北山崎 探照灯台?
2009.4.7 更新
2010.1.6 追記
左:178mピーク付近の平坦地、右:同左南東側の散乱する石
左:178mピーク南東、林道の折れ角部、右:同左を北東側から、多少とも円形窪地跡っぽいかも…
左:平坦地A(水天宮跡地)、右:同左
左:平坦地Aを北下から、右:Aの南下の平坦地
左:平坦地Bの北下の平面、右:さらにその北下の平面
左:旧北山崎村付近を望む、右:麓からの水天宮
右:米軍の航空写真M241-72(国土地理院)
右:米軍の航空写真M241-72(国土地理院)
とりあえず航空写真でそれっぽいものが写っていた下三秋の山に登ってみた。頂上まで林道が通っており、比較的容易にに登れる。
178mピーク付近を探索してみたが円形窪地は見つからなかった。一応平坦面と崩された石垣らしいもの、林道建設の為に埋められた円形窪地のような面影ただよう場所等はあったものの、はっきりとした特徴的な地形は見つからなかった。
一度麓に下りて聞いてみると、もっと北側の水天宮のある山に探照灯か何かを置いていたと聞いた事があるということで、それらしい場所の近くで水天宮を訪ねたところ、水天宮の場所はあっさりと判明。
寺の奥から出ている登山道はしっかりとしている。頂上付近Aは整備されて桜が植えられていた。平坦面南側には小さな社が建っており、またその南下の平面には墓らしきものがあった。西にも平坦面Bがあるが、ここは枇杷畑になっている。
全体的に中世の城跡という感じだったが、実際に後で調べてみると鹿嶋城という城跡だそうで、山頂に建っていた墓は城主のものらしい。
山を降りた後に麓で話を聞いてみたが、探照灯があったという話は聞いた事がないとのことで、実際にここだったかどうかは判らず終いだった。
航空写真を見ると、水天宮の平坦地Aの辺りに円形窪地のようなものが写っている。再度訪問してみたものの証言を得られそうな人と会えなかった。平坦地Aの付近を見てみたが、薄っすらと窪地の雰囲気が残っているような感じはするが、証言がないので何ともいえない。また北下の平坦地も見てみたが、これといったものは見つけられなかった。
また航空写真では178mピークから北東に伸びる尾根上にも円形窪地らしきものが写っている。あの付近はなだらかな斜面で何も無かったと思うのだが、探索不足だったのかもしれない。ただ新しい証言でもない限り、登るのは面倒だ。
2010.1.6 追記
「愛媛県中世城館跡分布調査報告書」(愛媛県教育委員会発行)の鹿島城の項の最後に、「本遺構は、旧日本軍の防空防衛陣地の跡であった可能性も捨てきれない」という一文があることから、ここに探照灯が置かれていたと思われる。ただ、ここに1基だけ置かれていたのか、2基とも置かれていたのかは矢張り不明である。
日付
引渡目録による記事
昭和20年8月31日
引渡:
150cm探照灯2(1の記録もあり)
電動機2(電動直流発電機?)
ここから以下のページへいけます。
戻る