m、円形窪地の中心間の距離が約50mと、「防空砲台設営参考書」(横須賀海軍砲術学校)にある高角砲砲座の寸法や配置に近いことから、高角砲台ではないかと推測してみる。ただあくまでも概算であるのと、また同書内の銃座の間隔が20〜50mと幅を持たせて書かれているので、銃座の可能性も無いわけではない。ただ、25mm連装機銃の銃座内径でも約4mしかないので、機銃座よりも高角砲座の方が可能性としては高そうである、というところだろうか。
日付
引渡目録による記事
昭和20年8月31日
引渡:
12cm高角砲4門、発電機1(北西側)
25mm機銃架台3(南西側)
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