弁天山 南尾根
2009.4.7 津田山追加、南側ピーク更新
北部ピーク付近
左:方形窪地Bから南にあるNHKの電波塔、右:方形窪地B
左:方形窪地Bの南東端の石組、右:方形窪地Bを南から
左:円形窪地A、右:同左
左:円形窪地Aの東側斜面、右:窪地AB間にある石垣
左:NHK電波塔、右:同左南側の石垣
80mピークに円形窪地Aと方形窪地Bがある。Bの南側にNHKの電波塔が建っているが、ここにももしかしたら何かあったのかもしれない。円形窪地Aは内径2.5m、方形窪地は長辺3〜4m程で、大きさからして機銃の銃座と弾薬庫もしくは待機所かと思われるが、裏づけになるものが何もない。
北部ピーク下
左:円形窪地C、右:同左の北側への通路?
左:円形窪地D、右:同左
左:方形窪地Eを北側から、右:方形窪地Eの北側出入口
左:方形窪地Eの東壁、右:方形窪地Eを南から
左:尾根上の蜜柑畑、右:同左
米軍の航空写真(M220-154、国土地理院)
80mピークの南下の尾根上には、円形窪地2ヶ所と方形窪地がある。円形窪地はゴミ等で埋もれて一見わからなくなっているが、内径が2〜2.5m程ある。方形窪地は南北に出入口があり、ここも機銃銃座と弾薬庫もしくは待機所かなにかかと思われる。
ただ尾根の殆どは蜜柑畑になっており、畑を造成する際に埋められてしまった施設が他にもあった可能性がある。
2008.5.25 追加
航空写真を見ると、蜜柑畑の平坦地に4基の円形窪地が写っている。恐らくは蜜柑畑を造成した際に埋められてしまったのかと思われる。Cの辺りから西側斜面へと道らしきものが写っている。通路の入り口だったのか。
南部ピーク
左:円形窪地Aを北から、右:円形窪地のA西半分
左:円形窪地Aの南東側の土塁、右:円形窪地Aの東半分
左:Aから平坦地B、右:平坦地Bの北側
左:窪地Cのコンクリート片、右:窪地C
左:窪地Cのコンクリート片、右:同左
左:Dの方形窪地を東から、右:同左を西から
左:Dの円形窪地、右:同左
左:南西の蜜柑畑、右:同左
米軍の航空写真(M241-2、国土地理院)
南東側の60mピークにも幾つかの遺構がある。円形窪地が2ヶ所と方形窪地が1ヶ所、それに形状は不明だがコンクリート片の散乱する窪地がある。
円形窪地は内径3m前後で、東側のものはしっかりと残っているものの西側のものは倒木等が多く形状を認識し辛い。いずれも銃座かと思うのだが、これまた何の確証もない。中央北部にある窪地Eにはコンクリート片が散乱している。人工的な形状をしたものがある一方で、北側の斜面には捨てられた状態で固まったコンクリートもあり、一体何がしたかったのか不明である。
少し離れた場所に大小の円形窪地2ヵ所ということで、探照灯台でも築こうとしていたのかと思われるが資料も証言も無く、推測の域を出ない。
南西側の一番高い部分は蜜柑畑になっており、何も残っていない。
その他
左:山道の脇に建っていた境界標石、右:北西側の様子
左:飛行機用掩体壕跡、右:トンネル跡
山道の脇に、境界標と書かれた石柱が何本か建っていたがマークのようなものは書かれていなかった。また西麓にも飛行機用掩体壕やトンネルの跡が残っている。この掩体壕はコンクリート不足の為に木製の枠の上に土をかぶせただけだったと、散歩していた方にうかがった。
日付 |
引渡目録による記事 |
昭和20年8月31日 |
引渡:
25mm機銃架台6
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津田山 防空機銃砲台
左:米軍の航空写真M220-153、154(国土地理院)
弁天山の南東に伸びる津田山の山頂付近に銃座らしきものが幾つか写っている。
山そのものは残っているものの、現在どうなっているかは不明である。
日付 |
引渡目録による記事 |
昭和20年8月31日 |
引渡:
25mm機銃架台9
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