食い倒れ帳

てんぷら


天婦羅について、思いつく事を、だらだらと。


東京に居た時には、良く天婦羅屋というものを見た。
と言っても、お惣菜の天婦羅屋ではなく、カウンターと、座敷かテーブル席があり、揚げ立ての天婦羅を目の前に運んでくれる。6年間学生だったので、そんなに贅沢は出来なかったが、年に1度くらい、格好をつけて行っていた。特に京王線池ノ上駅北の天婦羅屋は、研究室からも近く、1000円くらいで定食が食えたので2,3度行った。ごま油が香ばしく値段の割には満足できた。池の上には他にも定食の美味しい寿司屋とか、やたら人気の有る弁当屋とかあって、なかなかに住み良さそうなところだった。


「天婦羅は親の仇のように食え」とは池波正太郎の言葉である。てんぷらが出てきたら熱い内にすぐ食べる。冷めてしまったら食えたものではないし、いくら美味しいとは言え、油っ濃いものを立て続けに食べれば飽きてしまう。だからこそ、脇目も振らずに食う。それを「親の仇」というのが良い。


天婦羅は、元々イベリア半島辺りの料理で、残った屑野菜を処理する為に、小麦粉を絡めて油で揚げた貧乏人の食い物だったらしい。十何年か前に見たTV番組での話なので確証はもてない。それが戦国時代に日本にやってきた。現代とは大分違ったものだっただろうが、徳川家康も鯛の天婦羅が大好物だったらしい。当時はまともな食用油なんて無かっただろうから、あまり健康的な食べ物ではなかっただろう。家康が天婦羅に当って死んだという伝説が出来たのも、うなづける。


今、良く食っている天婦羅と言うと、惣菜で売られている冷え切った油まみれの天婦羅。しかし出自から言うとこちらの方が本家に近いと言える。これを家で食べる時には、フライパンに敷いて温め、新聞紙の上に置いて油を取っている。揚げた後、もうちょっと油を切ってくれればこんなことをせずに済ませられるのだが。


神戸から明石辺りでは、良く穴子の天婦羅が売られている。小さいもので100円からあるので良く買って帰る。元々脂ののっているものを油で揚げるのだから、一口目は美味くても一本を食べ切る頃には飽きてしまう、それくらい油がきつい。しかし、こうなるのは分かっていても、初めの一口を味わいたいが為に買っている。


野菜の天婦羅は美味い。茄子、南瓜、サツマイモ、玉葱、椎茸、獅子唐、人参ピーマンなどなど。特に茄子や玉葱、椎茸などは、それ自体油と馴染む食材なので、揚げると別物のような味になる。良く買って帰るが、一つ100円近くするのは高過ぎる。惣菜屋はよっぽど儲かる仕事かも知れない。


5月の連休に、母方の本家で山菜のてんぷらを食べた。ウドやタラの芽、フキノトウなどはこうするのが手っ取り早いらしい。アクの強い山菜も、油で揚げると味が落ち着いて甘くなり、ほんのり残った渋みと合いまって良い。しかし、量が多過ぎるとさすがにきつくなって、手作りの桜餅ばかり食っていた。


実家の天婦羅は、衣が柔らかかった。悪く言えばフリッターのような衣であるが、あっさりとして好きだった。東京に出た時に、靖国神社境内の食堂で、初めて硬い衣とタレドブ浸けの天丼を食った。あまりに油がきつくて、気持ち悪くなって半分くらい残してしまった。今でも硬い衣は苦手で、なるべくなら揚げたての熱い奴を食いたい。


東京で天丼というと、タレドブ浸けの天丼である。誰が考えたのか知らないが、ああしてしまうとよほど早く食わなければ、衣はタレを吸ってぐちょぐちょになってしまううえに、油に負けて飽きてしまう。揚げた端から丼に載せてくれるのなら話は別だが、そうでなければ卵とじの丼の方が、いくらか食いやすいことだろうと思う。


こんなことを職場でだらだらと書いていたら、てんぷらが食べたくなった。帰りに駅前のスーパーででも買って帰ろうか。




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