室戸 特設見張所:室戸岬付近








左:全体図、右:米軍の航空写真(R519-1-14、国土地理院)


室戸岬は海のすぐ近くまで標高150m以上の台地が突き出しており、その台地の南端付近には八十八箇所の最御崎寺に灯台、気象庁の測候所などがある。そしてそれらの施設の間に、戦争中もしくは戦前のものと思われる遺構が幾つか残っている。



測候所付近
灯台付近






測候所付近


左:スカイライン脇の塞がれた地下壕?、右:同左を横から



左:最御崎寺の東側の駐車場の南奥、右:スカイライン脇の地下壕



左:地下壕入り口、右:同左内部



左:地下壕その2の入り口、右:同左内部



左:室戸岬無線方位信号所、右:測候所付近の瓦礫



左:測候所から南西に伸びる尾根上の削り出し平坦地を南から、右:同左段差部



左:平坦地の北端、右:平坦地南端付近の穴


北から下ってきたスカイラインは測候所と最御崎寺の間を抜けて西へと下るが、この測候所の南下から西にかけて幾つかの遺構らしきものがある。
スカイライン脇の最御崎寺の駐車場(西側)の北に、コンクリートで塞がれた地下壕らしきものがある。斜面の補強にしては一部過ぎ、また下に凹みがあることから、元々コンクリート製の地下壕をコンクリートで塞いだものなのではないかと思われる。またスカイラインを東へと登っていくと、同じく北斜面に地下壕が2ヵ所ある。1本は北、もう1本は西へと延びており、どちらも奥は深い。どうなっているか調べたかったが、さすがに崩落の危険があるので中には入れなかった。これらは場所柄、測候所の防空壕の可能性もある。またスカイラインの走る谷地は広く、一部では平坦地になっていることから何らかの施設があったかもしれない。
航空写真で測候所の南西にある土塁で囲まれた建物跡のようなもの場所には、現在は無線方位信号所が建っている。かなり手が入っているようで、航空写真のような地形は読めなかった。またここからなだらかな尾根が西へと下っているが、その先に削り出し平坦地がある。南北約15m、東西約5m程で、南端付近には井戸か何かの穴がある。なだらかな尾根上にわざわざ削りだしているので、畑というわけでは無さそうである。また測候所の南側一帯にはレンガやコンクリート等の瓦礫が散在している。ただこれが測候所そのものの建物を崩したものか、別の建物のものかはわからない。





灯台付近


左:最御崎寺の門の南側にある建物の敷地跡、右:同左を北から



左:敷地跡の北東側、右:同左の階段、標柱は旧運輸省のもの



左:敷地跡を西から、右:同左付近のコンクリ片で組まれた石垣



左:敷地跡を南から、右:旧室戸岬無線方位信号所(望楼跡)を北から



左:灯台への通路脇に建つ海軍標柱、右:同左



左:海軍標柱2、右:海軍標柱3



左:海軍標柱4、右:望楼の番舎があった辺り



左:室戸岬灯台、右:灯台を南下から


最御崎寺の南にある門のすぐ南に、建物の敷地跡らしきものがある。周りを石やコンクリートの破片で組んだ石垣で補強してあり、東と北の二方向に階段がある。標柱から国土交通省の敷地であることがわかり、国土交通省の関連の施設跡があったと思われるが、地元の方の話に出てくる展望台、つまり見張台がここにあった可能性も否定できない。ただ、敷地跡の北側の立ち木の大きさから、戦争よりもはるか前のものかもしれない。
この敷地跡の南にはかなり立派な施設がある。小さな門の脇には「無線方位信号所」と書かれている。測候所の近くにも信号所よりも前の信号所跡だろか。明治時代の資料(明治33年公文備考「撤去売却及破損」:アジア歴史資料センターC06091808100)によると、ここは元々海軍の室戸岬望楼で、実際に石垣の麓には海軍の標柱が3本建っている。標柱は石製でかなり古く、南から2、3、4の番号が彫られているが、残念ながら1番の標柱は見つけられなかった。また同じ資料によると寺の西下の敷地には望楼の番舎があったが、現在は寺の関連施設が建ち、何も残っていない。





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