室戸岬 警戒機乙


2011.1.29 第3回目探索
2010.1.23 第2回目探索
2009.6.7 第1回目探索





左:米軍の航空写真(R519-1-25、国土地理院)


室戸岬の北西にある行当岬に、陸軍の超短波警戒機乙の陣地があった。
戦後の航空写真を見ると、3ヵ所の方形土塁が写っている。

初めは海軍施設と同様に室戸岬で陸軍の施設跡を探索していたものの見つからず困っていたのだが、室戸岬で聞き込みをしていた際に偶々行当岬出身の方がいらして、陸軍のレーダーは行当岬にあったという話を伺い、ようやく場所が判明することとなった。
合計3回探索を行ったが戦後の開発が激しく、明確な遺構は確認できていない。ただ南東にある送信所1の南面と東面の土塁は、航空写真などから方形土塁の一部かと思われる。








左:送信所?の近くの掘込み、遺構かどうかは不明。右:送信所?があったNTT電波施設



左:NTT電波施設の南平坦地、右:NTT電波施設を東から



左:受信所1の敷地付近、右:同左から北西の送信所?方向を



左:受信所1の東の土塁、右:南東角部



左:受信所1の南の土塁、右:同左を東から



左:受信所1の南の土塁の下を走る溝、右:東の土塁の下を走る溝



左:受信所1の北東角部を東から、右:北東角部(奥)と地下壕跡?らしき窪地(手前)



左:受信所1の東下の削り出し平坦地、右:同左



左:受信所2の跡付近を南から、右:受信所2の跡付近、跡形も無い



左:聞き込みをした茶畑、兵舎が畑の右奥辺りにあったらしい、右:行当岬を南東から



左:米軍の航空写真(R519-1-25、国土地理院)



岬の中央部にNTTの電波施設が建っているが、証言によるとこの付近に施設があったようである。航空写真からもほぼ同じ位置に方形土塁が写っている。位置からして送信所かと思われるが確たるものはない。

送信所?の南東には受信所1がある。こちらも航空写真にある方形窪地と同じ位置にある。ここには東西約10mの南面土塁と南北約15mの東面土塁、そして壕跡と思われる窪地や切り出し平坦地が残っている。また土塁の東下と南下には戦後に造られたと思われるコンクリート製排水溝が走っている。送信所で見られる建物のコンクリート基礎はここでは確認できなかった。

航空写真を見ると、送信所?の南には送信所2らしい方形窪地が写っているのだが、この付近は造成し直されてしまった為に痕跡すら確認できなかった。


3ヶ所目の受信所(あったとすれば)や兵舎跡、地下壕跡は見つけられなかった。



証言:
・行当岬のテレビ塔の所。大阪から兵隊が来て壕を掘っていた。戦後、鉛や銅線を掘りに行った。(室戸岬の畑のおじいさん)
・NTTアンテナの所にあった(北に居たおじいさん)
・この辺(茶畑の家の近く)に50人くらい居た。壕を4ヶ所掘っていたが戦後にゴミなどで埋められてしまった。引き上げの際に色々と埋めているので、土を掘るときは気をつけろと言われたことがある。茶畑の角付近に壕の1つがある(→見つからず)(茶畑の家の老夫婦)




資料 終戦時の記録
[1][2] 警戒機乙 要地用1基
[3][8] 警戒機乙 要地用1基 工事中
[6] 警戒機乙 要地用1基 周波数76MC
第2中隊本部








参考文献
[1] 「戦史叢書 本土防空作戦」 朝雲新聞社
[2] 「高射戦史」 下志津修親会
[3] 「陸軍対空電探現況要図」 防衛省戦史資料室(全般 053)
[4] 「第31航空情報隊等臨時編成」 防衛省戦史資料室(動員 162)
[5] Electronics / Evaliation of Photographic Intelligence in Japanese Homeland / The United States Strategic Bombing Survey
[6] 「Deployment Diagram of The 35th Information Corps / INGL No.1 to G-2 Periodic Report No.54 I Corps」 国会図書館 憲政資料室(USB10 R24 1132-1133)
[7] 「Survey of Japanese Antiaircraft Artillery / GHQ USAFPAC AAA Research Board / 1946.2.1」 国会図書館 憲政資料室(WOR9670-WOR9675)
[8] 「終戦時における対空警戒部隊(東北軍)、航空情報隊(北部軍)の状況」 防衛省戦史資料室(本土 全般 132)



ここから以下のページへいけます。