対馬・北九州・中国ツアー その2

平成8年3月18日~23日

○3月21日
小郡から山口線で山口まで。
47都道府県中、もっとも寂れた県庁所在地(笑)
駅前に、ビジネスホテルが3軒しかない。
タクシーで龍福寺へ。

大内館


東の今川、西の大内。
静岡はサッカーが強いのに、山口は何も無いねぇ。
ともかく、昔の居館もいまじゃすっかり寺の境内。
一部で発掘作業をやっていた。

寺の近くから、またタクシーを拾って、高峯城跡へ。

高峯城


下の方にある郭が、某国有放送局の中継施設に占拠されていた。
でもそのおかげで、そこまで車道が整備されているのは皮肉な事でもある。
中継施設から、4、5分ほどで本丸へ。
本丸周辺には石垣が積み上げられていたらしいが、現在では崩れるに任せている。
陶晴賢に謀反され、慌ててここを築いて篭ったものの、
結局ここからさらに北の山々に逃れることになる。
泥縄にしては良く出来た城だった。

山口から小郡、そして防府で降りてまたタクシー。

右田岳城


みぎたがだけ。未だに一発で読めない。
天徳寺裏に登り口がある。

元々、修験者の山だけあって、結構きつい。
頂上に120坪ほどの平地があって、そこが本丸と二の丸。(左の峰)
右の峰には何も無い。
とにかく、岩山である。ので、トレッキングシューズは必携。
くるぶしを岩で打って痛い目に遭いました。

登っているとき、丁度雲行きが怪しくなり、降りているごろ雨が降り始める。
下手すると遭難していたかもしれない。


防府から福川下車。再度タクシー。

若山城


陶氏の本拠。
小雨の降る生憎の天気だったが、二の丸付近まで車で付けられたので楽だった。

西の丸に石垣と、本丸周辺にたて堀跡がある。

本来なら、せっかく徳山まで来たのだから、徳山沖の回天基地跡も
まわってみたかったが、船の時間が分からなかったのであきらめる。


福川から徳山、徳山から岩徳線で玖珂下車。
本来ならここで、鞍掛山城と蓮華山城を攻めるはずだったが、
雨が激しくなり、泣く泣くあきらめるはめになる。
仕方なくそのまま岩国まで出て下車。ホテルにチェックインする。
今夜も豪遊かと思い切りゃ、リーダーから待ったがかかる。

リーダー、実は、遠征でのスーパー飯(スーパー地下の食品売り場で買う飯)を
毎回楽しみにしていたそうだ。(旅費をケチるためだけではなかったらしい)
今回は城郭班の班員ではない保科さんがいらしたので、
遠慮して豪華な(普通の)夕食に甘んじていたものの、
さすがに4泊目にして、我慢の限界に来た、頼むからスーパー飯を食わしてくれ。
と言う事だそうだ。(実話)

仕方なく駅前のスーパーへ行き、値引き品をしこたま買い込んでホテルの部屋へ。
我々班員はいつもの事だけど、保科さんは初めての事で、戸惑いながらの夕食になった。

一晩中雨が降っていた。

○3月22日
朝まで雨が降っていたので、結局蓮華山と鞍掛山はあきらめて、
当初予定していなかった広島城へ。

広島城


20年来のお付き合い。(笑)
ただ、何年か前に二の丸を復元して以来行った事が無かったので、ちょっと楽しみ。
確かに、5年ほど前まで何も無かったところに立派な建物が。(写真)
このまま天守閣から小天守、本丸周りの櫓なども復元して欲しいけど、
MAZUDAもこけ、さらに世界的不況に曝されている中、永久に無理なような気もする。
天守閣は鉄筋コンクリート、昭和30年代後半製(だったと思う)。
15年くらい前は汚いだけだったが、大河ドラマで毛利元就があった所為か、
しっかりとリニューアルしてあった。
しかし、広島城といえばこの天守閣や復元二の丸よりも、
旧陸軍中国管区半地下式司令部跡の方が資料的価値が高いのじゃなかろうか。
あと大本営跡も(笑)
司令部跡は、市役所に申し込めば、中に入れてもらえる。(だったと思う)
原爆投下後の第一報がここから発せられた。
原爆ドーム(ほぼ爆心地)からの近さを考えると、すごい事である。


ここで保科さんを広島駅まで見送りに行き(行ったと思う。ちょっと記憶が無い)、
残ったリーダーに自分のうちまで来てもらう。
ここでお雇い運転手をお願いしたNに来てもらい、兄貴のインテグラに乗って、一路小倉山城へ。

小倉山城


国道54号から土師ダムを抜けて千代田に入って、国道261号を北に、大朝の新庄へ。
ああ、地元は地名がわかりやすくていい。(笑)
バスだと、広島バスセンターからJRバスの大朝・浜田行きに乗り、新庄下車。
この時は、城の南側に車を付けてもらったが、国道をもうちょっと北に行くと
菖蒲園の駐車場があるので、ここから入ると近くていい。

比高100m弱の丘陵に、はっきりとした郭が散らばっている。
本丸は特にはっきり高くなっており、見ていて気持ちが良い。
所々、菖蒲園になってはいるものの、比較的良く保存されている。
本来なら、駿河丸城(大朝町間所)、ここ、そして日野山の順に見て、
安芸吉川氏の変遷を見ると面白いのだが、時間が無いので割愛させてもらう事に。
(ふと地図を見ると、駿河丸城の真上を中国自動車道が通っている。大丈夫なのだろうか?)

