関門海峡周辺の自動火器等





 関門海峡は瀬戸内海と日本海とを、また関門トンネルは本州と九州とを結ぶ交通の要衝だった。その為に本土上陸を控えた米軍による物流網破壊作戦の一環として、関門海峡周辺には多くの機雷が敷設され、また実際には行われなかったものの関門トンネルに対する攻撃作戦も立てられていた。そのため、それに対する手当ても為されていた。

昭和20年の春になると大急ぎで防備が固められたが、直接防禦の為に自動火器も多く配備された。しかしこれらの小型火器は陣地の規模も設備も小さく、戦後の航空写真からは確認できないものが多い。

ここでは航空写真で確認の取れたもののみを挙げる。






船島


米軍の航空写真(左:R515-3、国土地理院、右:山口の空襲P.78)





巌流島として有名な船島にも、銃座らしきものが写っている。米軍の空中写真の評価では、高射砲3門、機関砲4門、機銃6丁、探照灯1となっているが、実際に何が配備されていたのかは不明である。恐らくは船舶砲兵連隊の部隊が配備されていたのではないかと思われる。
現在は何も残っていない。






彦島


米軍の航空写真(左右:山口県の空襲)



左:米軍の航空写真(USB-15、R15-443)


彦島図書館の南東にある小山の山頂、三菱下関造船所の西側の社宅の北側の小山の山頂、そして下関杉田郵便局の北東側、三菱重工江浦アパートの裏手の小山の山頂の3ヶ所に機銃陣地らしいものが写っている。
多くの山が削られてしまい、殆ど残っていないと思われる。






壇ノ浦・赤間


米軍の航空写真(左:山口県の空襲P.79、右:日本大空襲/月刊沖縄社より)





関門大橋の壇ノ浦PA付近に高射砲陣地らしきものが写っている。米軍のフラックマップではここに重榴弾砲4門が描かれている。下関要塞の丸尾山演習砲台がここにあったのでそれのようである。
また赤間神宮の北西側の山の上に、砲座らしきものが4ヶ所写っている。こちらも機銃陣地ではないかと思われる。





白野江


左:米軍の航空写真(R390-1、国土地理院)

部崎灯台の南西側、白野江集落の西の尾根上に、高射砲陣地らしいものが写っている。
現在は北側で採石が進んでおり、Googleの衛星写真では辛うじて残っていたが、既に存在していないかもしれない。