地図
米軍の航空写真(M275-45、国土地理院)
鞆の浦の西、海にそびえる高石垣で有名な阿伏兎観音のすぐ東上の尾根上に、高射砲のコンクリート基礎が残っている。沼隈町誌
[5]では「昭和17年9月30日から10月10日にかけて広島高射砲隊によって造られた、福山の歩兵連隊を守る為の高射砲陣地」と説明されている。しかし、歩兵連隊の施設を防御するために高射砲や高射機関砲が配備されるということはなく、また高射砲部隊の記録を調べても、福山に高射砲部隊が配備されていたという記述は無い。
実際に探索してみたところ、88式7cm野戦高射砲の固定陣地用(特)のコンクリート基礎が1基、きれいに残っている。しかし、高射砲の基礎はこれ1基しかなく、また周囲に砲側弾薬庫等の設備跡や土塁が無く、高射砲の砲座としては南東側が狭い(砲座の半径は4m前後)。
戦後の航空写真を見ても、山の北東下に何かの建物が造られたことはあったが、この場所は一貫して山のまま放置されている。そのため、現在残る平坦地や各種遺構類は、当時のままのものだと思われる。
基礎が1基しかないということは、これが高射砲の基礎である可能性は低いということである。なぜなら、高射砲は通常は4〜8基の中隊編成で運用されるからである。2基の小隊編成で運用されたこともあるが、1基のみということは有り得ない。高射砲による防空は、1機を撃墜する為に数百発の射撃が必要となる「数の」世界なのである。また、砲側弾薬庫や円形土塁といった施設も必須である。砲側弾薬庫は、鉄盗りや整地で破壊されることもあるが、ここでは基礎が破壊されず綺麗に残っていることから、元から無かったと思われる。弾薬庫が木製だったとしても、土塁の痕跡が残っていることが多い。
訓練用としてということも無いことは無いだろうが、こんな山頂に訓練用の施設をわざわざ造ることは非効率であり、廃川地や福山連隊の敷地で十分である。
そうなると、これは「高射砲の基礎の形をした、別の何か」なのではないか、という推測が出てくるのである。