高射指揮装置(AA Director)
大砲にしろ小銃にしろ、的に弾を当てるのは難しい事である。
そもそも弾は重力の影響を受ける為に放物線を描くし、それに風の影響、コリオリの力等、様々な物理的影響を受ける為に、真っ直ぐに飛んでくれない。更に的が動いていると、的の未来位置を想定して射撃しなければならないのだが、弾道曲線と的の未来位置とが重なる点を出さなければならず、非線形方程式を解かなければ成らなくなる。的が空中で3次元的に動いていたら、更に大砲が艦艇の上にあって大砲自身も動いてたら、波で艦艇が動揺していたらと、考えれば考えるだけ世にも恐ろしい複雑怪奇世界になっていく。
そこで発明されたのが指揮装置と呼ばれる計算機なのだが、世間一般どころか軍事マニアの間でさえ余り知られておらず、広島周辺の高射砲陣地を調べる際に困ったので、高射砲用の指揮装置に限定して調べてまとめてみた。本職の高射砲操作員でも計算機屋でも無いので説明の足らないところや間違ったところもあるだろうが、指摘していただければ可能な限りで修正して行きたいと思いますのでご指導ご鞭撻を云々。
一応もくじ:
指揮装置の歴史
高射砲の射撃システムの概要
目標位置の測定
計算
通信
射撃
各国の指揮装置
参考文献
指揮装置の歴史
射撃の難易度が極端に上がり、人間の経験やカンでどうにもならなくなったのは、第一次世界大戦で飛行機を狙わなければならなくなった時であった。当時は時速100km前後ののんびりとした飛行機しか飛んでいなかったが、しかしそれでも弾を当てる(実際には近くで散弾を炸裂させて破片で落とすのだが)のは難しく、1916年のフランス軍での実績では、1機を撃墜するのに11000発を必要とした[1] 。ノウハウ蓄積等もあって1918年には7500発まで減少したものの、イギリスも1918年で4500発などと、だいたい数千発のオーダーを下がる事は余り無かった(アメリカが700発という記録を作ったが、初期の計算機を用いていたのと、規模が小さいので例外と見ていい)。1機あたりの弾数を下げなければ、防衛に必要な高射砲数や砲弾数が莫大なものになってしまう。
そこで考えられたのが、当時発展しつつあった機械式もしくは電気式の計算機械を火器管制用に用いるというものであった。
余りはっきりとした事は判っていないが、世界最初の高射砲用の指揮装置(火器管制装置)はフランスのR.A.CorrectorもしくはBrocq社の指揮装置だったようである[2] 。詳細は不明だが、R.A.CorrectorはSchneider社製の物かと思われる。何れも三脚の上に旋回する計算機が載っており、計算機に付いた2つの単眼鏡に目標が合うように計算機を旋回もしくは単眼鏡を仰俯させての方位角と仰角とを測定し、また別の測距儀から目標までの距離を測定して入力して計算するというもので、その後に発達する高射指揮装置の原型ともいえるものだった。射撃諸元は全て口頭で伝達されるために時間ロスや伝達ミスが多く、期待されたほどの性能は発揮できなかったが無いよりは増しで、フランス製の75mm高射砲とR.A.Corrrectorを装備したアメリカ軍の派遣部隊のある高射砲中隊は、1機を撃墜するのに605発という記録を作っている。
第一次世界大戦後も航空機の脅威は増加の一途をたどり、防空関連技術も進化していった。高射砲用の指揮装置も同様で、イギリスのVickers社、アメリカのSperry社、ドイツのGeorz社やツァイス社等が開発を進めていった。目標の探索を容易に行う為に、聴音機や探照灯、後にはレーダー等と組合せて使用するようになっていった。初めは機械式の計算機が主流だったが物理的制限が多く、後にアナログ式の電気計算機が台頭して戦後のデジタル式電気計算機へと発達していく土台を築いた。陸上用の指揮装置で最も有名なのはアメリカのM9指揮装置(1942年、電気式、Bell研究所)で、90mm高射砲とレーダーと組合せて使用され、イギリスやアントワープに向けて発射されたドイツ軍のV1の、多く撃墜した[3] 。しかし第二次世界大戦後、ジェット機や地対空ミサイルの発達で高射砲の役目も終わりを告げ、それと共に高射砲用の射撃指揮装置の歴史も、一度幕を閉じる事になる。
