淡路由良の海面砲台(海軍)



由良 乙砲台第3砲座








(「Survey of Japanese Seacoast Artillery」より。下記英文資料とは別)



履歴:
2008.1.15 新規作成
2009.3.5 阿万砲台を追加






経緯

太平洋戦争の末期になると紀淡海峡周辺も急速に防備の必要性が高まり、それまでに造られていた海軍の防備衛所や、廃止されずに残された一部の明治時代の砲台の他に、新たに海軍によって幾つかの海面砲台が急造された。しかし終戦直前だった為に記録も余り残っておらず、戦後のドサクサにまぎれてその多くは忘れ去られてしまったようである。

最近になって、中世城郭研究家のT先生が偶々見つけられた紀伊防備隊の(兵器)引渡目録関係の英語資料の写しを元に、淡路在住のSさんが実際に山に入って調査されたところ、淡路由良周辺に4ヶ所、阿万に2ヶ所の海面砲台の遺構を発見することとなった。
遺構はしっかりとしており、このまま埋もれたままにしておくのも勿体無いという話になり、T 先生とSさんに代わりここで紹介することとなった。






海軍の海面砲台

明治期の要塞は主として陸軍で、海軍は水雷衛所や小口径砲による側防砲台によって軍港等の拠点を防備していた。太平洋戦争が始まっても、海軍による主要な軍港周辺や海峡の防備の主役は水雷衛所で、海面砲台は少数しか築かれなかったが、終戦末期になって米軍の上陸が間近になってくると、海軍も本土決戦用として艦載砲等を転用した海面砲台を大量に築き始めることになる。
深山・由良・阿万の3ヶ所も、この時に築かれた海面砲台で、紀伊防備隊の配下であった。これらの砲台は廃止されずに残されていた陸軍の明治期砲台の真っ只中にあるが、陸海共同で海峡の防備にあたっていたのかは不明である。

また鳴門の北西にある伊毘付近にも海面砲台が建設される予定だったが、配員兼労働力として移動中の宝塚航空隊の練習生の半数が艦載機の空襲に遭遇し、その殆どが命を落としてしまったために完成はみなかったようである。こちらの砲台の予定地は不明である。






淡路由良周辺の海軍の海面砲台




場所 15cm砲 14cm砲 25mm三連装機銃 TM無線機 98式牽引車
甲砲台 1番砲座  1
甲砲台 2番砲座  1
甲砲台 3番砲座  1
甲砲台 兵舎  1
乙砲台 1番砲座  1
乙砲台 3番砲座  1
今川陸軍射場  2  1
軍道付近  2  2
合計  6  1  3  1  2
(注:地図・表共に多少の修正を加えた)






阿万の海面砲台




淡路島の南西に位置する阿万集落の、南東側にある山の中に海面砲台跡がある。鉄筋採取の為に破壊が激しいものの、造りが淡路由良のものよりも多少凝っており、また建設中の連絡用トンネルや機銃座が残っているので、貴重な遺構かと思われる。

山の南西麓から砲座まで、潅木や雑草で荒れつつも軍道らしきしっかりとした山道がついており、鉈鎌無しでも行くことができる。ただ登り口付近の道は狭く駐車スペースも無いので、別の場所に駐車して歩いた方が良いだろう。また北西麓の妙観寺付近からも林道がつけられておりそちらから登る事も一応可能であるが、尾根筋を選んで歩かなければ砲座までの移動は難しい。


Sさんの地元での調査によると、砲台の兵隊は妙観寺と瓦組合の建物(現在も残っている)に分宿していたそうである。またこの砲台から余り離れていない場所に、陸軍が別途砲台の建築工事をしていたらしい。
それから、砲台の南西側にある小山の上には防空監視哨があり、今でもコンクリート製の建物の基礎が残っているそうである。


場所 15cm砲 機銃
上側の砲座 1
下側の砲座 1
裏側のトンネル
機銃砲台 25mm連or単 2







掩体の構造


(縮小前の図面はこちら

正面から見るとコンクリートが分厚く見えるが、屋根部分も正面部分も厚さは50cm程である。正面の構造は実はただの土留めで、盛り土によって不足した建材を補おうとしていたのかもしれない。造り方も横穴のトンネルを掘って補強を行うのでなく、斜面を削って窪地にコンクリート構造を造り、その後に上に土を盛り直しているようである。その為に砲台の裏手が大きく削られたままになっているので(下のスケッチ参照)、カモフラージュしなければ一目でばれてしまったのではないだろうか。。

掩体の奥行きは約10mで、奥の両側に砲側弾薬庫が1ヶ所づつあり、また奥の面には連絡路らしいトンネルが開けてあるものの、土砂崩れが酷くて実際に奥へ通路が続いていたかどうかは不明である。天井には1辺10cm程の空気穴が1、2ヶ所開けられており、また備砲の為のものか、鉄製のフックが2ヶ所付けられている。

耐弾性だが、一応鉄筋コンクリート製ではあるものの、屋根は約30cm、正面も60cmの厚さしかなく、上部に盛り土を2、3mしたとしても空襲や艦砲射撃に耐えられるとは思えない。限られた工期や建材、労働力、また崩れやすい土質といった条件を考慮しても、もう少し工夫できないものだろうか。








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