都井岬 特設見張所・電波探信所
2022.2.15 探索
2023/2/19 大幅改定


 宮崎県の南端、都井岬に海軍の電波探信所があった。都井岬灯台の近くに水上見張電探所、標高295mの扇山には対空電探所、その北西の標高287mの小松ヶ丘には偽装砲台が置かれていた。

 扇山と小松ヶ丘は野生の馬である御崎馬の放牧地になっているが、観光地として開放されているので探索しやすくなっている。ただその一方であちこちに馬糞が転がっているので、別な意味で足元に注意しなければならない。都井岬灯台については、灯台の周囲の山に入れるかどうかは不明である。扇山は山頂まで車で登ることができるが、道路が狭く離合ができないので、観光客が多い時期には特に気を付けた方が良い。




引渡時の配置図[2]を描き直したもの

対空電探所の航空写真(左上:M11-64、右下:CKU7413-C32-3、国土地理院)

 終戦直後の航空写真を見ると、山頂近くに兵舎が
明確に写っている(黄色矢印)が、他は施設なのか
立ち木なのか不明瞭である。東部は戦後に電波施設が
建設されたため(右写真、1975年)、当時の遺構は
何も残っていない。
施設一覧





 地下通信室他
 兵舎
 地下発電所
 13号電探室他
 11K電探基礎他
 揚水所?

 偽装砲台
 水上電探所


地下通信室他



                    右:地下通信室を東から



左:通気口A、右:電線貫通穴B


左:掘下げ部Eと電線貫通穴D、右:電線貫通穴Dと掘下げ部C

 地下通信室の地表面は少し盛り上がっている。地表には通気口やアンテナへの配線を通す電線貫通穴の他、斜面を掘下げて窓というか通気口というかよくわからない開口部が設けられている。出入口は北西側で、地下には3つの部屋がある。


左:掘下げ部Eの通気口?窓?、右:掘下げ部Cの通気口?窓?


左:通気口F、右:通気口Fのアップ


左:出入口G、右:地下通路


 通気口AとFは、ミニお遍路の仏像が載せられている。
通気口AとFの内側には板がまだ残っている。北西の出入口は
大分埋もれてしまっているが、内部に入ることは容易である。


左:通路から中央の部屋の入口を、右:北東側の部屋


左:通気口Aに通じる開口部、右:電線貫通穴Bへの開口部と掘下げ部Cの通気口?


左:北東の部屋の西側、右:南西の部屋、掘下げ部Eの通気口?

 内部は、北東と南西に正方形の部屋と、その中央に狭い
部屋がある。壁には細長い木枠が埋め込まれている。
コンクリートを打つ際の型枠の残骸というよりも、当時は
天井も壁も板張りで、この埋め込んだ木枠に板材を釘で打ち
付けていたのではないかと思われる。
 2つの正方形の部屋の用途はわからない。



左:通気口Fに通じる開口部、右:南西の部屋の東隅


左:中央の部屋の下側、両側の部屋へ通じる開口部、右:上側、上部にDへの開口部


左:東側の電探施設のあった平坦地、右:同左


 中央の狭い部屋は蓄電池室かと思われるのだが、天井に
配線孔Dへの開口と、足元に両側の部屋へ通じる開口が開いて
いるだけで、水素ガスを逃がす排気口が見当たらない。
そのため、別の目的の部屋かもしれない。
兵舎





左:水槽を南東上から、右:水槽を北西下から


左:一槽式水槽H、右:水槽Hの縁

 地下通信室の西下の谷地に兵舎平坦地Jがあり、その東上には2基の水槽HとIが、また兵舎平坦地Jの北から北西方向に軍道が伸びている。


左:三槽式水槽Iを東上から、右:水槽Iのステップ跡


左:水槽Iの北東側の槽のパイプ、右:南東側の槽のパイプ


左:東側の2つの槽の間のパイプ跡、右:水槽Iから兵舎平坦地Jへと降りる溝

 2基の水槽HとIは、海軍施設で良く見られる一槽式と三槽式の水槽で、一槽式の水槽Hが上、三槽式の水槽Iが下になっている。仕上げは丁寧で、素材は煉瓦(コンクリート煉瓦?)のモルタル塗りである。水槽Hの内部には水が溜まっており、西面の中央下にパイプが残っている。水槽Iは西側の大きな槽に蓋がされており中が見れなかった。東側の2つの槽には内部に土砂が溜まっているが、東側の面の下側にそれぞれパイプが残り、また2つの槽を繋ぐパイプ跡が上のほうに残っている。水槽Iの西下から兵舎平坦地Jに向かって溝がある。配管を埋めていたものではないかと思われる。