米軍のM9指揮装置、写真はRadar and System Integration in World War II / David A.Mindel より
一方、我が国での指揮装置の開発であるが、比較的に早い時期から行われている。大正11年(1922年)に陸軍で初めての11年式7.5cm高射砲が採用された際、同時に11年式高射照準具(陸軍での指揮装置の呼称)が開発されているし、海軍でも同じ頃に艦上用の指揮装置の試作が行われている。基礎技術が低い事もあって外国製品を参考にしたような物が多かったり、生産精度が出せなくて量産に苦労する面もあったものの、国情に合わせた改良を行い、欧米に比べてそれ程劣っていない製品を生み出していたことは認められるべきであろう。特に陸軍は技術を軽視しているようにみられていることが多いが、指揮装置の開発に関しては、常に最先端を目指していたことがわかる。
高射砲の射撃システムの概要
・高射砲による航空機の射撃
一般に地上からの対空砲火の場合は、射撃側は固定で目標は3次元移動という条件になる。
この時、発射される砲弾も、目標に対してはそれ程に速いわけではないので(だいたい初速で1000m/s以下、航空機は150m/s前後)、目標の位置まで届くまでに数秒から数十秒の時間が必要になる。当然にこの間も目標は移動しつづけているので、飛行する目標に砲弾を当てようとすれば、砲弾の弾道曲線と目標の進路との交点、しかもその交点までの移動にかかる時間も一致する点を求めなければならない。仮に目標の飛行進路と速度を一定としても、計算式はかなり複雑な方程式となり、紙と鉛筆で解けるような問題ではない。しかも計算条件は刻々と変化しつづけるのである。これが高射砲の射法の特徴である。
また、これだけ条件が厳しいと弾を目標に直接当てるのは不可能に近い。そこで高射砲では射撃前に予め目標の近くで炸裂させるように信管を設定しておき、その破裂した砲弾の破片で目標を破壊するようにしている。この時に破裂した砲弾の破片が効果を及ぼす範囲だが、陸軍の12cm砲弾で半径15m、8cm砲弾で半径7mとあるから[5] 、実体弾を当てるよりも単純計算で1万倍当りやすくなっている。ただし信管は射撃前に設定しなければならないので、設定を間違えると炸裂点が手前過ぎたり奥過ぎたりして効果が出ない。そこで信管秒数を事前に正確に計算できるかどうかも、重要になってくるのである。
以上のような射法の難しさから、アナログ計算機を使って諸元の計算を行おうとして発明されたのが、対空射撃用の指揮装置である。指揮装置そのものはそれまでにも艦対艦の射撃用のものがあったが、計算の難易度は対空用のものの方が一段上である。
さて、その指揮装置を利用した近代的?な高射砲の射撃システムは、以下の3つによって構成される。
(1)観測機器:測距儀やレーダー等、目標の測定
(2)計算機: 指揮装置、諸元の計算や目標の指示
(3)火砲: 高射砲や高角機関砲等、射撃
第2次世界大戦当時では、一般にこれが中隊単位で編成されており、高射砲が4〜6門に指揮装置や測距儀が各1というのが普通だったようだ(砲兵の「中隊」の英語はbattery。batteryは他にも陣地や堡塁という意味も含まれていてややこしいが、中隊単位で陣地や堡塁を築くので、そういう名称になっているのかと思われる)。
指揮装置の出現当初には、通信の制限によってほぼ同一の範囲内にしか配置できなかったが、通信機器の発達によってそれぞれが遠隔に配置されていても機能するようになった。中には複数の高射砲中隊の火砲を1ヶ所でコントロールするような高度なものもあった。
作業の流れとしては、まず指揮官が指示した目標を観測機器で測定し、測定結果を計算機に入力して計算を行い、計算結果を火砲へ伝達し、射撃を行うというものである。そして目標が常に移動している為に、この作業をリアルタイムで連動させつつ行わなければならないところに、高角射撃の難しさがあるのである。
指揮装置の英語での名称だが、多少ややこしい。
