広島県の防空監視哨


2007.5.9 取りあえず分離独立
2007.5.17 少し追加









広島県の防空監視哨
広島防空監視隊 尾道防空監視隊
昭和18年頃までに設置 +広島、 鈴張、瀬野、吉和、大朝
八重、 +吉田
尾道、 +福山、 三原、三津、忠海
河内、庄原、東城、木江、御手洗
府中、中庄、 +甲山、 上下
上記の内、昭和19年廃止 可部、厳島、 +玖島、 +加計 西条、鞆
昭和19年設置 三次、 +布野、 四和、 +川地、 +吉舎
筒賀
松永
昭和20年設置 海田市、中黒瀬、中三田、 +根野 川尻
リンクのあるものの内の+は未攻略もしくは消失、不明






日中戦争の始まった昭和12年頃から、全国に防空監視哨が設置された。これは警察の管理下にあり、広島県警所轄のものは終戦までに33ヶ所の防空監視哨が置かれた。広島県下の防空監視哨に関する記事をまとめると以下のとおりである。
(広島県警察百年史より)

記事
昭和12年10月 ・「防空法」施行
・広島県に防空課設置(11日)
昭和16年1月 ・政府が閣議で「国土防空強化対策」を決議
・東京に防空研究所を開設
・広島県でも防空事業計画を策定、防空監視哨の整備や防空講習会の開催、
防空施設や消防器材の整備に着手
・従来4ヶ所の防空監視哨を8ヶ所に増設
昭和16年12月 ・「防空法」改正
・「防空監視隊令」が施行され、常時立哨に
・広島県防空監視隊を設立し防空監視哨を28ヶ所に増設
昭和19年4月 ・可部、厳島、玖島、加計、西条、鞆の6哨を廃止
・布野、四和、川地、吉舎、筒賀、松永の6哨を新設
昭和20年3月 ・海田市、中黒瀬、中三田、根野、川尻を新設



防空監視哨は見晴らしの良い山頂や高い建物の屋上に築かれた。監視設備は屋根のついた地下式のコンクリート製円筒もしくは多角形筒による簡易聴音機と、双眼鏡のみという貧弱なもので、これに班員の詰所が併設されていた。7人から10人を1個班とし、5個から7個班を1哨に配置した。班員ははじめは地元の在郷軍人や消防団員だったが、応召による人手不足によって青年学校の生徒や女子青年団員までも動員された。

具体的な監視業務だが、川地防空監視哨では、
・川地村、酒河村、板木村、甲立村の4ヶ村で1村1班6人づつ配員
・1班が午前8時から翌日午前8時までの24時間勤務
・2人1組で1人が立哨監視ともう一人が通信事務、他4人は仮眠
・2時間交替で1人当り8時間勤務
・監視項目は
 @飛行機の飛行する方角と高度(高いか低いか)
 A敵機か味方機か
 B爆音の大小(機数)
 で、これを所轄の三次警察署に電話連絡していた。






参考文献:
・広島県警察百年史
・三次市史
・げいびグラフ63号

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