室戸 特設見張所: 北部施設群



右:引渡目録に描かれた略図(上下反転して写植)



左:全体図、右:米軍の航空写真(R519-1-13、国土地理院)



北部施設群 南部
北部施設群 北部
北部施設群 北端、その他






北部施設群:南部





左:スカイライン北側から入り口方向、右:旧レストランの廃墟



左:入り口付近から南を、右:Aの北西の電波施設



左:Aの北西の電波施設の南側、右:同左から北を



左:Aにある海軍の標柱、右:標柱の近くのくの字型の溝



左:くの字型の溝、右:戦友会の慰霊碑?



左:廃墟の南の電波施設C、右:同左北側



左:Cから北西方向を、右:Cの南東端にある円形窪地






左:銃座D、右:銃座Dの南端



左:銃座Dの北西側の弾薬庫、右:銃座Dから南を望む



左:Cの東下の通路跡?、右:同左



左:銃座E、右:銃座Eの内部



左:銃座Eの北西側の弾薬庫、右:銃座Eの南東縁



左:銃座Eの東下の溝、右:廃墟北側の駐車場跡から銃座Eのある藪を



左:貯水施設J、右:Jの南下の電波施設




津呂山の南側は特に開発が進んでいるが、その分破壊も酷い。室戸で有名なレストハウス、ニュー室戸の廃墟の付近は辛うじて遺構が残っている状態である。
廃墟の西側のA付近は木立が残っており、北西に2ヵ所の電波施設がある。航空写真や引渡目録の付図から、恐らくこの付近に電探があったと思われるが、基礎などは残っていない。A付近には海軍の標柱とその南にくの字型の溝がある。標柱の方向は北と東を向いているところを見ると、元々は山頂付近の狭い部分だけが敷地だったのかもしれない。くの字型の溝の用途は不明である。また標柱の北東の道端に戦友会のものと思われる慰霊碑が建てられている。
廃墟の南側にもNHKの電波施設Cがある。ここにも電探があったと思われるのだが、遺構らしいものは南東に直径約2m程の円形窪地が1ヵ所と東下に通路跡らしき窪地があるだけである。
Cの南東下には銃座Dがある。直径は約4mで北西に弾薬庫跡の方形溝がある。
また廃墟の北東側にも銃座Eがある。こちらも直径約4mで同様に北西に弾薬庫跡の方形溝がある。また銃座Eの東下には東を向いた溝がある。これの用途は不明。
スカイラインのカーブの先に、平坦地Jがある。現在は貯水施設となっており、南下には電波施設がある。コンクリートの破片らしきものが転がっているので、この付近にも何かがあったのかもしれない。





北部施設群:北部





左:電波施設Fを南から、右:同左を西から



左:Fの北西部の土塁?、右:同左を内側から



左:Fの北側のY字溝、右:Yの北東下の方形窪地と溝



左:Gの南西下の地下壕の入り口を塞いだ場所、右:同左のある入り口付近



左:地下壕の上の溝、右:同左付近のレンガの瓦礫






左:平坦地Hの南側、右:平坦地Hの南東端の電波施設脇から北を望む



左:平坦地Hの北側の電波施設、右:同左の北裏



左:平坦地Hの南西端の方形窪地、右:同左付近のコンクリートの瓦礫



左:山頂部南西下を走るスカイライン、奥に廃墟が見える、右:同左脇にあるコンクリート水槽



左:平坦地Iを南から、右:同左を北から



左:平坦地Iの西上にある海軍の標柱、右:同左を上から




津呂山山頂の南側に広い平坦地がある。
南端には電波施設Fがある。北側に土塁もしくは削り残しがあり、その北東下には溝と方形窪地がある。
Gの西下には地下壕を塞いだと思われる場所があり、この壕の上あたる部分には陥没で出来たと思われる溝がある。またG辺りにはレンガの瓦礫が幾つか転がっている。航空写真や引渡目録の地図から、FもしくはGの辺りに電探があったと思われるが、この地下壕と思われるものが13号電探の地下電探室になるのかもしれないし、ただの地下壕かもしれない。
平坦地Hは広く、3ヶ所の電波施設が建っている。北東下の斜面は確認できていないが、他は遺構らしきものが余り無い。辛うじて方形窪地が1ヵ所あるのと、時代不明のコンクリート瓦礫が幾つか転がっているだけである。
スカイラインを挟んで南西下には、平坦地Iがある。道にしては幅が広いものの、何か施設が建っていたというほどは広くない。切岸の上には海軍の標柱がある。方向はほぼ南北を向いている。またこのIの東上、スカイラインの道端にはコンクリート製の水槽がある。時代は不明だが古いものである。





北部施設群:北端、その他





左:展望台の南側を南から、右:同左の続き



左:展望台の南東下にある溝、右:展望台から南を望む、右奥が室戸岬



左:展望台から西を望む、奥に室戸港が、右:展望台から北を望む、正面の山が尾垂山



左:削り出し平坦地Lの南端東側、右:同左の西側



左:平坦地を南から、右:平坦地の西縁



左:東側の壁面、右:平坦地の北端東側




津呂山の三角点に展望台がある。展望台の付近は南北に細長い平坦地になっており、東下には地下壕が陥没したものと思われる溝がある。展望台の北下は大きく削られて駐車場になっており、遺構があったかはわからなくなっている。引渡目録の地図によるとこの辺りもしくはもう少し南に第二見張所があったらしいが、どのような施設があったのかわからないので想像のしようもない。
スカイラインの西下の斜面に削り出し平坦地Lがある。東西約10m、南北約30mとかなり大きく、航空写真からもハッキリと確認できる。キャンプ場付近の段々畑跡からは少し間を置いている上に周りに畑は無く、何らかの軍事施設跡と思われるものの引渡目録の地図には記載が無い。削り出した際の礫が散乱していることなどを考慮するに、最末期の増員に対応するための兵舎用の敷地を造成している最中に終戦となり、工事が止まってしまったものかもしれない。






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