一般にはアメリカでは指揮装置の事を「Director」、イギリスでは「Predictor」と呼ばれているようなのだが厳密なものではなく、またdirectorの方はどちらかというと測距儀等の光学機器に重点を、またpredictorの方は計算機に、それぞれ重点を置いているようなイメージもある。また「fire control system」という呼び方もあるが、こちらは後のもっと大掛かりな、自動化が進んだ際の名称というイメージがあったり、無かったり。まあ良く判らないがantiaircraft directorとかAA predictor、high-angle fire control system等で検索をかけると、海外の指揮装置に関する記事が引っかかるのだけは間違いない。
更に日本語でも、陸軍と海軍とで名称が違う。高射砲-高角砲と言い分けているように、指揮装置も陸軍では高射算定具、海軍では高射装置と呼んでいる。この国家内に更に国家が複数存在したような状態で、よく戦争なんかできたなと関心してしまう。
それから面白いのが、アメリカと日本との開発の仕方の違いである。アメリカは測距から計算、射撃までの全体をシステムとして捉え、システム工学的に開発を行っていくのだが、日本では余裕が無かったとはいえ、個々の技術の開発や改良しか行われてないということである。それと同時に、アメリカは指揮装置の開発をシステム開発の一部として位置付け、分析し、現在でも色々な学術論文が書かれているのだが、日本ではアナログ計算機の本を読んでも碌に載っておらず、あったとしても昔話がせいぜいで、その開発過程を学術的に見直そうなどとは全く考えていないのである。何につけ「やりっ放し」で分析どころかドキュメント化も行わず、それでいて自称技術大国とは大笑いである。小手先の器用さだけでこれから先どうにかなるものでも無いだろうにと心配になってくる。
目標位置の測定
高射砲を発射する為に必要な値は、以下の3つだけである。
(1)高射砲の方位角
(2)高射砲の仰角(もしくは四分儀仰角)
(3)砲弾の信管の設定時間
そしてこれ導く為に、だいたい以下の値を測定し、指揮装置へ入力し計算させるのである。
(4)目標の現在位置(普通は方位角、俯角、高さ)
(5)目標の飛行進路と速度
(6)環境情報(気温、風速)
(7)指揮装置と高射砲との位置・方位関係
(8)諸修正(砲弾を装填するのにかかる時間の修正等)
(9)高射砲の弾道特性情報(弾道曲線)
まず、指揮装置と組合せて使用する高射砲の種類は判っているので(9)は事前に決定する。(8)の諸修正は配員や訓練の特性から、(7)は陣地設営時、(6)は攻撃開始前に予め設定しておく事ができる情報である。しかし(5)は目標を変える度に、(4)は同一目標に対する射撃が終了するまで刻々と測定しつづけて行かなければならないので測定は大変である。ちなみに(5)は目標が回避行動を取ると変化してしまうものだが、攻撃行動に入っている敵機を迎撃するのがほとんどであることと、それらを可変にしてしまうと測定と計算がえらい事になってしまうので、普通は一定としてしまうようだ。
(5)目標の飛行進路と速度の測定
主に2通りの方法がある。一つ目は指揮官の目測による概算で決定する方法である。馬鹿にするなと言われそうだが、目標の飛行速度が遅い頃には目測でそこそこ間に合ったし、また砲弾の炸裂を見ながら修正する事ができるのである。2つ目はある時間を空けて目標の位置を2度計測し、そこから飛行進路と速度を測定するものである。当たり前な方法ではあるが、刻々と迫りくる敵機を前にして手際よく冷静に行う事は難しく、工夫が必要になってくる。といって当時は電子計算機のメモリがあった訳でもなく、実際には紙に位置情報を描画して測定を行う事が多かったようである。
(4)目標の現在位置の測定
測距儀で距離を、指揮装置付属の光学装置で方位角と仰角を計測するものと、測距儀に旋回手(方位角を合わせる)と仰角手の光学装置が別途固定され連動するようになっているものと、2通りの方式がある。後者の場合は、測距儀と計算機とが一体化していると目標の追尾と共に計算要員が計算しつつ機器の回転にも合わせなければならないために操作が煩雑になるので、計算機部分が別個になっているものが多い(海軍の94式高射装置など)。それぞれに長所短所があるものと思われるがよくわからない。
夜間には探照灯で目標を照らして測定する。またこの照射作業を容易にするために、目標の発する音を使って目標のおおまかな位置を測定して探照灯に伝える聴音機も使われた。その為、雲や霧の向こうの目標に対しては、測定が不可能であった。