左:兵舎平坦地Jを東上から、右:瓦礫


左:平坦地Jの西側に建つ神社跡、右:平坦地Jの北の軍道


左:軍道脇の地下壕入口?K、右:崩落した軍道

 兵舎平坦地Jは東西北の3面が切岸になっている。戦後に整備された際に掘り返されたようで、あちこちにコンクリートやモルタルの残骸が転がっている。北東側に神社の建物があるが、現在は廃墟になっている。北面から北西に向けて軍道が出ているが、途中で崩落して進めない。恐らくは北西麓の車道と林道の合流点付近へと通じていると思われる。軍道の途中に地下壕入り口を埋めたようなもの(図面のK)があるが、ただの自然地形かもしれない。
地下発電所



左:入口上にある吸気口、右:同左脇の鉄パイプ


左:入口とその上にある吸気口、右:通路


左:東の入口から、右:西端から入口を

 兵舎平坦地の南西隣に地下発電所がある。配置図[2]
を見ると、ここには6KVAの発電機が2基配備されていた
ようである。入口の真上には吸気口もしくは排気口と
思われるものがある。脇には鉄パイプが出ているが、
排ガス管だろうか。



左:工事中の基礎N、右:6KVA発電機の基礎M


左:入口上の吸気口と鉄パイプ、右:天井の吊り具

 内部には3基のコンクリート基礎が並んでいる。
南側に同型が2基、北東隅にそれよりも小さい
アンカーボルトが未施工の基礎がある。恐らくは南側の
2基が6KVA発電機のものと思われる。6KVA発電機の
アンカーボルトは8本で、並びは63㎝幅で36㎝、36㎝、
54㎝の間隔になっている。天井には電線を吊るして
いたと思われる金具が幾つか残っている。
 西側の壁の上側にも穴が開いているが、地上では
排気口らしい構造物は見つけられなかった。

 説明看板によれば、ここの発電機は緊急用のものだったらしい。またこことは別に、兵舎の北側にも大きな発電所があったものの、現在は土に埋もれているとある。配置図[2]の「(壕内)15KVAx1」のことだろうか。

13号電探室他





左:窪地O、右:窪地P


左:窪地Pの西側の窪地、右:13号電探室Qを東から

 兵舎平坦地を西に上ると、1つ目のピークに窪地OとPがある。窪地Oは円形かどうかも不明だが、窪地Pは円形で南東側に進入路らしい溝が伸びている。機銃陣地かと思うが、配置図[2]では、ここには何も描かれていない。



左:電探室Qの屋上、石が嵌めてあるのがアンテナ回転軸貫通穴、右:電線貫通穴


左:アンテナ回転軸貫通穴とアンテナ支柱基礎、右:電探室への通路


左:内部西側、右:窓?換気口?

 さらに西に上ると、13号電探の電探室Qがある。ここも配置図[2]では何も描かれていない。工事中で未配備だったのか、配置図の記載ミスなのかはわからない。


左:地下室天井のアンテナ回転軸の穴と電線貫通穴、右:内部東側


左:窪地R、右:窪地S、右奥ピークが11K電探基礎

 部屋は正方形1室の単純なもので、屋上に開口部が2か所(アンテナ回転軸貫通穴と電線貫通穴)と、アンテナの支柱を支える4か所の基礎がある。回転軸貫通穴は1辺約30㎝、電線貫通穴は1辺約20㎝、支柱基礎の間隔は約116㎝×238㎝である。

 電探室内部には何も残っていない。中央に何故か岩が幾つか置かれている。天井の2か所の開口部の他に、北西隅に通信室にもあったような通気口なのか窓なのかわからない開口部が横に開いている。


 13号電探室Qの更に西には、窪地Rと窪地Sがある。自然地形にしては不自然だが、明確な人工物とも言えない中途半端なものである。その南西には、牧場の垣と思われる土塁Tがまっすぐ伸びている。
11K電探基礎他



