白島 砲台





左:終戦後の米軍の航空写真(M120-4、国土地理院)、右:資料[4]内の地図






 小倉沖に浮かぶ男島に、白島砲台があった。現在は石油備蓄基地になっており自由に行き来することはできないものの、Webや福岡県の戦争遺跡調査団体の記事で、上陸して探索している事が書かれているので、上陸そのものは無理ではない模様。
 上陸された方に伺ったところ、島は2つの漁協の所有物であり、それぞれから許可をもらわないと上陸できないそうである。


 また男島と、その南西にある女島には、計4ヶ所の照空陣地と中隊本部、標定機陣地も配備されていた。




現代本邦築城史 下関要塞より[1]:

任務:
 白島北方海面に於ける敵艦船の航通を妨害し我が海上航通を援護すると共に白島四周の防空に任ずるにあり

備砲:11年式7cmカノン4(標高101m)

起工:昭和11年7月1日
竣工:昭和12年10月30日

摘要:
 砲側庫を有せず其の代りに各砲座には1m20cm方形の弾薬置場2を有す



白島電燈所:
 射光機(ス式150cm遊動式)1
 照明座2、掩燈所(3m×4m)1、発電所(張間4m55cm桁行6m60cm)1、属品格納庫(張間4m55cm桁行6m37cm)1
 起工:昭和11年7月1日
 竣工:昭和12年10月30日






下関要塞白島砲台建築要領書(昭和10年11月調製、参謀本部)[1]

三、築設要領:
 1.砲台の首線は真方位概ね340度とし、4門を以て首線の左右各々約60度を直接照準することを得、尚一部を以て其両側を成るべく広く射撃し得ると共に四周の上空を射撃し得る如く設備す。
 2.砲座は11年式7cmカノン4門を築設す
 3.電燈所は砲台北側に設く
 4.観測所其他付属設備は努めて之を省略す




日付 記事[3]
昭和11年7月1日 起工(砲台、電燈所)
昭和12年10月30日 竣功(砲台、電燈所)
昭和20年5月下旬 海岸陣地帯構築作業(ケ号演習)
第4中隊(白島)7Kの1小隊は145師団(後に351師団)、
残りは57師団で洞窟陣地、6月以降、新陣地へ移動
昭和20年8月 7cmカノン、工事は6月上〜7月上に開始

第4中隊
 津屋崎砲台(白島 7K2) 洞窟掘開概ね完了
 新宮砲台(白島 7K2) 洞窟掘開概ね完了

[1] 現代本邦築城史
[2] 下関重砲兵連隊史
[3] 下関要塞守備隊戦史資料(防衛省戦史資料室、本土-西部-145)
[4] 下関要塞白島砲台備砲工事実施の件(アジア歴史資料センター:C01004313900)










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