ドイツの指揮装置、左は測距儀と分離型、右は測距儀と一体型、Flak im Einstatz 1939-1945 / Werner Muller より
レーダーが発達して測定精度が上昇していくと、まず探照灯の操作にレーダーを使うようになり、次に測距をレーダーで直接に行うようになり、最後には目標の現在位置の測定を全てレーダーで行うようになっていく。レーダーでの直接の位置測定は視界によらないので、特に夜間や悪天候での射撃に効果を発揮した。
計算
主に極座標系と直交座標系と2通りの計算方式がある。
極座標系は目標位置を方位角、俯角、直線距離で表すもので、測定したそのままの値を使えるのと、上下に移動する目標の計算がやりやすいという長所があるものの、高射砲の主目標である大型爆撃機に多い水平飛行では、計算がややこしくなる。Vickers社やScneider社のはこの方式で、日本でも一部の製品を除くと、殆どが極座標系で計算を行っている。
直交座標系は、極座標系で測定された値を計算機内でX,Y,Zに変換してから計算するもので、水平飛行する目標に対して計算が簡単になるという長所がある。元々はドイツのGeorz(もしくはGeortz)社が開発したものらしいが[4] 、アメリカのスペリー社が主にこの方式で開発を行っていたのでスペリー式と呼ばれている。陸軍の97式高射算定器はこのスペリー式で開発したものの、余計な所まで真似てしまい製品としては失敗してしまった。
本来ならそれぞれ方程式まで書いて説明する場所なのだが、数学が苦手なのでこのくらいで勘弁してもらいたい。
Sperry社製M4指揮装置の機構ダイヤグラム、Gunnery, Fire Control, And Position Finding, Antiaircraft Guns / Coast Artillery Field Manual / U.S.Army より
計算は、計算機内に組まれている機械式計算機構や電気式計算機構によって行われるが、機械式計算機構が計算機の大部分を占めていた。当時多かったのは、方程式の変数それぞれに操作員を割り振り、自分の担当の指針が常に一定の値になるようにハンドル等を操作すること(follow-up、追従)によって計算を行うというものである。英語の資料にtachymetric(タコメーター式)とあるのは、恐らくこの事ではないかと思われる。それぞれが追従作業をを行うと、全体のバランスが変化して指針が移動するので、更にそれに自分の指針を合わせてゆく。その内に全体のバランスが安定して指針の振れが殆ど無くなるが、この時が計算の解が出たのに近い状態になるのである。(はっきりとした解が出てくるわけではない)
時代が下ると、この指針の追従作業を自動化して操作員の数を減少させてゆくようになるが、機械式計算機では何らかの形でエラーが発生した場合、物理的に破壊されてしまう可能性があったので、高度な技術が要求された。日本でも自動追従装置を組み込んだ製品はあったものの故障が怖くて配員を減らせず、戦争末期には資材不足や工場での製造技量の低下の面からも、装置そのものを廃止するようになった。
また機械式計算機の問題として加工精度があった。計算精度を上げようとすれば機械の加工精度を上げなければならず(もしくは大型化だが、これは野戦用装置として不可能)、特に弾道計算を行うのに3次元カムを利用すると弾道計算をある程度自動化できるのだが、非対称で回転体でもない形状の加工が難しく、大量生産には向いていなかった。
こうしたエラー時の物理的破損の危険性や、大量生産に向かない事などの理由から、次第に電気式計算機が注目されるようになるのである。
電気式計算機は、抵抗やコンデンサ等で計算回路を組み、可変抵抗などで値の入力や計算を行うもので、基本的な操作方法は機械式計算機と余り変らない。日本は比較的速い時期に88式海岸射撃具(沿岸砲台用の射撃指揮装置)という電気式の計算機を作っていたが、これは機械式計算機を作る技術が低かった為の苦肉の策であり、残念な事に計算機としては余り注目されていない(単に忘れられているだけかもしれないが)。電気式計算機を使った本格的な指揮装置としては、アメリカのM9指揮装置が有名である。日本も戦争末期に電気式計算機の研究を行っていたようだが完成には至らなかった。