車に戻って、千代田から54号に戻って、吉田町の郡山城へ。

郡山城


毛利氏の居城。親の実家がこの近くなので、いやというほど拝んで来たが、
登るのは20年目にして初めてである。
麓から20分ほどで本丸へ。道は良い。とにかく広い。
ただ、本来の郡山城は手前にある小さな小山のみで、現在のように大きくなったのは
元就が毛利家をついでからである。
ただ、広いのは良いものの、手入れが悪く、樹はうっそうとして石垣も崩れるままになっている。
あまりに手を入れすぎてしまうのも何だけど、せめて本丸周辺の樹ぐらい切っておいて欲しい。

日も暗くなったので、今日はここで打ち切って、広島市街へ。

うちのおやじが、いつも世話になってるからと、リーダーと運転手をしてくれたN、それにあっしを呼んで、
フグを食わしてくれる。
無論、あっしはフグなんて初めて。(笑)
結構豪華なフグのコース。何故か途中ステーキ(笑)なんかも出てきたけど、
白子から刺し身、ひれ酒に皮の湯引きとフグちり。おいちかったです。
いかんせん、おやじとまともに酒を飲んだのは、これが最後になろうとは思わなかった。
親孝行、したいときには親は無し。人生わからないものである。
Nとは別れて、リーダーはホテルへ、自分はおやじと家へ帰る。

○3月23日
広島で落ち合って、可部線で下祇園下車。
駅から登り口までタクシーで行き、麓から本丸まで30分ほど。比高は350mほど

銀山城


安芸武田氏の居城。この頃は広島のデルタ地帯はほとんど無かったので、
ここら辺が安芸の国の海側の中心地だった。今じゃ新興住宅街。
登りは標準コースで登ったが、広島経済大学の裏手辺りから登った方が近かったかもしれない。
山の上には大きな花崗岩がごろごろしている。
おまけに、本丸近くに謎のテントとリュックが打ち捨ててあった。
誰かここで遭難でもしたのかと辺りを捜索するも、他に何も見付からず。

下山中、山道で野良犬を発見。野犬かもしれないとおどおどしながら降りる。

可部線で広島まで戻り、山陽本線で本郷駅下車。
駅からタクシーで高山城の南まで付けてもらう。比高100m弱、登り口から15分ほど。

高山城


沼田小早川氏の居城。
谷を挟み南北に平行に走る尾根上に、郭が並ぶ珍しい山城。
初めは南側の郭にしか気が付かなかったが、ふと見つけた小道を降りると
谷に降りて井戸を発見。また、そこから北に伸びる道を登って北の尾根に出る。
やけに石垣のしっかりした郭だな、と思ったら、戻りのタクシーの運転手曰く、
「戦中から最近まで、一人のおばあさんが耕していました」
確かに、石垣は畑の石垣のそれでした。
また、北の尾根には、北側の麓かららしい、轍の付いた道が来ていたから、
軽四駆なら頂上まで登って来れるかもしれない。
南の尾根の一番西の郭(太鼓郭?)からは、川向の新高山城が良く見えた。(写真下左)
麓でタクシーを呼んで、そのまま新高山まで。

新高山城


麓から20分、比高150mほど。
元々は高山城の出城だったが、隆景の時にこっち側に本城移動したらしい。
水軍を活かすため、麓まで船の入れるこちらにしたらしいが、地図を見るとあまり変らないように思う。
とにかく、三原城に本城移動するまでの45年間、小早川氏の本拠となる。
山全体に郭が存在し、本丸周辺には大きな井戸が4つもあり、現在でもなみなみと水を貯えていた。

タクシーを呼んで本郷まで行き、三原で新幹線に乗り換えて東京へ。


以上で準備も入れて6日間にも及ぶ大遠征を終了した。
昔九州で九日間の大遠征があったので、歴代一位ではないけど、
6日間で使った金は、ゆうに10万円を越してしまった。
船、タクシーを頻繁に使うと結構辛い。グルメな旅だったし。
途中、雨や地元民の誤情報に泣いたものの、他は天気も良くなかなかすばらしい遠征だった。
戦果
	当初の攻撃対象	22城
	修正後の対象	20城

	うち棄権	 3城
	代わりに	+1城(四王司山城)

		計	18城攻略


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