右:11K電探の基礎の上で井桁状に組まれた形鋼(着色部)[4]



左:電探基礎U、右:Uの北西下の窪地


左:電探基礎U、右:同左

 西側のピークに11K電探の基礎Uがある。8本の角錐状の基礎が正八角形に並んでいるが、高いものと低いものが2本づつ対になっている。室戸特設見張所にも同様の基礎が残っているが、室戸のものはアンカーボルト施工前の状態である。



左:電探基礎Uの西側、形鋼を載せた跡がある、右:東側


左:真横から、高い基礎と低い基礎が対になっている、右:同左


左:窪地V、右:長細い窪地W

 11K電探の基礎Uの土台は幅400㎝、1辺約156㎝の正八角形であり、高い方の基礎は高さ約100㎝、低い方は高さ約80㎝。基礎の中央にアンカーボルトが1本あり、アンカーボルト間の距離は約80㎝くらいである。11K電探の組立写真[4]を見ると、これは丸太で組まれた基礎だが、その上に形鋼を井桁に渡し、その上にアンテナの回転用のリングを載せている。都井岬では丸太の代わりに2種類の高さの8本のコンクリート基礎を建て、この上に形鋼を渡していたようである。
 近くに電探室があった筈であるが、北西下に小さな窪地があるくらいで、他にそれらしいものは見当たらない。北東の尾根にある窪地Sかもしれない。


左:円形窪地Y、右:円形窪地X


左:戦後の建物跡Z、右:偽装砲台のある小松ヶ丘

 電探基礎Uの南西下には、窪地VとWがある。
配置図[2]によると、この辺に14号電探があった筈だが、
14号電探の基礎がどうなのかわからないので、何とも
言えない。
 更に尾根を南西に下ると、円形窪地XとYがある。
Xは進入路もあり機銃座のようだが、Yは不明瞭である。

 南東下の斜面に、戦後の建物の残骸Zがある。
配置図[2]によると、この辺に井戸マークが描かれて
いる。もしかするとここに井戸があり、戦後になって引き続き井戸として使用していた残骸なのかもしれないが、瓦礫が多くて下に井戸があるかどうかは確認できなかった。
揚水所?



左:奥に水場、右:コンクリート製水槽


左:コンクリート製水槽、奥に石垣、右:埋もれた水槽?

 11K電探等のある西側のピークの北西下に馬の水場がある。丁度、この付近の道路脇をボランティアの方々が清掃しており、中に高齢の方もいらしたので話を聞いてみると、「ここから水を汲んで山の上に運んでいた」という話を伺えた。ポンプで汲み上げていたというわけではなく、リアカーに載せて運んでいたとか、そういう話だった。

 奥の方に進んでみると、浅いものの水を湛えたコンクリート製の水槽が1基と、少し離れて水槽のようなものが顔を出していた。これが当時の水槽なのか、戦後作られた馬用の水槽なのかは不明。

 配置図[2]によると、ここには建物のマークと、発電機と13号電探が保管されていたと記述がある。比較的広い平坦地があるので、倉庫か何かが建てられていたのかもしれない。


偽装砲台


Googleの衛星写真を元に作成



左:砲座a、右:砲座b


左:円形窪地c、右:何かの基礎d




左:何かの基礎d、右:同左に埋め込まれたアングル材


左:砲座eの砲側弾薬庫、右:砲座e


左:砲座eの石垣製砲架、右:砲座e




左:何かの基礎dの横の円形窪地、右:山頂付近


左:砲座f、右:塹壕跡

 小松ヶ丘に偽装砲台跡がある。地下発電所の説明看板には「小松ヶ丘には、木で作った偽装の高射機関銃が設置されていて、それをめがけて敵機が攻撃するのを見ることもあった」と書かれている。ただ砲座の内径は約8mもあることから、一応高角砲の偽装砲台だったようである。

 指揮所らしき場所に、何かの基礎dがある。台座は六角形で3か所に金具が残っている。それぞれ4本のアングル材が埋め込まれており、ボルト穴跡があることから、この上に何かがボルト締めされていたのかもしれないが、切断されてしまっている。こうした形の基礎は他に見たことがなく、また物資不足の中で偽装砲台に貴重な形鋼やコンクリートを使う筈もなく、戦後に作られたものではないかと思われる。