通信
測距儀と指揮装置、指揮装置と高射砲など、遠隔地同士での情報のやりとりが必要になる。
初期の頃は伝令や電話によって口頭で数値や命令が伝えられていたが、時間がかかる事、間違えること、爆音等で伝わりにくい事などから、次第に電気的な通信手段で情報伝達されるようになっていく。
電気的な通信手段としては色々なものがあるが、交流セルシンモーターによるものが有名である。これは発信側と受信側でメーターが同じ位置を示すというもので、受信側のメーターで振れている針に指針を常に合わせる作業を行わせることによって、常に発信側と受信側で同じ値を共有するという仕組みである(この時、指針を合わせる操作員は回路の一部の役割を果たす)。セルシンモーターの仕組みは良く判っていないのと説明が面倒そうなので割愛させてもらう(一応これでも大学の理系出身なのだが電気は本当に判らない)。
また第二次世界大戦末期のアメリカでは、遠隔から高射砲を直接に操作するという事も行われたが、この遠隔操作には精度や安定性の問題から難しく、当時としては高度な技術が要求された。
射撃
砲側員は、指揮装置から送られてくるデータに合わせて常に高射砲の方位角と仰角を操作しており、その為にいつ射撃を行っても命中する状態が保たれている(測定や計算、砲の操作等が全て正確に行われていればの話だが)。
ただここで問題になるのが、砲弾の信管を測合し、さらにその砲弾を装填する際に時間ロス(死点)が発生する事であり、またこの時間ロスは砲側員の熟練度や疲労等によって変化してややこしい。そこでこの不安定要素を無くす為に色々な技術が開発された。
・信管測合器
常に最新の信管時間情報を砲側の信管測合器に入力しておき、装填する砲弾の信管部分を挿入すればその時点の信管設定値で自動的に測合が行われるというものである。88式7cm高射砲や、ドイツ軍の88mm高射砲の砲側に装備されているあれである。この2門が指揮装置から直接設定できたかどうかは不明。
・自動装填装置と自動信管測合器
高射砲の口径が増大し、それに伴って砲弾と弾薬の重量が人力での装填限界を超すようになると、砲弾の自動装填装置が開発されるようになる。特に高射砲では高仰角での装填になるので、10cmを越す殆どの高射砲で採用されている。また10cm未満の高射砲でも、発射速度を上げる為に自動装填装置を組み込んだものも現われるようになる。ただし最近の艦艇用自動砲のように全てが自動というわけではなく、砲弾を装填架台に運搬し、倒しこむ作業は砲側員の役割であった。
また必然的に自動信管測合機構を組み込んだ自動装填機構開発されるようになる。装填すら難しい重い砲弾を一々信管測合するのは更に難しい為である。これは装填架台を倒しこむ際に信管部を歯車に挟み込むことで、設定されている値に測合するというものである。
この2つの発明によって信管測合と装填における死点や不安定要素は減少し、また発射速度も飛躍的に増大した。自動化の最も進んだアメリカ軍の90mm高射砲M2は、1分間に25〜35発を発射できたともいわれれている[2] 。日本の物で自動装填装置をもった高射砲は、陸軍の3式120mm高射砲や海軍の98式10cm連装高角砲等がある。
各国の指揮装置
・日本陸軍
・日本海軍
・アメリカ(陸海軍)
・ドイツ(陸軍、空軍)
・イギリス(陸海軍)
参考文献
[1] 「日本防空史」浄法寺朝美/著、原書房
[2] 「LESSON 1 - HISTORY OF AIR DEFENSE AND EARLY WEAPON SYSTEMS」、http://www.globalsecurity.org/military/library/policy/army/accp/ad0699/index.html
[3] 「Pre-Nike (Anti Aircraft Guns)」、http://ed-thelen.org/pre_nike.html
[4] 「陸戦兵器総覧」日本兵器工業会/編
[5] Effectiveness of Japanese AA Fire U.S.Naval Technical Mission To Japan
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