海軍 手結砲台


2010.2.6 探索








大峰山から北北西へと伸びる尾根の西面に、海軍の手結砲台が築かれていた。北西西に伸びる尾根に邪魔される為に射線がかなり狭いが、これは北西西に伸びる尾根によって米軍の艦砲射撃を防ぐ為、敢えてこうした立地に築いているためである。





左:砲座Aを西下から、右:砲座A正面



左:砲座Aを北西から、右:南側の壁面が抜け、屋根が落ちている



左:天井の内側が剥離している、右:剥離した天井内面に打撃痕、内部の火砲を爆破した際の傷か?



左:剥離した天井内面、フェンスのような鉄芯、右:北壁面がずれている



左:砲座Aの内部奥側、右:奥への通路



左:図面の通りのトラス式の骨組跡、右:奥の通路



左:分岐、右が掘り口へ、右:掘り口への下り



左:砲座Aの天井部の開口部、恐らく崩されている、右:北壁面のズレ部






左:掘り口B、右:同左南の平坦地



左:斜面下の落下した南壁面、右:同左



左:砲座Aの東上にある壕群Cの南側の壕、右:同左内部



左:Cの南側の壕の西の張り出し、右:同左を北から



左:北へと続く通路、右:北側の壕入り口



左:北側の壕の内部、右:北側の壕の入り口部を壕側から






左:尾根から見た高知平野、右:尾根上の陣地跡その1



左:陣地跡その1、右:同左



左:尾根上の陣地跡その2、右:同左



左:尾根から谷へ降りる途中の壕、右:同左内部



左:谷の出口、右:探索時はまだ工事中だったバイパス…







第317設営隊戦時日誌(アジア歴史資料センター リファレンス番号:C08030307600)に書かれている通りの場所に、戦時日誌で言うところの手結砲台がある。残念ながら南壁面が抜け、天井が落下しているが、保存状態はかなり良いほうである。

砲座Aは急斜面に設けられている。一般には尾根の東から掘り進めるところであるが、あまりに尾根が厚い為に砲座の開口部と同じ面に掘り口を設けて建設を行っている。コンクリート部の構造は上記戦時日誌内の図面とほぼ同様で、一部トラス式のに組まれたアングル材が露出しているのを確認できる。天井の内面はフェンス状の針金を芯にしてコンクリートを固めている。何故かは不明。
奥は素掘りのトンネルになっているが図面と一部異なり、北に短い分岐が出ている。南の掘り口へと下る部分はさすがに怖くて降りれなかった。
砲座Aの南下には掘り口Bがある。また砲座Aの西下の谷底には、抜け落ちた南壁面の残骸が転がっている。

砲座Aの東上には壕群Cがある。3ヶ所の壕と通路とで構成されている。2ヵ所の壕は中に入れるものの、すぐに行き止まっている。砲座Aの観測所かとも思ったが、測距儀を置くには形がおかしく、別の施設跡のようである。

米軍が爆破したと書かれている事が多いが、基本的に米軍が爆破したのは兵器や機器類のみである。コンクリート構造物を爆破した例もあることはあるが、内部の火薬類を処理した際に一緒に破壊された例以外は未だ見当たらない。この手結砲台も南壁面が抜け落ち、天井が落下しているものの、爆破の際に見られる痕跡(膨張による破壊痕)が見当たらない。南壁面に穴を開けてダイナマイトを挿入して爆破すればこのような状態になるだろうが、穴あけの機械をこのような斜面まで持ってきたとは思えない。
そこで南海地震で崩れたのではないかと推測する。実際に北壁面は真ん中で5cm程ずれている。天井が崩れる際に壁面に横方向への力がかかるが、摩擦が大きいので5cmもずれるとは思えない。 天井の内面に銃弾痕のような打撃痕が見受けられるが、これは内部の火砲を爆破した際の傷ではないかと思われる。
ともかく、それ以上はコンクリート構造物の専門家に推測してもらうしかない。

その一方で鉄屑回収業者による破壊痕も見受けられる。天井の奥部分が崩れている部分(素掘りの壕へはここから入る)は他の遺構に見られるようなタガネとハンマーによる破壊の痕跡であり、一部鉄骨が抜かれている。恐らくはあまり作業が進まない内に状況が変化し、鉄屑回収作業が中止になったようである。


手結砲台のある尾根には、他にも幾つかの陣地跡や壕跡がある。大峰山の西側全体が陣地化されていたようである。





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