水上電探所




左:都井岬灯台、右:終戦直後の航空写真(M11-63、国土地理院)

 配置図[2]によると、都井岬灯台の近くに水上電探所があったようだが、山に入れるかどうか不明。探索時には丁度改装工事中で、灯台にすら近寄れなかった。また駐車場付近から南東麓の御崎神社まで「ターザンの森遊歩道」があったのだが、現在は閉鎖されてしまい入ることができないようである。
日付 呉海軍警備隊戦時日誌[1]等による記事
昭和16年12月
-昭和17年1月
特設見張所、工事中
昭和17年3月 特設見張所 既設
昭和17年8月 特設見張所、乙(既設)、巳(未着手)
12cm望遠鏡1、7倍稜鏡2
電波探信儀1号1、電波探信儀3号1
92式特受信機改四1、95式短5号送信機1
訓令官房機密第1002号(17.1.24)
(電波探信儀1、3号)訓令官房機密第8712号(17.7.13)
電波探信儀3号は近く着手
電波探信儀1号装備予定は官房機密第8712号ノ2に依り中止
昭和17年9月 特設見張所(照聴所を除く)、乙
昭和17年12月 探信所(戊)工事中
昭和18年1月 官房機密第271号、電波探信儀(3号)装備工事打切の訓令(18.1.19)
特設見張所(戊)工事中
付属見張所(乙)(戊工事中)
昭和18年3月 探信所工事中
呉警備隊機密第5号ノ6、付属見張所位置変更の件呉海軍建築部長照合(18.3.20)
昭和18年4月-5 特設見張所(戊)工事中
昭和19年3月 探信所完備
昭和19年6月-7 既設見張所
昭和19年8月 官房艦機密第4170号に依り電波探信儀2式1号 設置工事中
官房艦機密第4192号に依り電波探信儀3式1号 設置工事中
昭和19年9月 既設探信所、官房艦機密第4192号に依り3式1型電探装備工事中
既設見張所
昭和19年10月 既設探信所、電波探信儀3式1号1型 完備
見張所 完備
昭和19年11月 電波探信儀完備に依り見張所撤収兵員は探信所員となる
見張所→探信所に
電波探信儀3式1号1型1基 修理中、3式1号3型1基 呉廠試験の為装備
昭和19年12月 3式1号1型1基、3式1号3型1基 完備
昭和20年1月 既設 3式1号3型1、3式1号1型1
2式1号1型改三1(工事中)
日付 呉海軍警備隊戦時日誌[1]等による記事
昭和20年2月 完備 3式1号1型1、3式1号3型1
工事 2式1号1型1、3式1号3型1、2式1号2型改三1(113の書き間違い?)
昭和20年6月 特設見張所戊現状(昭和20年6月1日現在)[5]より:

戊の種別:A
11K、13x2、14、113
6KVA発電機1、15KAV発電機2、外部電源1
定員:准士官以上1、高電測6、普電測18、電信4、その他10、計39
現員:准士官以上2、高電測4、普電測24、電信6、その他93、計129
訓令:17年8712号、19年7337号、20年7月20日518号???(読めず)
昭和20年8月31日 引渡目録[2]
2式1号電波探信儀1型改三 1、3式1号電波探信儀1型 1
3式1号電波探信儀3型 3、3式1号電波探信儀4型(空中線倒壊) 1
3式3号電波探信儀2型 1
TM式短移動無線電信機改四 3、92式3号送信機(未装備) 1
15KVAディーゼル交流発電機(1基工事中、1基未装備) 2
6KVAガソリン交流発電機(工事中) 4、1KVAガソリン交流発電機 2
25mm機銃 3(3201)、13mm機銃 2(2920)、小銃 65(5660)
兵舎 1、付属建物 2


米軍資料[3]によるレーダー種類と配備年月
 11号(2式1号1型):1945年6月
 13号(3式1号3型):1945年1月
 13号(3式1号3型):1945年2月
 13号(3式1号3型):1945年7月
 14号(仮称1号4型):1945年7月
 11号(2式1号1型):工事中
 11K(3式1号1型):1944年10月?
(11号と113号の区別無し)