南備後遠征 寒波の中を右往左往 その2

令和8年 1月10日~12日



桜山城から雪の降る三原市街を望む





2026年1月11日

 降雪の天気予報の中、8時にホテルを出発する。

 ますは三原市街の北にそびえる桜山城を攻めるべく、南麓に建つ三原歴史資料館へと行くのだが、資料館の開館時間が10時で駐車できず。そこまで頭が回っていなかった。諦めて医王山へと向かう。




2日目の行程(国土地理院の地図を利用)




医王山城


左:北西端の取付きにある石垣、右:主郭西下の虎口の石垣


左:主郭、右:主郭南下の郭


左:主郭縁下の石垣、右:主郭南東下の石垣


左:主郭北東下の石垣…だったっけ、右:雪が降り始めた


森林総研・森林土壌デジタルマップより

 医王山も駐車スペースが見当たらず。結局、釣り堀の駐車場の続きにある自販機コーナーの辺りの、苦情が出にくそうなグレーな場所に車を停めて登る。

 石垣があちこちに積まれている。ただ、どうも後世に社か何かが建っていたようで、城のものなのか社のものなのか不明である。
 下りでKさんが、そこまできつくない斜面の道を、まるで断崖絶壁の道のように降りてるのを目にしてしまう。



 雪が強くなってきたので、海側にある鳴滝山で日和ることに。




鳴滝山城


左:主郭の南端から北を、右:北東下に延びる郭


左:南方向を望む、右:西斜面にある石垣。恐らく後世の土留




森林総研・森林土壌デジタルマップより

 雪の影響は全くなかったのだけど、遊歩道が荒れて藪に埋もれつつあり、登るのに苦労させられる。

 山の至る所に石垣と平坦地が存在するものの、殆どは後世の畑跡のようである。資料では山頂の平坦地と、そこから北東に延びる郭しか縄張として認定されていない。




 雪が上がったので桜山へと戻る。

 ところが、三原に戻った頃に雪がまた強くなった為、三原歴史資料館の中で時間つぶしをする。無料なのにそれなりに楽しめた。そして地元だけあって小早川隆景推しが強い。

 雪が小降りになったものの、Kさんが駄々をこねるので、一度北東へと移動することに。

 途中、(自称)台湾料理屋で昼食。「ゴマ焼き」というのを定食で、白ごはんを炒飯に変更。出てきたのは薄切りの豚バラ肉を黒酢で炒めたもの。なぜか黒ゴマをふっていた。別の台湾料理屋では「コマ焼き」と書かれており、名前の由来はコマ肉を炒めたものかと思っていたのだけど、よくわからなくなってきた。作っている方も何かよくわかっていないのかもしれない。唐揚げは揚げたてで美味しかった。





阿草城


左:東下に建つ碑、右:東斜面の畝状縦堀


左:主郭東下の郭に建つ鉄塔、右:主郭


左:北東に延びる郭群の二重堀切、右:同左の郭


左:東斜面にある謎の掘り込み、右:道跡


森林総研・森林土壌デジタルマップより

 上水タンクの裏手から入る。石碑がある東麓までは道はハッキリしているのだが、そこから先は道があるようで無い。地図を見ると山頂に鉄塔が建っていることから鉄塔の保守道を期待していたのだが、それらしいものは無かった。その為、Kさんがまたしても途中でリタイアする。仕方なく一人で主郭まで登ってくるが、この斜面で直登はきつかった。
 畝状縦堀が良いのだが、Kさんを待たせているので半分しか見れなかった。降りる際に道跡があったものの、途中で消えていたので、どのみち直登になる。
 また東斜面に謎の掘り込みがあった。炭窯跡にしては形が違うような。といって、戦時中の陣地跡としては立地がありえない場所にあり、謎である。





大町山城




森林総研・森林土壌デジタルマップより

 大町山へ行くが、ここも道が無い。公園の南側から山に入り、一人で偵察をしている最中に雪が酷くなったので、一度車に戻って20分ほど待機する。雪が少し弱くなるも、Kさんが駄々をこねたので、桜山へと向かうことに。





桜山城


左:南下の郭。コの字型の土塁が2個並んでいる、右:同左


左:主郭中央にある穴。直径6m、右:主郭中央部


左:主郭少し北の細くなった部分、右:主郭北端手前の段差


左:主郭北端部にある石垣、右:同左近くの井戸?直径2m


左:奥から石垣、井戸、長方形の掘り込み、右:北端部の北縁の土塁


左:北西下の郭、右:主郭北下の二重堀切


左:北下の郭の二段石垣東側、右:同左西側


左:北端の堀切、右:同左西側、両側に石垣が


左:北端の堀切を北上から、右:堀切から南西に延びる塹壕


左:堀切の西側の石垣、右:堀切から南東に延びる塹壕


森林総研・森林土壌デジタルマップより

 本日3度目の桜山に戻って来たものの降雪は止まず。ここに至ってもKさんが駄々をこね始めたのだけど、強引に登る。山の上で雪が強くなる。

 中世城郭と幕末の陣地との複合遺跡。主要な平坦面や堀切は中世城郭の物だと思われるが、コの字型の土塁や長方形の掘り込み、井戸、北端の石垣の堀切とそこから両側に延びる塹壕は幕末の造形と思われる。北端の内側が二段石垣になっている郭も、幕末時に新設された可能性もある。尾根を切り、両側の斜面へと回り込む塹壕の造りは、日清戦争時に要塞地帯に造られた臨時堡塁のそれに似ている。
 また主郭中央部にある直径6mの穴は井戸にしては大きすぎであり、戦時中の防空監視哨の聴音壕の可能性もある。

 降りたら資料館の閉館時間(16時)を過ぎていて、職員さんを待たせてしまっていた。申し訳ない。




 雪が酷くなったので、16時過ぎであったものの、本日の作戦行動はこれにて打ち切りとし、ホテルへと戻る。少し寝る。




 ホテル近くの居酒屋で飲み。美味しいけど結構割高、だと思っていたけど、トータルは昨日より安かった。








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